27-4 大名の区分

 

将軍と主従関係を結んだ知行高(ちぎょうだか)(石高(こくだか))1万石以上の武士大名(だいみょう)といい、大名の領地とその支配機構の総称を(はん)という。

 

大名は将軍との親疎(はん)の関係で親藩(しんぱん)譜代(ふだい)外様(とざま)に分けられ、幕府は、親藩・譜代大名を要所に、有力な外様大名をなるべく遠隔地に配置する方針をとった。

 

この方針からもうかがえるように、もともと戦国大名の一員にすぎなかった徳川氏(とくがわし)にとって、全大名の頂点に君臨する体制をつくるのは容易なことではなかった。

幕府は、大名の配置に細心の注意をはらい、一国一城令(いっこくいちじょうれい)武家諸法度(ぶけしょはっと)を定めて法令違反を厳罰に処し、将軍の権威を象徴する参勤交代(さんきんこうたい)を制度化していった。

 

 親藩

三家(尾張(おわり)・紀伊(きい)・水戸(みと)の3藩)など徳川氏一門の大名。

 

 譜代

はじめ(戦国・織豊期(せんごく・しょくほうき))から徳川氏の家臣だった大名。

 

 外様

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)ののちに徳川氏に従った大名。

 

大名の配置(1664年頃)