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ことば談話室

その「可能性」、間違いの可能性!?

 冬のとある夜、父と大学生の娘がこたつでお茶をすすっている。

 〈父〉 就活、たいへんだな。どうだ、A社は面接までいけそうかい。
 〈娘〉 う~ん、あの会社、チョー人気だからねえ。可能性はマジ、かなり低いかも……。
 〈父〉 おお、その言葉遣いは正しい。あ、誤解するなよ。正しいって言ったのは「可能性」の使い方だからな。
 〈娘〉 は? 何をまた突然に。あ、またお父さんの「気になる言葉」だね。
 〈父〉 そうそう。「可能性」の使われ方ってのが、前から気になっててな。そもそもだな……
 〈娘〉 こりゃあ長くなりそうな可能性が……。ミカンでもいただきながら伺いましょう。ぱくり。

 ◇喜ばしいことだけに使える?

可能性拡大          =いずれも、え・小田真規子
 〈父〉 可能性というのは「実現できる見込み」ってことだ。だから、「合格の可能性」とか「お金がもうかる可能性」みたいに、明るい未来や前向きなことがらについて用いる表現なのだと、父さんは教わった。
 〈娘〉 ふむふむ。ぱくぱく。ぐびぐび。
 〈父〉 しかし今の世の中、そうした使われ方ばかりじゃなくなってきてる。例えば「誘拐された可能性」だの「台風が上陸する可能性」だのと、喜ばしくないことにまで「可能性」が使われてる。これがなんとも気にくわなくてなあオレは。「誘拐された可能性」って言ったら、まるで誘拐されるのを期待してるみたいに聞こえないか?
 〈娘〉 そうかなあ。ふだんからそう言ってるけど。
 〈父〉 おまえがもし行方不明になって、どこかの新聞が「誘拐の可能性」なんて見出しをつけてたら、オレは腹立てて怒鳴り込んじゃうよ。……ちょっとそのミカン、こっちにもくれ。
 〈娘〉 はいはい。言い分はわかったけど、その喜ばしくない使い方というやつ、特に違和感ないんだけどなあ。だって普通に言うでしょ、「負ける可能性」とか「大損の可能性」とか。
 〈父〉 うん、言うなあ。むしゃむしゃ。ずびび。でもな、それが普通に言われるってことが問題に思えるんだ。日本語としては、「負けるおそれ」「大損の危険性」「誘拐の疑い」って言ったほうが、きれいだと思わないか?

 ◇「できる」と「ありうる」

第三角拡大
 〈娘〉 ところで辞書は引いたの? いつも逆に言われてるセリフだけど。
 〈父〉 誰に向かって物を言うとるか。当然引きました。10冊以上、見比べてみた。すると……なあ、漬けもの、まだあったよな。
 〈娘〉 漬けもの!? 急に食べたくなったのね。はい。しかし、おこたでこういうのを食べ出したら、もう止まらないね。
 〈父〉 そうともさ。ミカン、お茶、漬けもの。偉大なるトライアングルだ。これを「冬の大三角」というぞ。
 〈娘〉 小学生だったら信じるからね、それ。……で、辞書はどうだったの?

 父がメモ書きを取り出す。
 <どの程度実現できるかどうか。そうなる見込み> 角川必携国語辞典
 <その状態になり得る見込み。実現でき得る程度> 現代国語例解辞典
 <実現できるという見込み。現実となりうる見込み> 明鏡国語辞典
 <できる見込み。論理的に矛盾が含まれていないという意味で、考えうること、ありうること> 広辞苑

 〈父〉 こう並べてみると、「可能性」の意味には共通性が見えてこないか?
 〈娘〉 うーん、ざっくり言えば、「できる」と「ありうる」の2本立て、かな?
 〈父〉 さすが現役の学生さん、理解が早いっ。就職もそうありたいよなあ。
 〈娘〉 いちいち引き合いに出さないで。白菜、よく漬かってるよ。ぱりぱり。

 ◇悪いことがらにも広がる

 〈父〉 ぱりぱり。うまいなー。では結論だ。「可能性」は「できる」と「ありうる」、両方の意味があるってことだな。父さんは「できる」だけが正しいと思ってきたけど、「ありうる」だったら、悪いケースに使っても確かにおかしくない。いまや「ありうる」が相当に広まってるのは間違いなくて、父さんのような人間が異を唱えても、そうした情勢を変えることはもはや無理だと思う。だけど、可能性という言葉を自分で使う場合は、やっぱり「明るい未来を予期させる使い方」をしたいと思うんだよな。
 〈娘〉 どっちが正しいかは、結局はっきり決められないってことかな?
 〈父〉 昔、コンセントは右手で抜けと言われたんだ。左だと、万一感電したとき、心臓がある側だから危険が大きいって。科学的にどうなのかは知らないけどな。まあそれと似ていて、「強いてどちらかと言うならこっちかな」くらいのもんだと思ってる。いまは。
 〈娘〉 ふーん。でも「コンセントを抜く」っていう言い方も間違いなんだよね? ほんとは。
 〈父〉 おう、それについては少々説明がいるな。待ってろ、いま新しいお茶いれるから。

 冬の夜はしんしんと更け、父の話はまだまだ続いてしまう可能性があった。

(我妻一彦)