年経る樹 1968年



青蓮院の、その逞しい幹や枝に張る力、
綱のように地表を這うその根に、
古都の重みを感じる。
先年の都といわれる京都は、
その雅びと優しさにもかかわらず、
強靭なものを蔵している。
           (文 東山魁夷)

 東山魁夷の描いた「年経る樹」は青蓮院のクスノキ。

青蓮院には、クスノキが五本ある。 知恩院から続く神宮道に三本。長屋門のところに一本。青蓮院に入って、宸殿の前に一本。


知恩院からの道なりで、まず出会う一本目のクスノキ




四脚門を挟んで二本目のクスノキ




神宮道に面し、青蓮院の入口に立つ最も雄大なクスノキ




長屋門前のクスノキ




青蓮院境内、宸殿前のクスノキ




東山魁夷の描いた「年経る樹」は、《綱のように地表を這うその根》という一文から、神宮道から青蓮院に入る入口にある一番大きなクスノキだと思われる。




伸ばした枝の長さには、本当に圧倒させられる。

入口の駒札には、クスノキについて次のように書かれている。


青蓮院クスノキ    京都市登録天然記念物

このクスノキは青蓮院の築地の上に四本、さらに境内の園庭内に一本が生育している。
樹高は最大のもので26,1メートルに達する。
いずれも幹から大枝を伸ばし、クスノキに特徴的な半球形のこんもりとした、みごとな樹冠を形成し、樹勢も良好である。

12世紀末に親鸞上人に植えられたとも伝えられているが、クスノキが現在の境内の地割に沿って生育していることから、青蓮院が現地に移転した13世紀以後に植載されたものと考えられる。

樹勢が旺盛で、樹形もすぐれているだけでなく円山公園から平安神宮に続く神宮道の中で青蓮院を含む地域の景観要素となっている大木として、貴重なものである。




神宮道に面しクスノキの景観



特筆すべきことは、このクスノキが親鸞上人に植えられたという言い伝えである。

親鸞(1173-1262)は1181年・9歳の時青蓮院において天台座主慈円のもと得度する。
青蓮院には親鸞が得度の折、剃髪した髪の毛を祀る植髪堂がある。

親鸞の生きた時代はというと、鎌倉幕府が成立し、承久の乱以後京都には、六波羅探題が置かれ武家社会が確立されていく時代である。

その時代から800年あまり。幾度の戦乱をまぬがれ、時の流れを見続けてきたクスノキ。

このクスノキを見るとき、東山魁夷の言う《古都京都の強靭さ》を感じ、感慨深いものがある。

クスノキにとっては、この「年経る樹」が描かれてからの45年はわずかなものなのかもしれないが、変わらず存在してくれていることがこの上なく嬉しい。