その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は守屋 淳さんの『 勝負師の条件 同じ条件の中で、なぜあの人は卓越できるのか 』です。

【まえがき】

『孫子』を読んだ同士が戦ったら、どうなるのか

 筆者はもともと中国古代思想の専門家であり、とくに兵法書の『孫子』の解説書を何冊か上梓してきた。
 『孫子』とは、一言でいえば戦略の本だ。自分が軍隊の将軍だったとして、ライバルの知らない戦略やかけひきを自分だけが『孫子』から学べるなら、勝てる確率は高くなるだろう。
 しかし、もしお互いが同じように『孫子』を学んでいたら、こと知識の面では差がつかなくなる。このとき、お互いの戦力も似たり寄ったりだったとしたなら、何が勝敗を決めるのだろう。
 指揮官の知的な能力に焦点をあててみるなら、非常にプレッシャーの厳しい環境の中で、人並みすぐれた洞察力や判断力、さらには学んだ戦略に対する応用力を発揮できるかどうかが、大きく問われてくるだろう。あとは、これも能力と呼べるのなら、運の良さも必須だ。
 これは軍事での話だが、情報が氾濫する現代社会においても、似たようなことが多くのジャンルで起こっている。
 たとえば将棋の世界。

 ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走りぬけた先では大渋滞が起きています1

 有名な羽生善治棋士の「高速道路論」だ。将棋は今、主要な対局をネットで同時生中継しているため、素晴らしい新手を指したとしても、あっという間に周囲にそれがバレ、対策を考えられてしまう。また、将棋ソフトを使っての学習も盛んだ。豊富な情報を活かしてお互いがお互いに学び合うため、ある程度のレベルまではみな高速道路を走るようにスイスイ行けるが、みな似たようなレベルで頭打ちになって渋滞、先に行きにくくなってしまう。
 また、企業間の競争でも次のような指摘がある。

 ここで、経営コンサルタント業界の小さな暗い秘密をお教えしよう。ある企業のために独自の戦略を策定するのは極端にむずかしいし、業界の他社の動きとはまったく違う戦略を策定した場合、それはおそらくきわめてリスクの高いものなのだ。その理由はこうだ。どの業界も経済モデル、顧客が表明する期待、競争構造によって枠組みが決まっており、これらの要因は周知のことだし、短期間に変えることはできない。
 したがって、独自の戦略を開発することはきわめてむずかしいし、開発できたとしても、それを他社に真似されないようにするのはさらにむずかしい。たしかに、コスト構造や特許で、他社の追随を許さない強みを持つ企業がないわけではない。ブランド力も競争上の強力な武器になり、競合他社はこの面で業界のリーダーに追いつこうと必死になっている。しかし、これらの優位が他社にとって永遠に越えられない壁になることはめったにない。
 結局のところ、どの競争相手も基本的におなじ武器で戦っていることが多い2
1『ウェブ進化論』梅田望夫 ちくま新書 二〇〇六年
2『巨象も踊る』ルイス・V・ガースナー・Jr 山岡洋一 高遠裕子訳 日本経済新聞社 二〇〇五年

 IBMを立て直したことで有名なルイス・ガースナーの言葉だ。彼はもともとマッキンゼーでコンサルタントをしていた。
 確かにこの指摘の通り、大企業同士の競争というのは、消費者の目から見れば似たり寄ったり。企業名を隠してしまえば見分けのつきにくい製品やサービス、広告、販売戦略が氾濫している。
 しかし、このように情報が飽和し、お互いが似てしまわざるを得ない状況のなかでも、抜群の成果を生み出し続けられる人たちがいる。人並み外れた洞察力や判断力の持ち主たち、といってもいいだろう。
 いったい彼ら彼女らは、なぜそのようなことができてしまうのか。これが本書のテーマに他ならない。

AIが判断しきれない状況のなかで

 本書のタイトルにある「勝負師」とは、一般的には、
「勝ち負けがはっきりつくような世界で、ひたすら勝ちを目指すべく執念を燃やす人」
「勝負事において、沈着に状況を見すえて、大胆な手で成果をもぎ取ってみせるような人」
 といった意味で使われる。老練なチェスのグランドマスターや、ポーカーフェイスを崩さない辣腕の賭博師など、そんなイメージの典型だろう。
 この本では、もちろんそのような意味も含ませてはいるが、ビジネスや生き方なども含めた、もう少し幅広い領域を対象に考えて、少し意味を広げている。
 なぜなら近年、チェスや将棋、囲碁、ポーカーなどに象徴される「勝負事」の世界では、AIが破竹の勢いで人間を圧倒していく事態が進んでいったからだ。
 こうなると、
「勝負事においては、ベストな判断はAIができる」
 という話になってしまう。「勝負師はAI」で本書の記述は終わりになる。
 ただし、もちろんこれは特定の領域での話だ。
 ゲームやスポーツは、限定された土俵とルール、構成要素の枠内ですべてが進んでいく。つまり、競争の領域が外部に対して閉じているのだ。競技中に突然、競技盤のマス目が増えたり、駒の数が増減したりはしない。
 また「完全情報ゲーム」という言葉もあるが、ボードゲームであれば、お互いの手の内も、判断に必要な情報もすべて盤の上に一目瞭然だ。カードゲームだと、相手の手の内がわからないが、カードの数と種類が限られているので確率や統計での処理が可能だ。
 こうした、限定された情報を論理や確率、統計で扱えるようなジャンルは、計算能力の高まったAIの独壇場であり、実際、人間はAIにまったく勝てなくなってしまった。
 一方、ビジネスや人生では、何か重要な決断をするときに必要な情報がみな揃っていることなど滅多にない。しかも領域が外部に開かれているため、環境やルール、構成要素、前提条件のチェンジが当たり前の世界だ。
 ボードゲームでいえば、盤面の一部が見えなかったり、ゲーム環境や構成要素がいつのまにか変わったり、自分の駒が反抗や面従腹背したりする。しかもルールを自分に有利にしようとお互いゆがめ合う上に、こちらが立ち止まって考えている内に、ライバルたちはどんどん先へ行ってしまう。こちらが何か手を打つまで、礼儀正しく待ってくれなどしない。
 さらに外部からの影響で、未知の構成要素が大量に入り込んできたり、土俵やルール自体も引っ繰り返されたりする。ビジネスにおけるイノベーションは、この典型だ。
 このような環境では「前提条件」「枠組み」「基本的な構成要素」「判断に必要な情報」も移ろうため、論理や確率、統計ですべてを片付けることなど不可能でしかない。AIでも扱えないような局面がしばしば出てきてしまう。
 もちろん、ある領域が外部に対して閉じているか開いているかは、二分法ではなく、グラデーションや入れ子状になっている。
 このような状況を踏まえ、本書では、より開いた領域の側に重点を置きつつ、
「誰しも判断を間違えてしまう複雑きわまりない競争状態のなかで、他人よりすぐれた判断ができる人」
 の有り様を探究していく。これが可能な頭脳を持つ人が、本書における「勝負師」の意味になる。

勝負師たち

 奇しくも筆者は、二〇〇五年くらいから経営者や起業家、コンサルタント、ファンドマネージャー、弁護士、会計士、自衛官、政府関係者、学者、格闘家、芸術家といった方々と、複数の中国古典の勉強会を続けてきた。また、雑誌連載や単行本執筆のために、多くの経営者にインタビューをお願いしてきた。そのなかには、まさしく、
「誰しも判断を間違えてしまう複雑きわまりない競争状態のなかで、他人よりすぐれた判断ができる人たち」
 が、含まれていた。そうした人々の発言や、古今東西の「勝負師」たちの著作を突き合わせていくと、そこにはいくつかの共通点が浮かび上がってきた。
 本書は、その共通点を筆者なりに腑分けし、分析したものに他ならない。
 本書には数多くの「勝負師」が登場するが、なかでも登場回数の多い四人の方がいる。いずれも、縁あって筆者が長い時間お話をうかがうことの出来た方々であり、本書の大枠はこの四人の方々の見識を筆者なりに体系づけ、注釈をつけた内容だともいえる。本編に入る前にその人物像をご紹介したい。一章からの登場順に――
 和田洋一氏。
 一九八四年野村證券入社、二〇〇〇年にスクウェアに入社、二〇〇一年倒産の恐れのあった同社の社長に就任し再建、二〇〇三年エニックスとの合併を果たし、スクウェア・エニックス(現スクウェア・エニックス・ホールディングス)代表取締役社長となった。二〇一三年の退任までに売り上げ規模を五倍以上にする。
 また、社団法人コンピュータエンターテインメント協会会長、経団連の著作権部会長などを歴任、業界の健全な発展のための自主規制等を進め、二〇一六年藍綬褒章を受章。
 筆者は二〇〇九年、経済同友会での「論語と算盤読書会」でご一緒し、和田氏があまりにも卓越した見識を披露されていたため、ぜひさらにお話をうかがいたいと会社に取材に出向き、さらに勉強会にもお誘いして、指導を賜っている。
 酒巻久氏。
 一九六七年キヤノン入社、VTRの基礎研究や、巨人・ゼロックスの牙城を崩した複写機の開発にかかわる。当時、キヤノンからの攻勢に業を煮やしたゼロックスが、酒巻氏に引き抜きをかけたという逸話もある。
 その後も、ワープロやデジタルカメラの開発、スマホの祖の一つというべきNAVIの開発などにかかわる。NAVIを絶賛したスティーブ・ジョブズから共同開発を持ち掛けられ、NeXTキューブやNeXTステーションにもかかわる。ただし、NAVIもNeXTも、時代に先んじ過ぎていてプロセッサーとメモリの性能が追いつかず、また値段も高く売れなかった。キヤノンはここで諦めたが、ジョブズはこの後も粘り続け、後のiPadやiPhoneへとつなげていく。
 一九八九年取締役システム事業部長兼ソフトウェア事業推進本部長。一九九六年、常務取締役生産本部長。一九九九年より、海外からの引き抜きの誘いを断ってキヤノン電子社長となり、就任六年で利益率一〇%超の高収益企業へと成長させる。
 筆者はクラウゼヴィッツの『戦争論』の戦術を酒巻氏がうまく活用しているという雑誌記事を読んで、お願いして取材させて頂き、以後何度かの長時間インタビューを通じて教えを受けている。
 大森義夫氏。
 一九六二年に警察庁に入庁後、警視庁公安部長、警察大学校長などを歴任。警視庁公安部外事第一課長時代には、ソ連情報の専門官であった宮永幸久(ゆきひさ)陸将補が、ソ連に内部情報を流していることをつきとめ(宮永スパイ事件)、捜査を指揮し逮捕した。
 その後、一九九三年~九七年まで、内閣官房内閣情報調査室長を務める。この間、政権交代が二度あったが、他に替え難い人材ということで宮澤喜一、細川護熙(もりひろ)、羽田孜(つとむ)、村山富市、橋本龍太郎各首相に仕えた。
 さらに、退官後はNECの専務取締役や外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」座長、日本文化大学学長を歴任した。「情報マンは目立ってはいけない」と、すべての叙勲を固辞し、二〇一六年逝去された。筆者にとっては十年以上にわたって中国古典の勉強会をご一緒した恩師であり、物故者ではあるが「氏」をつけさせて頂く。濁流のような世界にいながら、高潔、清廉としか言いようのない人柄の方だった。本書を、師に捧げたい。
 最後に、澤上篤人(あつと)氏。
 若い頃スイスに単身乗り込み、一九七〇年から七四年までスイス・キャピタル・インターナショナルにて金融業界で修行を積んだ後、アナリスト兼ファンドアドバイザー。その後、一九八〇年から九六年までピクテジャパン(現・ピクテ投信)代表取締役。ピクテは世界最大級のプライベートバンクであり、顧客資産の保全と長期運用で、二百年を超す歴史を誇る。
 一九九九年、日本初の独立系投資信託会社さわかみ投信株式会社を設立、当初は個人で十億円の負債を負うなどの苦労を重ねるが、現在、顧客数では十万人超のファンドに成長させた。さらに他の長期投資会社設立も多数支援して、日本に長期投資を定着させた。
 筆者は、十五年以上も中国古典の勉強会をご一緒し、その見識を学ばせて頂いている。
 この他にも数多くの方々に本文ではご登場願っている。匿名の方も含まれるが、まずは、こうした方々に深甚な感謝を捧げたい。
 また、本文にお名前を出した方以外では、将棋については酒井秀夫氏、囲碁については梅木大輔氏、麻雀については小林聖氏、コーチングについては原口佳典氏に、金融については山下哲生氏にそれぞれご教授頂いた。株式会社マリオンの福田敬司社長には大森氏との勉強会を、アルバ・エデュの竹内明日香氏、西村あさひ法律事務所の宮坂彰一氏には、和田洋一氏や相澤利彦氏など大勢の勝負師たちが参加する勉強会を立ち上げて頂いた。『最高の戦略教科書 孫子』以来、編集を担当する白石賢氏、筆者を支え続けてくれた家族も含め、同じく心よりの感謝を献じたい。

【目次】

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