心の旅

やわらぎ住宅(株)の社長によるブログ。

観念と意識のはたらき

2011年01月08日 | 哲学
 12月15日(水)哲学学習会を会社で実施しました。

 参加人数は、8名でした。教材は、「自然の哲学」(上)田中 一著で第九話「観念と意識のはたらき」です。



雑感

 鬼に金棒

 先日、ネッツトヨタ南国の相談役、横田英毅さまのお話を聞くことができました。
 お話の中からたくさん学ぶことができました。
 
 横田さまのお話は、机上論ではなく、実際経営をされる中ででてきたことでありますし、また2008年のリーマンショックでも業績を伸ばしつづけてこられたという実績があります。
 
 この車の売れない時節に業績を伸ばすということは、何か人の心をとらえる本質的なものがない限りできるものではありません。
 
 ということで、私がなにを学んだかと申しますと、「経営とは、何かを変え続けること」、「対処ではなく解決」、「人間性尊重とは、考える、発言する、行動する、反省する、笑う、役に立つ、感動する、目的をもつ、目標をもつなど、人間にしかできないことをちゃんとするということ」、「他人に必要とされることが人間性尊重」、「鬼に金棒」、「顧客満足と顧客感動の違い」です。
 
 
 「対処ではなく解決」では問題が生じたときに、表面上つくろってやりすごすのではなく、真の原因を探り出し、根源からそのもとを断つようにすること、人間が、人間たる証を実現しながら生きていくこと、「鬼(人間性)に金棒(仕事力)」では、人間性を成長させることを重視していることです。

 「顧客満足と顧客感動の違い」では顧客満足は、お客様と約束したことを100%すること。
 顧客感動は、お金やモノではなく、工夫をして心に訴えかけるものということです。




 
 このように、経営とは、短期の利益を追求したりノウハウやテクニックにたよって急場しのぎをするのではなく、常に本質的な対処をすることが、人のやりがいを高め、それが、結果として業績につながるということです。
 これらのことを身をもって実践していきたいと思いました。



本日の学び
本話より抜粋
 観念とは脳のなかの物質的変化が示す客観的内容である。
 このいみはどういうことであろうか。
 また意識は現実に先行する。
 その理由は意識のなかに客観的実在の固有の法則がとらえられていることによる。

 本日学んだことは、現象、観念、意識、精神の関係です。

 人は、どのようにして外界に向かってはたらきかけ、変革しようとするのでしょうか。
 
 未来を予測するなどの人間の独自の特徴は、どのような過程で実行されるのでしょうか。
 
 まず、言葉の意味を確認しておきましょう。

 
 現象(外界)とは、観察されうるあらゆる事実であり、現実に起こっていること。

 
 観念とは、脳のなかの物質的変化が示す客観的内容にとどまらず、全体としてあるなにものかを意味しているのであって、このなにものかを観念と呼んでいる。
 
 このなにものかのなかみは、あるいは客観的世界に対応したもののこともあれば、思考によって得られたものであることもある。
 
 この脳のなかの物質的変化(原子・分子の状態の変化)が外界のなにかをあらわす脳のなかの記号(言語)に対応している。
 人間の発展のなかで脳の物質的変化全体が、外界の存在物や概念などと対応するようになったこと自身が重要なことである。

 認識について
 私たちが外界を認識するとき、私たちの脳はたんに外界からの情報をうけとり、そのまま認識するのではなく、外界の情報とすでに私たちが脳のなかに持っている情報や考え方などを材料として認識内容を構成しているということである。
 
 ここではすでに獲得している考え方や記憶の内容をかりに認識素材と呼ぶことにする。

 本能もまた長い進化の過程で外界にたいする能動的な反映として獲得されたものである。

 これらの認識素材と外界からの情報を合作するところに認識のはたらきの能動性がある。

 人は観念という形で外界を意識する
 脳のなかの物質的変化が生じてはじめて私たちはイヌを思い浮かべることができる

 観念は意識の内容である

 私たちの観念は、自然や社会の現象のある瞬間瞬間の断面に関する個々別々のものから、さらにすすんでこれらの内容の関連自身もまた観念として意識のなかに形成されていく。

 意識とは、人間は外界に向かってはたらきかけ、これを理解し、これを変革するようになったが、この活動のなかで決定的な役割を果たすのが意識である。

 人の意識のはたらきは外界を反映構成するものだというのが適当であろう。

 人は外界にたいする観念を用いて構成し、客観的実在の固有の法則を理解し、このような理解にもとづいて、外界の可能な変化を認識し、人間にとって必要な方向に変革する方法を見いだしている。

 

 精神について
 人はまずその最初の段階としての猿人は道具を製作しはじめ、社会的協同作業を重ね、言語を発展させてきた。脳の発達はいちじるしく、外界をひろく深く認識することができるようになった。
 
 こうして社会が発展して能動的なはたらきをおこなう意識、とくに科学や芸術などの高次のはたらきを行う意識、すなわち精神がきわめて積極的なはたらきをおこなうようになった。

 生命のない無機質的自然の長い変化、発展のなかから生命が生まれ、生きた存在としての生物のこれまた長期間にわたる生物進化の頂点として、人間に至って社会が生まれ、ついに意識・精神がつくりだされた。

 人間と社会と意識・精神は、とほうもなく長い間の物質的自然の歴史的な発展の所産なのである。

 自然はそのとほうもなく長い歴史をへたあと、新しい段階に突入するにいたった。
 それが能動的な意識の発生であり、意識的変革という自然の新しい発展の仕方の誕生である。

 人間は、自然と社会を意識的に変革していくことができるはじめての存在である。
 そしてそのなかで決定的な役割を果たすのが、意識・精神の能動性である。


と著者はいっています。
 これを私なりにまとめますと次のようになります。





 現象→(認識)→観念→意識→精神、この概念を理解すると人間がどのようにして進化してきたのか、すなわち私たち人間しか、社会や自然を変革していくことができないということがよくわかりますね。

 今の世界を見れば、個人や国家という単位で、全体の利益を考えずに自分たちの都合のよいようにばかり、変革してきているのがよくわかります。
 
 そうしますと、私たちのすべきことが明確になってきます。
 
 世界が平和に、人類全体が共存・共栄でき、一人ひとりが喜びを込めて生きいきと生きていけるように社会や自然を変革していくのが、私たちの役目ではないでしょうか。

 
 それにしましても、認識の奥にある、私たちが獲得してきた考え方や記憶の内容すなわち、認識素材と、意識の奥にある、考えの奥深くにあるイデオロギー、道徳、宗教、国や民族という意識素材が世界の変革に大きな影響を及ぼしていることがわかりました。

 そして世界全体が「よい世の中にしよう」という理念をもたない限り、多様性の共生というものは言葉ばかりで現実には、逆方向に働き、収拾のつかない世界になっていきます。

 世界をよい方向へ導くためには、人間が生まれたときからの正しい教育が必要ですし、われわれ自身がそれを身をもって示すことが重要であることがわかりました。



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