突然ですが、JUMPの先輩アイドルたちの過去動画を見るというマイブームが起きています。

先輩方の全盛期の活躍を見ると、すごいなと驚くことが多いです。

 

しかし、見ていて思ったのは、「アイドルの全盛期」って何だろう、ということです。

 

旬があるのはアイドルの宿命で、儚いからこそ美しいわけですが、特に「国民的アイドルとしての全盛期」「国民的アイドルのピーク」というのは、いつからいつまでなのか。

今回は、ジャニーズの歴史を紐解きながら、その問題を考えていこうと思います。

 

まず、前提として「国民的アイドル」を定義しなければなりません。

『マナー問題で考える「ファンの中核と周辺」』という記事の中で、「国民的アイドルとは、周辺ファンを幅広い世代に極めて大量かつ継続的に獲得したアイドル」と規定し、それに当てはまるのは、「SMAPと嵐の2グループ」と書きました。

「周辺ファン」の詳しい説明は上記記事をお読みください。

 

「国民的アイドル」の数値化は非常に難しいのですが、周辺ファンを大量かつ継続的に獲得しているグループを「国民的アイドル」とするならば、やはり大衆からの支持度を示す、CDセールスドラマ視聴率が2つの大きな指標になると思います。

次に、その2つの指標に、国民的アイドルにふさわしい基準値を設定してみます。

 

 

 

①CDセールス

1991年~2001年は100万枚以上

2002年以降は60万枚以上

 

※CD生産金額は、1998年の約6000億円をピークに現在約1500億円まで減少。CDバブルが崩壊しセールスが激減した2002年以降は全体の市場規模等から計算し60万枚以上としました。

 

 

 

②ドラマ視聴率

主演級ドラマが視聴率25%以上

 

ジャニーズが主役また準主役を演じたドラマを「主演級ドラマ」とし、全話平均でなく1話平均で世帯視聴率が25%を超えた作品。2017年7月期からはビデオリサーチがリアルタイム視聴にタイムシフト視聴を加えた総合視聴率を公表しているため、総合視聴率が25%を超えた作品もカウント。NHKはのぞきました。

 

 

 

以上のように「国民的アイドルの基準値」を設定したうえで、SMAPと嵐の①CDセールス②ドラマ視聴率で基準値を超えた作品を、年表で見ていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

データで読み解くSMAPと嵐 本当の全盛期

 

 

 

 

国民的アイドル年表

1991年

1992年

1993年 

1994年 

1995年  

1996年 SMAPロンバケSMAP協奏曲

1997年 SMAPラブジェネ

1998年 SMAP夜空ノムコウSMAP眠れる森

1999年 

2000年 SMAPらいおんSMAPBLSMAP伝説の教師

2001年 SMAPHERO

2002年 SMAP空から降る一億の星

2003年 SMAP世界で一つだけの花SMAPGOOD LUCK

2004年 SMAPプライドSMAP僕と彼女SMAP砂の器

2005年 SMAPエンジン

2006年 SMAP西遊記

2007年 SMAP華麗なる一族花男2

2008年 truthSMAPCHANGE

2009年 Believe明日の記憶

2010年 トラブルメMonsterラブレ果てない空

2011年 Lotus迷宮ラブソング

2012年 ワイルド アット ハートFace Down

2013年 Breathless

2014年 GUTSSMAPHERO2

2015年 

2016年 I seek

2017年 Doors

2018年 99.9Ⅱブラックペアン

2019年 BRAVE

2020年 

 

 

 

※データは、年代流行の「アーティスト別 CDシングル売上枚数一覧」「ドラマ視聴率ランキング」、およびビデオリサーチの「タイムシフト視聴率」等から参照しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記録と記憶に残る社会現象アイドルSMAP

 

 

SMAP

国民的アイドルの期間  1996年~2016年

国民的アイドルのピーク 1998年~2004年

 

SMAPは1991年にデビューしました。

彼らが「国民的アイドル」になったのは、木村拓哉主演で最高視聴率36.7%の「ロングバケーション」が放送され、「SMAP×SMAP」がスタートした1996年で異論はないでしょう。

この年、「ロンバケ」に加え、キムタク準主役の「協奏曲」を合わせると、2本のドラマが基準値の25%を超えています。

SMAPが国民的アイドルだった期間は、1996年から解散した2016年までの11年間ということになります。

 

それでは、その国民的アイドルだった期間の中でも、ピークはどこだったのか。

これを評価するのは大変難しい作業ですが、今回の分析は、「国民的アイドルになってからのさらにその中のピークを特定する」ことがミソなので、あえて認定していきます。

 

CDバブルといわれた時代にもかかわらず、SMAPは長らく大ヒット曲に恵まれなかったようですが、1998年に「夜空ノムコウ」で初めて100万枚を突破します。

①と②の基準を満たした1998年からを、「国民的アイドルとしての全盛期の始まり」としたいと思います。

 

次に、ピークはどこまでだったのか。

その判定はさらに難しいですが、①と②の両方の基準を満たしていたのは2003年までです。

2003年は「世界で一つだけの花」が250万枚以上、ドラマ「GOOD LUCK!!」も全話平均30%を超え、SMAPの全盛期中の全盛期と言っていいでしょう。

2004年はCDこそ出していませんが、木村「プライド」、草彅「僕と彼女と彼女の生きる道」、中居「砂の器」が25%を越え、香取君もNHK大河ドラマ「新選組!」で主演を務めるなど全盛期は続きます。

 

ところが、2005年からメンバー主演ドラマはやや勢いを落とし、キムタクドラマも2005年の「エンジン」以降、全話平均が25%を超えることはなくなりました。

CDセールスに関しても、基準を2002年に60万枚に引き下げたものの、2005年以降、その基準を上回っていません。

こうしたことから、SMAPの国民的アイドルとしてのピークは、1998年から2004年までの7年間と判定しようと思います。

 

ただ、誤解してほしくないのは、そこでSMAPが終わったわけではなく、ピークアウトした2005年以降も大活躍を続け、2016年まで国民的アイドルとして輝き続けたことです。

解散の瞬間までSMAPは「社会現象」でした。

 

年表を見るとわかるのは、SMAPの特徴は、①が3本に対して②が18本、つまりテレビを通じて国民に愛されたグループだったということです。

5人はドラマだけでなく、中居君を先頭に、バラエティやスポーツ、情報番組など様々な分野に進出、アイドルの仕事のすそ野自体を広げていきました。

中居正広という人は天才MCであると同時に、男性アイドルの定義を変えた「革命児」だったんだと思います。

また、SMAPは若者のファッションやライフスタイルにも大きな影響を与えました。

 

一方で、音楽面での支持が低いのかというと、そんなことはなく、基準値を超えたのは3本ですが、「夜空ノムコウ」「らいおんハート」は世代を超えた流行歌であり、「世界で一つだけの花」は平成最大のヒットソングです。

 

したがって、このあと嵐について記述しますが、SMAPは開拓者であり、あらゆる面で規格外の、最もスケールの大きな、史上空前の国民的アイドルだったといえると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新時代のゆるい長期政権アイドル嵐

 

 

国民的アイドルの期間  2007年~2020年

国民的アイドルのピーク 2008年~2019年

 

続いて、嵐です。

嵐がデビューしたのは1999年。

上の年表に名前が出てくるのは、8年後の2007年からです。

松本潤が準主役を務めた「花より男子2」(最高視聴率27.6%)が基準①を超えたので、嵐が国民的アイドルになった時期を2007年としました。

 

ただ、ここは議論の余地があるかもしれません。

1996年のSMAPと比べると、花男は「ロンバケ」ほどではないし、「SMAP×SMAP」に当たる「VS嵐」「嵐にしやがれ」のゴールデン帯放送はそれぞれ2009年と2010年からで、両番組ともそこまでの高視聴率番組とはいえません。

ですから、嵐の国民的アイドルとしてのブレイクは、2007年ではなく、CDセールスが伸び始めた2008年説、もっと後という説、いやそもそも国民的アイドルになっていないという説まであります。

 

とはいえ、90年代と比べるのは酷であって、社会状況が変化し国民の関心も多様化している中で、嵐の存在感が男性アイドル界で際立っているのは事実ですから、ここは基準に従い、2007年を嵐の国民的アイドルとしてのスタートの年とします。

嵐は2020年で活動を休止する予定なので、嵐の国民的アイドルの期間は、2007年から2020年までということになります。

 

では、嵐の国民的アイドルとしてのピークは、いつからいつまでか。

この判定は、SMAPよりさらに難しいものでした。

なぜなら、楽曲もドラマもSMAPと比較して爆発的ヒットがないからです。

②の基準も満たすようになったのは、「truth」が60万枚を突破した2008年からで、その後もコンスタントにヒットを飛ばしているので、とりあえず国民的アイドルとしてのピークを2008年から2019年までとしました。

 

2019年までとしたのは、単にデータがあるのがそこまでだからという理由です。

2020年は本来、休止前ラストイヤーで東京五輪もあり、嵐ファン的には最も盛り上がる年のはずでしたが、新型コロナの影響で定量的な測定が不可能な状態です。

 

いずれにしろ、嵐の国民的アイドルとしてのピークは12~13年間続いている計算になり、実はSMAPよりも長期政権なのです。

爆発的な支持の広がりはないけれど、ゆるゆると安定した支持率が長年続き、簡単に失速しない、そんな嵐の実像がデータからは浮かび上がってきます。

有力な後継者や強い野党がいないというところも、どこかの長期政権と似ています。

 

ただ、2007年から2016年は嵐とSMAP2組の国民的アイドルが並立していた時期なので、単独政権になった2017年からを「狭義のピーク」と呼んでもいいかもしれません。

さらに、本物の「社会現象」になったのは、2019年1月の休止発表会見以降なのではないかと個人的には思っています。

 

改めて年表を見ると、嵐は基準②超えのドラマが多いとは言えません。

これはキムタクのような突出したカリスマがいないせいだと思われます。

しかしながら、「花男2」以外にも、2018年に松本「99.9Ⅱ」、二宮「ブラックペアン」が総合視聴率で25%超えを果たしています。(総合視聴率の調査公表は2017年7月期以降)

また、ミリオンやダブルミリオンはないものの、安定してCDを売り続けているのも他グループにない強みで、長期にわたり岩盤支持層に支えられていることがわかります。

 

カリスマがいないと書きましたが、自分自身、年越しコンサートの現場で嵐のオーラに圧倒されたひとりです。

5人のバランスがよく、個々が高いパフォーマンスを持ち、ファンサービスを忘れない、よく「仲が良い」「ほっこりする」といわれる嵐のチーム力や雰囲気が、今の時代にうまく合致した。また、彼らがそのための努力を怠らなかったことが長期政権を築いた秘訣なのではないかと思います。

 

嵐が今年、コロナ禍を乗り越え活動休止の幕をどのように降ろすのか、SMAPとは別の「国民的アイドルの在り方」をどう示すか、注目されます。

 

 

 

つづく

 

次回は、SMAP嵐以外の「忘れられた国民的アイドル」について書きます。