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ヘイル・コロンビア!横浜の合衆国海兵隊兵卒(嘉永七年)

2012-06-04 20:34:06 | 幕末

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1854年3月、横浜の幕府応接所前にて。アメリカ海軍東インド艦隊二度目の日本上陸時のアメリカ海兵隊の兵卒です。
1852年式礼装を着用し、整列する姿が描かれています。
シャコ帽や燕尾式の制服の形状は1830年代のイギリス陸軍の制服に準じているみたいです。
1859年に服制が改まり、シャコ帽の形状変更とケピ帽の採用、フロックコート式制服へと変化しました。
白い負い革の胴乱や銃剣帯は1860年代末まで使われているみたいです。

この時期の海兵隊の服装は米墨戦争と南北戦争に挟まれてるせいかとても少ないです…。(さる資料と格闘しました…絵が少ないうえに細かい英文なんだもん)
シャコの帽章はたった一枚の兵卒の写真から復元。それ以前の陸軍と同じような鷲のみの図柄から、現在のものとよく似た錨の上にワシの止まった構図となってますね。
(でも1859年からは一時的にラッパ章になっちゃいますが)

持っている銃は古いM1816フリントロックマスケット銃を雷管式に改造した69口径滑腔式マスケット銃です。管打ゲベール筒ですね。
ミニエ式弾丸のP1855が採用された後も、南北戦争の第一次マナサス会戦あたりまで合衆国海兵隊(ほか多くの南北地上部隊も)は滑腔式マスケット銃を使用してました。

隣にいるのは「横浜上陸図」に描かれている日本の鉄砲同心で、旗印から小倉藩小笠原家中と思われます。
浅葱色の足軽半天に股引脚絆(膝がタッツケ袴っぽくふっくらと描かれてますが、洋式調練導入まで足軽が袴をはく風習はなかったようので股引にしました)、
肩には火縄銃の入った革製の鉄砲袋と思わしきものを担いでいます。

ちなみにこのころすでに、神奈川奉行所では異国船に備えて洋式砲に加え、長崎で購入されたフリントロック式マスケット銃が備えられていたそうです。

背景のペルリも1852年式礼装で描いてみたよ!ちょっと久○田ペリー入っちゃったけど…。

おまけ

こちらは前年の1853年、初めて日本に上陸した際の夏用トラウザーズの海兵隊員。
日本人が初めて目にしたマリンコーの軍装でした。


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