…うーん。うーん

 

 

 

 

 

唸っています…。

 

 

 

 

「古今和歌集」に入集する

次の贈答歌の、師※の解釈に。

 

 

 

「今年の気になること」

のひとつですので、

ここで記録させてくださいm(__)m

 

 

 

 

 

まずは詞書、それから

本文をご覧ください。

 

 

※我らの師、

現在は国文学研究資料館館長の

渡部泰明先生です☆

 

 

~.♪:*~.♪:*~.♪:*~.♪:*~.♪:*~.♪:*~

 

 

右大臣住まずなりにければ、

かの昔おこせたりける文ども

をとりあつめて返すとてよみ

ておくりける

 

ないしのすけふじわらのよるかあそん

典侍藤原因香朝臣

 

 

たのめこし言の葉今は返してむわが身古るればおきどころなし(恋四・736)

 

 

返し   近院右大臣

 

 

今はとて返す言の葉拾ひおきておのがものから形見とや見む(恋四・737)

 

 

 

~.♪:*~.♪:*~.♪:*~.♪:*~.♪:*~.♪:*~

 

 

 

 

詞書(歌のやり取りの状況説明)によりますと、夫である右大臣が通って来なくなったので、(平安時代は妻問婚)かつて右大臣からもらった手紙をかき集めて返す際に詠んで贈った歌(736歌)、ということですが…

 

 

この詞書と歌のやり取りを師はこう解釈されております。

 

出典はこちらです↓

 

 

 

 

以下、本書からの引用です。

 

 

「藤原因香は女性です。名前が明らかになっていることからも想像されるように、典侍(ないしのすけ)の官職を持っていた、今で言うバリバリのキャリアウーマンです。彼女は右大臣源能有(みなもとのよしあり)と婚姻関係にあったのですが、彼の通いが途絶えて離婚している。そこで、かつて彼が送ってよこした手紙をかき集め、送り返すことにした。その文の束に添えて送ったのが、「たのめこし言の葉今は……」という歌です。

 あなたが私に約束してきた言葉を、今はもうお返ししましょう。私は過去の人になってしまったので、身の置き所もなければ、あなたの手紙を置いておく意味もありませんー。

(略)二人の関係を、そろそろきちんと清算しましょうと、やんわりと突き付けています。

 このような歌を女性のほうから送るのは、かなり珍しいと思います。さすがはキャリアウーマン。なかなか手強い歌です。

 これに右大臣はどう応えたのか。

「今となってはもうお別れ」と返された手紙を、落ち葉を拾うように、一枚一枚拾い集めましょう。私が書いたものではありますが、せめてこれだけでもあなたの形見だと思ってー。

 女性の潔さにたじろぎつつも彼女が歌に詠み込んだ「言の葉」「今は」という表現を、巧みに活かして返しています。男性が歌に詠んだ言葉を使って女性が返歌を詠むことは多いのですが、これは逆です。「言の葉」を拾う右大臣の歌も哀切で、なかなかロマンティックです。

 この二人は、最後の最後に、むしろ心が通い合ったのではないでしょうか。別れるときは、かくありたいものです。」

 

 

 

 

この歌のやり取りについて、

「けじめをつける大人の恋歌」という

タイトルをつけておられます。

 

 

この贈答歌について、テレビ放映では

番組司会の方々が大変に盛り上がりまして…

 

司会の伊集院光さんと

安部みちこアナウンサー、

真剣勝負?の応答でした☆

 

 

「えー、視聴者のみなさん、(恋愛観)丸出しでお送りしております」

 

という、伊集院さんの名言を引き出しました(笑)

 

 

 

ワタクシ、ここがツボで~!

視聴しながら抱腹絶倒~www笑い泣きあせる

 

 

 

伊集院さんは、この贈答歌に関しては、

ここに引用した師の解説と同じ解釈だそうですが、

安部さんはこの右大臣の返歌に対して、典侍因香朝臣(女性)は「何よ、イマサラって思ったと思います!」と憤慨(笑)されていました!

 

その辺りのお二人のやり取りも楽しかった^^

 

 

 

 

 

さて☆

 

ワタクシの解釈は…

 

 

 

 

 

 

まずですね、

 

「何よ、イマサラ!(憤)」はないと思います。

 

というのも、この女性(藤原因香)は最後までかつての夫の愛情を試したかったから、と考えられるからです。

 

 

なぜ私がこう解釈するのか…

 

 

それは、彼らの文化的背景に、

「その気のない相手からの文には応答(返答)しない」

という、暗黙のルールがあるからです。

 

 

そこから敷衍して、

 

藤原因香という典侍が

ここでかつての夫・右大臣に「手紙を送り返す」。

 

この行為自体が、元夫への「最終通告」である

という風に解釈出来ます。

 

「その気がある」から、相手に対して

何らかのアプローチを仕掛けている、と。

 

 

かつてもらった「手紙を送り返す」という時点で、元夫の「出方を試している」訳です。

 

 

師はとっても「キレイ」な解釈をされました、

「関係清算」「別れるときは、かくありたい」だなんて…

 

しかし、これが果たしてきれいな「別れ」と言えるかどうか。

 

私には、女の男への執着を感じられるコワイ状況にしか見えません。不安

 

 

 

男の立場に立って、考えてもみてください。

 

 

(自分の心が離れて)通わなくなったかつての妻から、自分がかつて、愛していた頃、元妻宛に書いたその手紙を集めたものを送り返されてきたら、どう思いますか?

 

 

 

私だったら、コワイです。

引きます。相手の自分への執着心すら感じます。

 

 

ますますそんな女に対する

愛情は、冷めてしまいます。

 

 

それを、「あなたの形見だと思って」と切り返すあたりの男の応答も、なかなか手強い。これは本心というよりも、体のいい「拒否」を感じます。この返歌の方こそ、きれいに相手の執着を浄化しよう、切り返そう、としたうまい返答で、さすが、右大臣にまで上り詰めただけある、腹黒さ?強かさ?です。

 

 

いったい、関係が途絶えた後に、「関係清算」ってなんなのでしょう?

 

男が通って来なくなった、。

その時点でもうこの恋愛は終わっている訳です。

 

既に終わってしまった関係に、そこへ、これまで送られてきた手紙の束を相手に送り返すなんて、これは「愛情」(カッコつきの「愛情」であることが前提です…執着を含む「愛情」)がなければ、まだこの男に対する執着がなければ、しないことです。

 

 

わざわざ手紙を送り返すことで、わざと相手の気を引くようなことを敢えてしているという訳です、この典侍は。

 

自立した女(バリバリのキャリアウーマン)であるならば、ほんとうにカッコイイ女性というならば、毅然として、自身の手でこの元夫からの手紙は燃やした(破棄した)はずだと私は思うのです。

 

それをせずに本人に送り返す、というこの状況…不安

 

…コワイです…不安

 

 

女の方が、まだ男に執着がある、これは「最終手段」だと解釈できる所以です。

 

 

手紙を送り返す、という行為。

これは、女と男とを繋ぐ「最後の切り札」だったのでしょう。

 

それを男からその手紙の束を「形見とやみむ」と切り返されて、完全に関係は終わってしまった、と。そんな風に私は受け止めております。

 

これが、果たして「大人のけじめ」なのかどうか?

 

 

書籍化にあたっての文字数制限もあるかと思うのですが、うまくキレイにまとめようとした感のある師の解釈に、思わず「せんせい~!」と手を挙げて意見したくなったので、ここに記録しておきます…m(__)m

 

 

 

さて…この贈答歌。

 

皆さまは、どう解釈されますか?

 

 

 

 

もらった「手紙を送り返す」という行為…

 

そのケースバイケースで

いろいろな意味、意図、が

あるかと思うのですが…

 

「頂いたものを送り返す」

という行為自体に、

その相手を傷つけたい、という

そんな意図があるような気がしてなりません。

 

その相手に関心がなければ、

「送り返す」必要などないからです。

 

 

この典侍は、余程夫を愛していて

若しくは自尊心が高くて

彼からの裏切り(通いが途絶えたこと)

我慢ならなくて、

最後の最後に彼からの手紙を

送り返すことで

意趣返しをしたかったのかなぁ

 

なんてことにまで思いを馳せました…

 

 

 

 

 

 

以上、「今年の気になること」…の記録でした☆

 

 

 

 

ここまでお付き合いいただき

ありがとうございました☆