その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は北村周平さんの『 民主主義の経済学 社会変革のための思考法 』です。本書は週刊ダイヤモンドの2023年「ベスト経済書」(2023/12/23・30 新年合併特大号)にてランキング第8位に選出されました(2023年12月18日追記)。

【はじめに】

「日本は沈みゆく泥舟」

 先日、国際的に有名なとある建築家の方が、兵庫県立美術館での講演会で、今の日本を指してこのように表現されていました。なかなか過激ですが、当時の私にとってしっくりくる表現でした。

 しかし、同時に反発したくなりました。自分自身のことに限らず、家族や友人のこと、あるいは次の世代のことを考えたときに、その「泥舟」に乗り、沈みゆくさまを単に眺めているのは嫌です。

 それでは、この「泥舟」を「最新鋭のクルーザー」か、 あるいはせめて「木製の舟」に作り替えるにはどうしたらよいでしょうか。

 そうするためには、「泥舟」の乗組員である私たちが、何らかの方法で社会を変えるしかありません。誰かがやってくれるというより、一人一人が携わらないといけません。一朝一夕ですぐ変わるものではないかもしれませんが、例えば、五年後、十年後、あるいは二十年後のためには、今から動き出す必要があります。

 この本では、社会変革のための1つの思考法を学びます。

 本のタイトルにもある通り、この本のテーマは民主主義です。民主主義に関しては、これまで政治学や法学、思想史など、さまざまな分野の専門家が本を書いてきました。この本の読者の中にも、すでにそれらをお読みになった方がいらっしゃるかもしれません。

 一方、この本では、それらの本とは少し違った切り口から、つまり私の専門である経済学の視点から民主主義を眺めます。

 経済学と聞くと、企業や労働者や景気の話など、経済に関する研究をしている学問というイメージを持たれるかもしれません。しかし、実は政治も扱う学問なのです。例えば、税金や社会保障は経済活動と深く関係していますが、それらの政策を最終的に決めているのは政治です。こう考えると、政治と経済は切っても切り離せない関係にあることがわかります。

 なお、あらかじめお断りしておくと、この本の主眼は、民主主義の歴史・理念を解説することや、好ましい政治制度を議論することではありません。むしろ本書の中では、経済学という1つのレンズを通して目の前に存在している民主主義を論理的に理解します。

 例えば、民主主義の根幹である選挙制度について考えてみます。

 そもそも、私たちはどうして選挙に行く必要があるのでしょうか。仮に誰かに選挙に行く理由を聞かれたら、読者の皆さんは何と答えますか。

 学校や家庭では、選挙に行きなさいと教わることがあるかもしれません。しかし、その理由まで教えてくれたでしょうか。少なくとも私の場合は、誰も納得のいくかたちで教えてくれませんでした。そして、ようやくその理由を教えてくれたのが、私が大学院時代に出会い、この本でご紹介する、新しい政治経済学(Political Economics、あるいは Political Economy)なのです。

 本書の中で一つ一つ解説していきますが、選挙にはいくつかの役割があります。そのうちの一つが、政治的アカウンタビリティ(政治的説明責任)を機能させるというものです(詳しくは、第7章でお話しします)。これが上手く機能していれば、政治家にきちんと有権者の代表として働いてもらうことができます。そして、上手く機能させるためには、読者の皆さん一人一人の力が必要になります。

 このように、本書では、私の専門である新しい政治経済学の助けを借りて、民主主義の仕組みについての理解を深めます。その中で皆さんにお伝えしたいのは、

民主主義にはクセがある

ということです。そのようなクセを理解することは、民主主義を上手く機能させることにも繋(つな)がります。この意味で、本書は、民主主義のある種の「攻略本」と言えるかもしれません。

 さて、本書で扱う新しい政治経済学について少しだけお話しします。「政治経済学」という言葉自体は、これまでさまざまな文脈で使われてきました。今は経済学と呼ばれている学問も、昔はそのように呼ばれていたこともあります。また、少しややこしいのですが、政治学にも同じ名前の分野があります。より身近なところでは、インターネットで「政治経済学」と検索をかけると、「○○の政治経済学」という本がたくさん出てきます。

 新しい政治経済学は、それらとは少し意味合いが異なります。以降は、この「新しい政治経済学」を単に政治経済学と呼びますが、これは、比較的新しい経済学の一分野です。一言で言えば、経済学のツールを使って、さまざまな政治的な事象を分析する分野です。経済学は、例えば、労働について分析する労働経済学、発展途上国の諸問題について分析する開発経済学、人間の行動について分析する行動経済学という感じで、いくつかの分野に分かれています。同じように、政治的な事象について分析するのが政治経済学です。具体的な分析対象は、選挙であったり政治家であったり、あるいはメディアと政治の関係であったりします。数理モデルを使って理論的に分析したり、データを使って実証的に分析したりします。政治学との接点が多い分野でもあり、学間をまたいだ交流もあります。

 この政治経済学、私自身はとてもおもしろい分野だと思っていますが、日本ではまだあまり知られていません。その意味で本書は、政治経済学の包括的な入門書としては、初めての試みと言えます。主な読者として想定しているのは、政治や経済を学んでいる学生さんや、これらについて強い関心のある一般の方です。このため本書は、可能な限り難しい表現は避けつつも、政治経済学の最低限の知識をカバーできるように構成されています。読み終わる頃には、大学の学部生ぐらいの政治経済学の知識が身についているはずです。授業の教科書としても使っていただけると思います。

 本書のほとんどの章では、政治経済学の代表的なモデルと、それに関連する代表的な実証研究を紹介します。代表的なものとしては、主に「古典的」な研究を中心に紹介します。その理由は、教科書的な意味合いを持つ本書の主眼が、どちらかというと基礎固めにあるからです。しかし、可能な限り最新の研究も紹介しています。全体的に、政治経済学の知識として最低限知っておいてもらいたい研究を選んでいます。

 本書の章立て(見取り図)は、以下のようになっています。

 まず、第1章では、話の導入として、民主現代の民主主義と経済の発展の関係について見ていきます。この章では、原題の民主主義に至るまでの歴史の話をします。

 続く第2章からは、現代の民主主義に話を移します。最初の章では、第3章以降に進むための下備をします。 そこでは、経済的な「右寄り」と「左寄り」の違いは何かということを中心に解説します。また、因果推論の考え方についてもご説明します。

 そして、第3章から第9章が、政治経済学の基礎的な話です。まず、第3章から第5章にかけては、選挙で選ば れる政策の特徴について見ていきます。そこでは、特定の有権者の好みが政策に色濃く反映されることを明らかにします。

 第6章では、政治家も一市民であるという立場から、どういう市民が選挙に立候補し、どういう政策が実行されるのかについて見ていきます。その結果、極端な政策が選ばれることがあり得ることを示します。

 第7章では、選挙には、政治家を有権者のために働かせる役割があることを見ます。そこでは、現職の再選 意欲が重要な役割を果たします。しかし、第8章では、それが原因で選挙前後の政策が影響を受けることを示します。

 第3章から第8章で着目するのは、有権者と政治家・候補者の駆け引きですが、続く第9章では、政治家同士の駆け引きに着目します。そのような駆け引きの結果、政策にも影響が及ぶことを示します。

 そして、最後の第10章では、応用の話としてメディアを取り上げ、その役割について見ていきます。第1章で取り上げるテーマとともに、現在盛んに研究が行われているテーマです。

 それでは、民主主義の仕組みについての理解を深めつつ、私たちの住む社会をどうしたらより良い社会にしていけるか一緒に考えていきましょう。


【目次】

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