■「悲しい」という感情

悲しいことは
ひとことで言えば
「予想よりひどいこと」
です。

希望通りでない、
理想ではない状況を体験すると
感じる感情です。

思い通り、と
思ったのと違う、との
間の溝を埋めてくれるものが
「感情」で、
思い通りよりも
今の状況がひどい場合に
感じる感情が「悲しみ」です。

ちなみにこれが裏返って
「予想よりステキなこと」だと
その差の溝を埋めるために
喜びの感情を感じるわけです。

そうして
予想と現実との溝を
埋めて平らにしてくれるのが
感情です。

その感情を否定すると
溝が埋まらないので
平らになりません。

溝が溝のままなので
先に進む障害となるわけです。

ゆえに
「予想よりひどいこと」があったとき

ちゃんと悲しめないと
先に進めない感じが残りますし、

ちゃんと悲しめると
先へと進めそうな気持を
感じることができます。

幼い子を見ていると
わかりやすいです。

悲しいことがあって
大泣きしてひと騒ぎした直後に
ケロリとして今の悲しみが
なかったかのように喜々として
友達と遊んだりしてたりします。

■紛らわす、ではなく

ちゃんと悲しむ方法は
人それぞれに効果的な方法が
異なってくるでしょう。

自分に合ったやり方を
見つけておくことで
「予想よりひどいこと」があったときに
ちゃんと悲しむことができます。

ただ、
ちゃんと悲しむことは
暴飲暴食したり
暴れたり騒いだり、
または自傷行為や
自虐するなどして
「気持ちを紛らわす」とは
違います。

それは
蚊に刺されて
かゆみを紛らわすために
叩いたりつねったりして
かゆい以上の刺激を与えて
かゆみを紛らわせることや、

騒音がうるさいからと
大音量で音楽を聴くことと
似ています。

また、他のことに熱中して
忘れようとすることも
同じです。

見え方や
捉え方が変わるだけで
課題そのものを解決する方法では
ありませんので、
注意したいところです。

■ちゃんと悲しむ

”感情を感じる”とは
自分の中だけです。

それでも感じていることには
違いはないのですが、
ちゃんと悲しむとなると
それだけでは十分な効果は
得られないでしょう。

十分な効果を得るためには
”感情を感じる”も
それ相応なものにする必要があります。

その方法は
”感情を感じる”をしたら
「感じたことを表現すること」です。

表現とは
「”何が”悲しいのか」という
自分の内面のものを
自分の外部に出すことです。

外部に出すことで
あちらの世界のものが
この世界のものとなります。

実際の形を持った姿に
なるわけです。

それが
書くと「文字」になり
声に出すと「音」になり
身体を使うと「表情」や
「身振り手振り」などに
それぞれなります。

この表現は
一人でしても効果はありますが
協力者に受け取ってもらえると
その効果は飛躍的に高まります。

協力者は自身の
評価・判断なしに
それらの表現を受け取ります。

受け取るだけです。

返すものがあるとしたら
「受け取りました」と
示すことくらいです。

そう示す方法は
「〇〇なんですね」と
オウム返しをしたり
「うんうん、うんうん」と
相槌を打ったりししながら
ちゃんと悲しもうとしている
その本人の気持ちを
共に感じようと試み続けることです。

そうすると
本人が沈黙しても
それも「表現」として共有できて
「ちゃんと悲しむ」を
支えることができます。

■今までと違って見える

感情は
排泄物と似ています。

出てくる一方で
出さないと
貯まる一方です。

宿便みたいになると
心の健康にも影響が出ます。

悲しいことがあったら
「ちゃんと悲しむ」を
意識的にすることで
宿便みたいにならずに
快適に出していくことができます。

快適に出していければ
これも心の健康に
もちろん影響がでます。

すてきな影響が。

同じ世界でも
違って見えることでしょう。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。