私はサッカーにはまったくうとく、ワールドカップの試合をテレビで観戦して、一夜限りのにわかサッカーファンになる程度。

 

時事通信が、5月1日にサッカー元日本代表監督のイビチャ・オシムさんが死去されたことを報じていた(同日)。享年80。

 

三浦知良さん同様、オシム監督の発言(言葉)は勉強になることが多いので、それだけは追いかけていた。以下の日本経済新聞記事は、そんなオシム監督の当時の言葉を紹介している。

 

一般論として、そもそも大前提としていることは、検討や改善の対象に挙がってこない。が故に現実の壁を破ることができない面が多々ある。

オシム監督は人びとが当たり前、大前提と認識しているところから疑い、そこを突き崩すような発言をしてきた。またその言葉どおり実行してきた。サッカー云々ではなく、本質的には共通するそうした視点、発想はとても勉強になった。

 

  オシム元日本代表監督死去
―日本らしいサッカー 種まく、走り重視で再建描く(評伝)

2022年5月3日  日本経済新聞


 

 オシムさんと日本サッカーの深い結びつきは、03年に市原の監督に就任してから始まった。当時、市原の強化責任者だった祖母井秀隆ゼネラルマネジャー(GM)は監督選びに定評があったけれど、その中でもオシムさんは飛び抜けてエッジが効いた指導者だったように思う。

 1990年W杯で旧ユーゴを率い、準々決勝では退場者を出しながら前回王者のアルゼンチンをのみ込みかけた(結果はPK戦で敗退)。欧州のビッグクラブから請われても首を縦に振らなかった人が、熱意にほだされ極東のリーグの中堅クラブにやって来たこと自体、奇跡のような出来事だった。

 石を玉に磨き、寡兵でもって大軍を打ち破るかのような指導力は就任1年目から、いかんなく発揮された。市原を瞬く間に優勝を争えるチームに仕立て上げ、2005年にはヤマザキナビスコカップを制し、クラブに初のタイトルをもたらした。

 躍進の原動力は猛練習にあった。「頭の中に1000でも2000でもメニューはある」と豪語し、実際に就任から1カ月がたっても同じ練習が一つもないことに祖母井GMは驚いたという。次々に繰り出される練習は刺激的で、選手は頭と体と精神面を同時に鍛えられていった。

 あまりの苛烈さに周囲から故障を心配する声も上がったが、監督はまったく意に介さなかった。「オフのためにサッカーをするのか? 勝つためにサッカーをするんだろ」「肉離れ? ライオンに追われたウサギが肉離れを起こすと思うか?」

 こう言い放ちながら、実は絶妙なさじ加減で練習量をコントロールし、阿部勇樹、巻誠一郎、羽生直剛、水本裕貴らを日本代表へと成長させた。

 06年ドイツW杯で一敗地にまみれた日本代表の再建役を託されたのは、自然な成り行きだった。その就任会見でオシムさんは「日本サッカーを日本化する」という印象的な抱負を述べた。市原での監督経験を土台に、日本サッカーの可能性について感じることが多々あったことは確かで、自分ならもっとその良さを引き出せるという明確なビジョンと自信があっての言葉だった。

 代表監督在任中に弊紙で連載した「オシム@ジャパン」の取材で、オシムさんは「未来を予測することは、あらゆる職業において一番難しいことではあるが、今、使える選手ではなく、あす使える選手を見抜き、5年先を見すえて育てることが大事だ」と語っていた。

 そんな先を見越した発言の数々を思い出すにつけ、日本代表で世界を驚かそうとしたオシムさんのイメージが、今や全盛の攻守が一体化した超高速サッカーに近似していることに驚く。

 例えば「日本ではタレントのある選手たちが走らなくてもいい自由を与えられている。代表ではそれを変えていかなくてはならない。走ることなしにモダンなサッカーはできないのだから」

 「テクニックがあれば、ほかの選手よりうまい分だけ走らなくていい、なんてことはない。現実に強い相手と、つまり自分たちよりうまい上に走れる相手と戦ったとき、それでは破綻する。日本はこれまで何度もその過ちを繰り返している」

 「サッカーの戦術がこの先どう変化していくかは何ともいえない。ゴールの大きさ、ピッチの大きさを変えるといったルールの変更にも左右されるから。しかし今より将来のサッカーのスピードが遅くなることだけは絶対にない」

 「日本の中盤の選手はもっと走って、ゴールに対してもっと危険な選手にならないといけない。プレーメーカー兼ゴールゲッターという選手が3人いれば、相手にとって非常に危険で抑えることは難しくなる」

 オシムさんが思い描いた代表チーム像は、07年11月に脳梗塞に倒れ、完成を見ずに終わった。同年7月のアジアカップはベスト4止まりだったが、病に倒れる前の9月、オーストリアでスイスと戦って4―3の勝利を収めた試合には、リスクを冒してでもアグレッシブにゴールを目指す戦いの形がはっきりと見えていた。推進力を持ったそのサッカーの先に何があったのか。未完のままに終わったことが、返す返すも残念でならない。
(武智幸徳)

 

  オシムさんに学ぶ、勝利より大きなもの 2022年5月4日  日本経済新聞

 



 ウクライナの悲しいニュースに接して、サッカー元日本代表監督のイビチャ・オシムさんの顔をなんとなく思い浮かべていた。消滅してしまったユーゴスラビアで代表監督を務め、ユーゴ内戦の戦火の中を生きた名将はいまの世界をどう見ているのか、と。そのオシムさんが亡くなった。

 オシムさんの言動はどこかなぞめいていた。2005年、千葉の監督としてJリーグのカップ戦を制したオシムさんは選手からの胴上げを辞退した。喜ぶそぶりをあまり見せずに「これが最後のタイトルにならないよう願っている」などと話した。

 優勝争いをしていた03年には「優勝しないといけないのか」とも言った。逆説的なユーモアにくるみつつ、何かメッセージをこめているのでは、と考えさせられた。しかし、その何かは当時、見えないままだった。 

 最近になって一つの解釈らしきものに思い至っている。21年のNHK大河ドラマの主役、渋沢栄一の「論語と算盤(そろばん)」の一節がヒントとなった。「成功や失敗のごときはただ丹精した人の身に残る糟粕(そうはく)のようなものである」「道理にのっとって一身を終始するならば、成功失敗のごときはおろか、それ以上に価値ある生涯を送ることができるのである」

 成功か失敗かという結果よりも、そこへの挑戦のプロセスが人生を豊かにする、という意味だろう。成功や失敗を「糟粕」、つまり「カス」と表現するのはやや極端な気もするし、スポーツでは結果が全てという考えも支持を得ている。ただ、戦争を知るオシムさんにとっては、勝利やタイトルという「称号」自体はカスのようなものだったのかもしれない。そう想像すれば当時の言動に納得できるような気もする。

 アスリートが最も輝くのは勝利をめざして全身全霊でプレーしている、その瞬間ではないか。オシムさんに鍛えられた千葉は、人数が多いのではないかと見まがうほどよく走り、リスクを冒して攻める、ワクワク感満載のチームだった。面白いサッカー、理想のサッカーとは何かというような、勝利よりももっと大きなものを求めているかのようだった。

 軍事侵攻があり、新型コロナウイルス禍も続くいま、オシムさんの訃報に接してあらためて思う。何かに全力で打ち込むことができる瞬間こそが最も尊いのではないか。そんな対象、仲間がいる人は幸せの中にいるのだから、どんどん工夫してチャレンジせよ、と言われているような気がする。(編集委員 田中克二)