【ヤクルト14連敗】今、振り返る…1998年のロッテ18連敗【頑張れ!!スワローズ】 | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

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少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

ヤクルトが、今、大変な事になっている。

ヤクルトは、本日(5/30)の広島戦(神宮)に0-13で敗れ、これで広島に3タテを食らい、

遂に、ヤクルトは14連敗を喫してしまった(※ヤクルトの14連敗は、2年振り)。

ヤクルトファンの心境を思うと、察するに余りあるが、プロ野球の大型連敗といえば、

思い出すのは、何と言っても、1998(平成10)年の千葉ロッテマリーンズの18連敗である。

 

 

あの時のロッテは、突如、地獄のような泥沼にハマリ、プロ野球ワースト記録となる、18連敗を喫してしまった。

今回は、そのロッテ18連敗の軌跡を振り返り、如何にして、ロッテが泥沼を脱したのか、

そして、当時のロッテファンが、どのようにマリーンズを応援していたのかを振り返り、

同じように、もがき苦しんでいるヤクルトに、エールを送らせて頂きたい。

 

<1998(平成10)年の千葉ロッテマリーンズ…近藤昭仁監督体制2年目、前年(1997年)最下位からの脱出と、上位進出を目指す>

 

 

 

1997(平成9)年の千葉ロッテマリーンズは、

1993(平成5)~1995(平成7)年の3年間、横浜ベイスターズの監督を務めていた近藤昭仁が、新たにロッテの監督に就任したものの、

残念ながら57勝76敗2分 勝率.429で、優勝した西武ライオンズに19.5ゲーム差を付けられる最下位に終わっていた。

翌1998(平成10)年、近藤昭仁監督体制の2年目のロッテは、最下位からの脱出、そして、上位進出を目指していた。

 

 

 

当時のロッテの中心メンバーは、Wエースの小宮山悟と、「ジョニー」こと黒木知宏で、2人が投手陣を引っ張り、リリーフエースの河本育之も、後ろに控えていた。

打線では、3年振りにロッテに復帰した、フリオ・フランコが中心となり、他には小坂誠、堀幸一、初芝清、諸積兼司、立川隆史らが、脇を固めていた。

他球団と比べても、決して見劣りのしないメンバーと言って良かった。

 

<ロッテ、エース・黒木知宏の快投で、序盤は好調をキープ!!「ビッグバン打線」の日本ハムを追い掛ける>

 

 

この年(1998年)のロッテは、4月を11勝5敗と、開幕ダッシュに成功し、

その後も、ロッテは5割以上をキープする、好調な戦いぶりを見せていた。

特に、「ジョニー」こと黒木知宏は、開幕から絶好調で、エースとしてロッテ投手陣を引っ張った。

 

 

 

なお、この年(1998年)のパ・リーグは、上田利治監督率いる日本ハムファイターズが、

「ビッグバン打線」と称された強力打線を擁し、開幕から首位を独走していた。

前年(1997年)まで、首位争いの常連だった西武やオリックスが低迷する中、日本ハムは快調に首位を走っていたが、

その日本ハムに、ロッテはよく食らい付いていた。

 

<6月12日、エース・黒木が完投で6勝目!!しかし…>

 

 

6月12日、ロッテのエース・黒木は、完投勝利を挙げ、パ・リーグのトップタイに並ぶ6勝目を挙げた。

黒木は、ストレートの急速は140km台後半を連発する、絶好調のピッチングだったが、

試合後、黒木は、オールスター選出の可能性について聞かれ、

「オールスター?出られれば良いですね」と、その口も滑らかだった。

しかし、この時の勝利を最後に、ロッテが長い連敗の泥沼に入り込んでしまうとは、一体、誰が予想したであろうか?

ロッテは、この試合を最後に、全く勝利の味を忘れてしまったのである。

 

<6/13~以降、ロッテ悪夢の18連敗…その軌跡について>

 

 

翌6/13以降、ロッテは、突如として、長い長い連敗のトンネルに入り込んでしまった。

ロッテの連敗は、プロ野球ワースト記録となる「18」まで伸びてしまったが、

以下、まずはロッテ18連敗の軌跡について、記しておく事とする。

 

6/13 ● ロ4-6オ 先発小宮山、5回途中5失点の大乱調で逆転負け。
6/16 ● ロ8-12近 二桁18安打も中継ぎ陣が総崩れ、四併殺の拙攻も響いた。
6/17 ● ロ6-9近 3点を先制するも先発薮田が7回6失点の乱調、逆転負け。
6/18 ● ロ5-7近 九回、3点のリードも、二死から同点、延長サヨナラ。逆転負け。
6/19 ● ロ0-7日 4失策の拙守が響き完敗。小宮山は7回4失点(自責1)
6/20 ● ロ2-3日 先発武藤が7回無失点の好投も、黒木が救援失敗、逆転負け。
6/21 ● ロ10-11日 15安打10得点も投壊、最後は黒木が逆転サヨナラ2ランを浴びる。逆転負け。
6/23 ● ロ0-4西 薮田4失点完投も西口も前に散発四安打、完封負け。8連敗。
6/24 ● ロ5-6西 五点差を追いつく粘りを見せるも延長11回サヨナラ負け。9連敗。
6/26 ● ロ1-3近 小宮山奮闘も11回、黒木がまたもや救援失敗。10連敗。最下位転落。
6/27 ● ロ1-3近 7安打1得点の拙攻。終盤に競り負け11連敗。遂に単独最下位に。
6/28 ● ロ2-6近 クロフォード、5回6失点KO。打線も高村の前に沈黙。爆竹騒動が起きる。12連敗
6/30 ▲ ロ5-5西 7回まで2点リードも八回に薮田がつかまりドロー。中村投手コーチが更迭される。
7/01 ● ロ4-7西 この日も逆転負け。三ツ野球団代表がファンへ謝罪。13連敗。
7/03 ● ロ3-4ダ 小宮山、意地の完投も実らず…。14連敗。
7/04 ● ロ7-10ダ 試合前のお祓いの効果アリ、9回二死から同点!!なお
7/05 ● ロ3-10ダ 21被安打10失点で大敗。16連敗でプロ野球記録に並ぶ。
7/07 ● ロ3-7オ 黒木好投も…9回、あと一球から同点に追いつかれ、延長サヨナラ満塁弾でプロ野球新記録。
7/08 ● ロ4-6オ 平井の負傷、フランコのスタメン落ち…特に奮起することも無く当然のように18連敗。
 
ご覧頂いた通り、18連敗の期間中、勝てそうな試合はいくつも有ったのだが、
ロッテは、悉く勝利を逃し続け、ズルズルと負け続けてしまった。
ちょっとした綻びが、どんどん大きくなり、気が付けば負け続けてしまった、という状況であった。
そして、徒(いたずら)に連敗を重ねるロッテに対し、ファンの苛立ちもどんどん大きくなって行き、
千葉マリンスタジアムのロッテファンからも「連敗止めろ」「負けは見飽きた」というような、厳しいメッセージが書かれた横断幕が掲げられた。
 
<1997(平成9)年以前のプロ野球連敗記録は、大東京軍(1936年)とヤクルト(1970年)の「16連敗」>
 
 
 
 
ちなみに、1997(平成9)年以前のプロ野球の連敗のワースト記録は、
1936(昭和11)年、プロ野球創設初年度の大東京軍の「16連敗」であった。
とにかく、大東京軍というのは弱すぎる球団で、監督が1年間に3人も代わったが、それでも勝つ事は出来なかった。
しかし、これはプロ野球の体制が整っていない、黎明期のお話であり、長期1シーズン制が行われたわけではなく、
種々のトーナメントや短期リーグ戦が行われ、大東京は、その悉くに負け続けたものであった。
 
 
 
その、プロ野球草創期の大東京の「16連敗」の記録に、とうとう並んでしまったのが、
1970(昭和45)年のヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)であった。
別所毅彦監督率いる同年(1970年)のヤクルトは、とにかく弱く、別所監督が頭に来て、試合中に采配を放棄して弁当を食べてしまった程であるが、結局、ヤクルトは長期1シーズン制ではワースト記録となる「16連敗」で、シーズン通算でも33勝92敗5分 勝率.264、優勝した巨人との差は45.5ゲーム差という、記録的な大惨敗に終わった。
 
<連敗地獄に苦しむ1998(平成10)年ロッテに、ファンが一致団結して大声援!!「マリサポ」に注目が集まる>
 
 
話を1998(平成10)年のロッテに戻すと、
当初、長く続く連敗に苛立っていたロッテファンも、連敗が続くにつれて、各球場で一致団結して、マリーンズに大声援を送るようになった。
ロッテファン達は、ロッテがどんなに負け続けても、決して諦める事なく、
「マリーンズ 俺たちがついてるぜ!!」
という横断幕を掲げ、マリーンズの連敗脱出を願い、熱い応援を続けていた。
そして、連敗が続けば続くほど、ロッテを応援するファンの数は増えて行った。
皮肉な事に、この大型連敗により、「マリサポ」と称されるロッテファンに、大きな注目が集まって行ったのである。
 
<7/7「七夕の悲劇」…エース・黒木が、9回2死、勝利目前で、プリアムにまさかの同点2ランを浴びる…>
 
 
 
 
7/7のオリックス戦(グリーンスタジアム神戸)を迎えた時点で、プロ野球ワーストタイ記録の「16連敗」に並んでいたロッテは、エースの黒木が力投し、3-1とリードして、9回裏2死まで漕ぎ着けていた。あと1人で、ロッテは遂に連敗脱出である。
ところが、何という悪夢か、黒木は9回2死の勝利目前で、プリアムにまさかの同点2ランを浴び、3-3の同点に追い付かれてしまった。
黒木は、あまりのショックで、その場でガックリとしゃがみ込んでしまい、続投不可能となってしまった。
 
 
 
 
結局、試合は延長12回裏、オリックス・広永益隆サヨナラ満塁ホームランを浴びてしまい、
ロッテは、プロ野球ワースト新記録の「17連敗」を喫してしまった。
この時の黒木の姿、勝利目前でロッテが連敗脱出を逃した試合は、「七夕の悲劇」として、今日まで語り継がれている。
 
 
その後、ロッテは翌7/8もオリックスに敗れ、連敗は「18連敗」まで伸びてしまい、
近藤監督「人が困っているのを写真撮って楽しいか!!」と、
群がる報道陣に激怒し、八つ当たりする一幕も有った。
ロッテの「18連敗」は、もはや社会現象のような注目を集めていた。
 
<7/9、エース・小宮山の完投勝利で、ロッテが遂に「18連敗」でストップ!!近藤監督の「20連勝宣言」も飛び出す>
 
 
 
しかし、7/9のオリックス戦、ロッテのエース・小宮山悟が、意地の投球を見せた。
小宮山は、2日前に同点2ランを浴び、へたり込んでしまった黒木に対し、
「エースなら、あんな姿を見せてはいけない。試合は終わってないのに、戦いを放棄するな」
と、厳しく叱責していたが、小宮山は、その2日後(7/9)の試合で完投勝利を挙げ、遂にロッテの「18連敗」をストップさせてみせた。
 
 
 
 
小宮山は、一時9-1と大きくリードしながら、9-6に迫られたものの、
そこから踏ん張り、結局は9-6というスコアで、完投勝利を挙げた。
試合後、近藤監督は上機嫌で、「これから20連勝するよ!」と宣言してみせた(※20連勝は成らなかったが、その後、ロッテは3連勝)。
そして、連敗脱出したマリーンズに対し、あの「マリサポ」達も大歓声を上げ、歓喜の涙を流すファンの姿も有った。
 
<各球団の連敗記録と、2年前(2017年)のヤクルト14連敗…明けない夜は無い!!>
 
 
 
最後に、現在の12球団の最多連敗記録を掲げておくが、
2年前(2017年)、真中満監督率いるヤクルトも、シーズン2度の2桁連敗(10連敗、14連敗)を喫し、
7月には14連敗という泥沼に苦しみ、「シーズン96敗」という大惨敗を喫した。
ヤクルトファンなら、その時の悪夢を忘れた人は居ないと思われるが、
それでも、明けない夜は無い。どんなに暗く長い夜も、必ず明ける時がやって来る。
 
 
 
今回、何故、私が1998(平成10)年のロッテの話を書いたのかと言えば、
あの時のように、今こそヤクルトファンは一致結束して、スワローズを応援して欲しい、という気持ちからである。
そもそも、私はベイスターズファンであるが、今年のDeNAも、つい最近まで「10連敗」が有ったし、決して他人事とは思えない。
という事で、「頑張れ!スワローズ!!」というエールを込めて、この記事を書かせて頂いた次第である。
小川淳司監督も、丸刈りにして気合いを入れている青木宣親も、どうか頑張って欲しいと、願わずにはいられない。
 
東京ヤクルトスワローズと、ヤクルトファンの皆さん、諦めずに頑張って下さい!!