どうもジョぜです。
みなさんお元気ですか?
一ヶ月あまり更新していませんでしたが、僕は元気です。
JOYHOUSEのメンバーも確認できている限りではみんな元気です。
それぞれの勤め先で年度末の忙しさにかなり絞られているとのこと。
なんとか乗り切って綺麗な桜を拝めるようにがんばっていきましょう!
さて、本日は・・
「強い人は皆優しい」
という言葉について。
先ほど、
井上雄彦先生の「バガボンド」を久しぶりに手に取り、読んでいたのですが、
その中で、吉岡一門と武蔵が、"一乗寺下り松の決闘"の前日、
ばったりと顔を合わせるシーンが描かれています。
そこに武蔵とは昔馴染みの沢庵という坊主が偶然通りかかる。
・・・・
シーンは切り替わり、
武蔵と沢庵は寺の一室で酒を酌み交わしている。
その時に、沢庵が武蔵に向けて上の言葉をかけた。
「武蔵・・・優しくなった」
「強くなっているんだな」
「強い人は皆優しい」
腕っ節の強い人間、頭脳明晰な人間は世の中にたくさんいると思う。
大勢いるから、自ずとそういう人たちに接したり、対峙することもでてくるだろう。
その時、この人には敵わないなという思いをさせられ、劣等感を感じることもある。
しかし、「この人は立派な人間だな」「尊敬に価する」と思うことはそう多くはない。
"能力が秀でている人間"と"敬意を自然と引き出させる(尊敬される)人間"の違いはなんだろうか?
その答えは沢庵坊の言葉に示されていると思う。
「優しさ」だとか「思いやり」・・・
これらが備わっているのかどうか、今一度問わないといけない気がした。
自分が強いかどうかは別にして。
「この世に強い人なんておらん」
「強くあろうとする人」
「おるのはそれだけじゃ」
この言葉も作中に出てきている。
それを踏まえてもう一度自分を見つめ直すと、
少なくとも僕は「強くあろう」としていることは確かだった。
強いから心の余裕ができて人に優しくできるのかもしれないし、
逆に、弱いからこそ誰かの悲しみや痛みに同情できるのかもしれない。
どちらも正で、どちらも偽のような問い。
この問いの答えも実は作中の言葉から導き出せる
「弱さを経ていない強さはないでしょう?」
刀研ぎの名人で芸術家でもある本阿弥光悦が、
前出の沢庵坊と会話をするシーンで、
この言葉を発する。
人は日々弱さを感じているということ。
自分に向き合えば向き合うほど、
他者と接すれば接するほど、
自分の中にある弱さに触れてしまう。
弱さゆえに、
裏切ったり、騙したり、傷つける。
自分の弱さが嫌で、ある時は「死んでしまいたい」と思う。
それでも「強くあろう」と前に進んでいくことで掴めるもの、
その過程で、手にするものは「優しさ」だったり「思いやり」なんだろう。
この話を結論づけるなら、
「強くあろうとするものは、弱さを経てきたがゆえに、人に優しくできる。」
「そして優しい人は、強い人だ」
結果的に沢庵の言葉からは逆説的な結論になってしまったけれど、
僕の中では腕っ節の強さより、頭の良さより、
「人に優しくできる」ことの方が重要なこと。
「強くあろう」と「優しくあろう」と日々精進していくしかない!
ジョゼ