その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はエルブリッジ・A・コルビー(著)、塚本勝也、押手順一(訳)の『 拒否戦略 中国覇権阻止への米国の防衛戦略 』。「日本語版への序文」です。

【日本語版への序文】

大国間紛争の時代における米国の防衛

 本書の冒頭で、もはや米国の一極時代は過ぎ去った事実を認めよ、という重要なメッセージを米国人に送っている。現実の世界情勢、とりわけ中国の台頭という現状を直視し、自らの主たる利益を冷静に認識するとともに、この状況に対応した外交・防衛政策を論理的に調整していくことが彼らにとって不可欠となる。本書では、それを最適に行える方法を示し、米国の外交・防衛戦略の重大な変更が必要と主張した。中国の急速な台頭を踏まえると、米国がこうした変更を行うのは喫緊の問題となりつつある。

 だが、米国人にとって切迫した状況なら、日本人にとっては不安なほど恐ろしい情勢だろう。冷戦後の米国の外交政策が大国間競争という新たな世界に適していないのは明らかである。しかし、米国は世界の二大経済大国の一つであり、豊富な天然資源と国土を有し、世界最高と広く評価される軍事力を誇っており、出現し得るいかなる競争相手からも二つの大海で守られてもいる。それゆえ、中国の強大化するパワーによる影響は比較的緩和されている。

 それに対して、日本が直面する難局ははるかに深刻である。日本にとって中国の台頭は、米国とは違ってどこか遠くの抽象的な問題ではない。むしろ、切迫した脅威である。中国は成長を続ける途方もない大国であるのに対し、日本は比較的小さな島国であり、生命線である国際貿易に深く依存し、中国のすぐ隣に位置している。中国は経済力で日本の数倍の規模を誇り、日本に対して顕在的・潜在的な領有権の主張を行い、さらに日本周辺の空域や海域において自国の力を誇示するために次第に軍事力を活用するようになっている。また、中国での戦争の歴史ゆえに、日本に対しては特別な敵意を抱いていることは言うまでもない。さらに悪いことには、中国は自らが支配するアジアの秩序の一部として、日本を朝貢国のような立場で従属させたいと強く望んでいることが次第に明らかになりつつある。

 それと同時に、日本の従来の安全保障・軍事政策に加え、より根本的には地政学や戦争と平和に対する日本人一般の態度は、中国の覇権への野望に対応するには全く不適当であり、抵抗するのであればなおさらである。日本が伝統的態度をとる背景についてはもちろんよく知られている。一九四五年以降、日本は独自の軍事的政策を放棄し、自国の防衛の大部分を本質的に米国に委託してきた。この政策の起源はマッカーサー(Douglas MacArthur)元帥のもとでの占領行政であったが、日本人は熱狂的にそれを受け入れ、安全保障領域でもっと貢献せよという米国の圧力に一貫して抵抗してきた。日本人の大半は平和主義そのものではないにせよ、それにかなり近い態度をとってきた。第二次世界大戦の恐るべき経験を経て、ほとんどの日本人がいかなる軍国主義の残滓も喜んで捨て去ったのである。

 戦後数十年にわたり、日本にとってこのアプローチは非常にうまく機能してきた。日本の中核的な安全保障や領土の一体性に対する深刻な脅威があったとしても非常にわずかであり、海外におけるいかなる軍事行動にも参加してこなかった。ほとんどと言ってもいいかもしれないが、多くの日本人にとって、日本は地政学と軍事バランスの世界とは決別し、経済・社会発展に集中できるように思えたのである。

 多くの日本人は「歴史の終わり」が到来したように感じているかもしれないが、本当の終焉はもちろん来ていない。日本の非軍事政策の非常に重要な実際の前提条件は、国際政治の仕組みが根本的に変わったことではない。むしろ、日本が米国と同盟していること、とりわけ日本周辺における米国の軍事的優位、すなわち北東アジアで米国の空・海軍力に立ち向かえる国家はなく、その結果として日本がほぼ鉄壁の守りのもとにあるという単純な事実こそが前提である。この尋常ならざる利益によって、隣国の韓国が侵略を受け、中国とインドシナが共産党の支配下に陥っても、日本は守られてきたのである。

 しかし、北東アジアにおける米国の軍事的優位はもはや過去のものとなっている。その理由は中国であり、そのまさに異常な軍備増強ゆえである。一世代のうちに中国は悲惨なほど貧しい国家から近代的な経済大国となり、いまや世界最大の経済国として米国と競うほどになった。中国は単純にその規模と数だけで発展しているわけではなく、グローバルな技術開発の最前線でも鎬を削るようになっている。

 中国はこの並外れた成長を利用し、自国の軍隊を根本的に改編し、近代化している。一世代前には実質的な戦力投射能力の全くない、技術的に遅れた軍隊から出発したが、いまやハイテクで一流の軍隊を順調に整備しつつある。この軍備増強は自国の力をより遠くに広く投射することを狙っており、直近では西太平洋全域を目標としているのは明らかである。現時点において、米海軍を規模で上回る巨大で近代的な海軍、高性能のミサイル戦力、自らの意志を海外に強制するための海兵隊や空挺部隊、それらの部隊による目標設定(ターゲティング)や統制を可能にする衛星システム、広範囲に展開する軍を支援するアジア域内外の基地などを築き上げている。

 従来までの西太平洋で突出した米国の軍事的優位が劇的な形で揺るがされる結果となり、この点は二〇一八年に公表された「国家防衛戦略」以来、米国防総省が近年になって繰り返し、明確に示している。実際に、米国がアジアにおける中国との戦争に勝利できるかが問題となりつつある。最も豊富な情報に基づく分析によると、西太平洋を中心とする紛争で勝利するのは、米国とその同盟国か、あるいは中国なのかについて深刻な疑問が投げかけられている。

 こうした状況は日本にとって最も切迫したものであり、重大な重要性を持つ。七五年間、いかなる国家が領有を狙っても、敵意を持っていたとしても、日本に手を出すことはできなかった。圧倒的な実力を誇る米国の海・空軍力がそれを防いでいたのである。いまや状況は大きく異なっている。中国がその障壁を突き破る可能性がかなり高まっている。その結果、日本は非常に直接的な形で中国の軍事力に対して脆弱になりつつある。

 したがって、大規模で直接的かつ現実的な軍事的脅威の高まりという、国家として対応すべき最も根本的な変化を日本は経験しているのである。

 たしかに、日本はこの新たな危機的状況に適応し始めており、防衛費の増額、自衛隊の南西方面への再配置、そして新たな軍事能力の開発などを明らかにしている。しかし、危険な現状を踏まえると、率直に言わねばならないが、こうした変化はこれまでのところかなり漸進的なものである。日本の防衛費が国内総生産(GDP)の二パーセントに達するのは二〇二七年である。この二〇二七年までに台湾を攻略して従属させる準備を完了するよう習近平は中国軍に対して指示しているし、台湾をめぐる事態は日本自身の安全保障にとっても非常に重要であると日本政府が明らかにしている。さらに、依然として多くの日本人が、深刻な危険にほとんど直面していなかった過去の無邪気な、あるいは疑似平和主義的な態度にしがみついたままである。

 中国の台頭の結果として生じた歴史的・構造的変化は、日本のほぼ漸進的・段階的な変化とは比べものにならない点に着目してもらいたい。この変化の規模感を示すものとして、米国は一九世紀末から世界をリードする経済国であったが、現在では中国が経済規模で米国を凌駕する勢いである事実が挙げられよう。これは全く新しい状況である。東西冷戦期に米国はソ連を圧倒していたし、第二次世界大戦中は米国“だけ”で枢軸国三カ国すべてを上回る経済力を有していた。かつてナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)は、中国が目を覚ませば世界を震撼させると言ったとされる。ナポレオンが本当にそのようなことを言ったかどうかについて論争はあるが、習近平がこの言葉を引用したことには争いの余地はない。その結果として、習近平自身も述べているように、過去一〇〇年間にはなかったような変化が起こりつつあるのである。

 こうした状況において、中国の台頭やその強まる高圧的態度に対応するために日本がなすべきことは多い。しかし、日本は何をどのようになすべきだろうか。その答えは明確ではない。日本は多様な地政学的・軍事的戦略を追求できる。だが、日本が誤ったアプローチをとれば、その結果は壊滅的なものとなり、場合によっては国家を滅ぼすものにすらなる可能性がある。日本の安全、自由、繁栄はこの決定の成否にかかっているのである。それゆえ、自国がどのように進むべきか慎重かつ明確に考え抜くことがきわめて重要なのである。

 そうした検討には、国際政治の基礎的な要素についての透徹した現実的な方法による評価を行い、次にその要素を自国が直面している状況に当てはめる作業が含まれる。本書はそうした作業の手助けになることを意図している。たしかに、本書は米国の利益を前面に出して記述されている。しかし、筆者としては二つの重要な理由から、日本の読者にとっても有用なものになることを願っている。

 第一に、本書は日本の状況に対応するうえで直接適用できる。その理由は、本書が明確な論理的枠組みと整然とした体系的なアプローチによって記述を展開しているからである。このアプローチと本書の分析手法は米国の状況と同じく、日本の難局にも簡単に適用できるし、実際に本書では日本についても多少記述している。たとえば、オーストラリアは、二〇二三年に公表された「国防戦略見直し」において「拒否戦略」を採用している。したがって、自国の安全、自由、繁栄を確保しようとする日本が、本書を読んで理解することから裨益するのを願っている。実際に、この邦訳が、はるかに危険な時代に自国の安全保障をいかに確保するかについて日本独自の思考を促し、手助けになることを強く願っている。

 第二に、中国による日本を含むアジアの支配を阻止するうえで米国が果たす死活的な役割を踏まえ、日本では米国の論争を理解しようとする関心が非常に強い。本書によって、日本の読者は米国内の論争の現状と方向性について、より明確に分かるようになるだろう。本書の主張は米国内で合意が得られているわけではない。だが、その多くは広い支持を受けており、影響力は広がっていると言っても過言ではないと考えている。米国防総省は、台湾に集中した「拒否的防衛」の戦略を承認したと公式に表明しているし、台湾防衛への備えは「基準を設定する(pacing)シナリオ」であると述べてきた。本書自体も、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙で二〇二一年の書籍ベスト・テンの一つに選ばれたし、同紙や『フォーリン・アフェアーズ』誌を含め、さまざまな政治的立場の媒体で好意的な評価を受けている。それゆえ、本書は米国の政策の方向性をめぐる議論について日本の読者の理解を促し、議論する手助けとして役立つはずである。

 平和を守ることが本書の狙いである。平和を心から願っても、ただ願うだけでは実現できない。まさしく暴力の脅威を抑止するために、その脅威について主体的に考え抜き、それに備えなければならないのである。道徳主義は道徳と同義ではなく、理想主義は平和の促進を意味しない。それが政治の本質である。日本人の多くにとって、こうした現実を認識するのは間違いなく困難を伴う不愉快なことだろう。だが、未来の安全、自由、繁栄を願う、日米を含むあらゆる国家の人々にとって、この危機を無視し、目を背けたことで招く恐るべき帰結に苦しめられるよりも、脅威の現実を直視し、備えたほうがはるかに望ましいのである。

 こうした作業には、明確な思考と急激に変化する意志が必要であろう。しかし、この作業に取り組む意志があるなら、極端な措置を自暴自棄にとってはいけない。有名な格言にもあるように、変わらないために変わり続けなければならない。この難問に立ち向かい、最終的に適切な平和を維持するための日本の進化に、本書が寄与することを願ってやまない。

【目次】

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