ブログ「吉野弘の部屋」では、父親としての吉野弘の姿や、母から聞いたエピソードなどを書き綴っております。

暫く間が開いてしまいました。。。

 

前回、前々回では父が詩人になる前に手作りした詩集の話をしました。実際はまだほかにもあるのですが、その話はまた別の機会にということで、今回は詩人として上梓した第一詩集について書いてみたいと思います。

 

「消息」という詩集は、いわゆる自費出版(自家製出版)で、装丁は非常に素朴なものです。ガリ版刷りという言葉をご存知の方は少ないかもしれませんが、職人さんの手書き文字なんですね。

           

 

この消息を作った時の父の、覚え書きというものがあります。

 

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『消息』は、無題の序詩一篇を含む24篇の作品を収め、1957年(昭和32年)5月1日、自家版として100部を刊行、同年8月1日に150部を再版した。

 謄写刷り、本文54頁のもので、寸法は横172㎜×縦240㎜、B5判よりやや小さめのもの。初版、再版とも同体裁。

 初版製本の際、筆耕の手違いから、「身も心も」という作品の中の二つの連(3行及び4行)が脱落するというミスを生じた。このミスに気付いたのが製本完了後であったので、やむなく、この脱落分を正誤表として別に印刷し、36頁と37頁の間にこれをはさみこんだ。いささか不体裁なことになったが、再版では改められている。

 なお、『消息』の発行所は、初版、再版ともに「(こだま) 詩の会」で、「非売品」として刊行した。当時、100部で5000円を要したので、一冊当り50円で出来たことになる。確か、一冊100円で購入してもらった。当時の郵送料20円程度(一冊送りの場合は16円、『谺』を添えたりすると24円だった)を加えても赤字にはならなかった。

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文中にある「谺の会」は、1952年に山形県酒田市在住の池田昭二さんの手によって発刊され、酒田市及びその周辺地域に在住する詩人が参加していた同人誌です。

また、発行当時は大卒の国家公務員の初任給が8,000~9,000円という時代でした。

 

時代が少し遡りますが、肺結核を患い治癒した後、昭和27年に父は飯野喜美子と結婚をします。結婚した翌年2月に詩学という同人誌への投稿「I was born」で新人賞を受けました。

そして28歳の時に現代詩人の茨木のり子さん、川崎洋さんが立ち上げた「櫂」の会へのお誘いを受け、谷川俊太郎さん、大岡信さん、岸田衿子さん、友竹正則さん、水尾比呂志さんら、現代詩を率いるそうそうたる人たちの仲間に加わり、櫂の会同人誌3号から参加することになりました。

その後、父は自費出版で詩集を出したいと願うようになりました。そんな思いを知った妻喜美子は、こっそり宝くじを買ったそうです。もし当たったら、それを詩集出版の費用に充てようと思い、父には内緒にしていたそうです。

 

残念ながら宝くじは当たらなかったようなのですが(笑)

 

この消息は、吉野弘の著作権後継者である妹のところと、私のところにそれぞれ1冊しかありません。

この詩集は、発行後吉野家には一冊もなかったらしいです。

全部売れてしまったののもそうですが、手元にあったものもいろいろとお世話になった方や知り合いの方に差し上げてしまったらしいです。

後に、酒田商業高校の同窓会の方から2冊頂いて、やっと自分の手元に保管できるようになりました。

私は2冊あるうちの1冊を大切に保管していますが、裏表紙に父の字で「’95.3.24酒田商業高校で受領」と書いてあります。

自分の手元にまったくなかった時間が結構長かったということなんですね。。。