私たちの脳はいわば「予測する機械」ですが、その限界をしっかり理解し、知識と経験を超えた創造的な思考力を高めることが求められます。名著『 ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質(上)(下) 』(ナシーム・ニコラス・タレブ著/望月衛訳/ダイヤモンド社)を、ボストン コンサルティング グループ(BCG)の佐々木靖さんが読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

なぜ予測をするのか

 私たちは日々の意思決定において、少し先の未来を読みます。企業は中期計画策定と銘打って3~5年の計画を一定の環境予測の下で行います。しかし、『ブラック・スワン』の著者タレブは、予測という行為は私たちの手に入る道具をすべて使っても複雑すぎると言います。

 タイムマシンで中世の時代に戻り未来(今の世紀)を予測するとします。予測を的中させるには蒸気機関車、電気、インターネットといった主要な技術革新をすべて当てないといけない。将来発見される重要な科学技術がわかっていなければ、将来の予測は本質的にはできないのです。

 しかし、それがわかっているなら科学技術の開発をその時点で始められます。加えて、技術進歩の予測には社会(消費者)への波及を左右する要素の予測も含みます。しかし、社会への波及の可能性は、実際には技術の優劣とは関係なく決まることが多いのです。

 では、私たちはなぜ予測をし、計画を立てようとするのか。答えは人間の性分にあるとタレブは言います。計画性は人間の人間たる部分、つまり意識に組み込まれていると。将来を予測し、その予測を通じて危機を回避することができる。例えば、目の前の人に悪口を言った結果を頭の中でシミュレーションすると、その人から仕返しを受けることが想定できます。

 このような思考により、私たちは自然淘汰の働きから逃れることができるのです。それができない原始的な生物はいつも死の危険と隣り合わせで、一番優れたものが生き残ることによる遺伝子の改善によってしか進歩できません。予測する性向を持ったおかげで、私たちは進化の基本法則から逃れることができるとタレブは分析します。

 私たちの脳はいわば「予測する機械」。不確実性が増大する「果ての世界」(連載第2回「 『ブラック・スワン』 “月並みの国”か、“果ての国”か 」参照)で生き残るためには、予測する機械の限界をしっかり理解し、知識と経験を超えた創造的な思考力を高めることが求められるのです。

私たちは予測する性向を持っている(写真/Shutterstock)
私たちは予測する性向を持っている(写真/Shutterstock)
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単純化の罠

 今回は予測する機械の限界を知る意味で、私たち自身の心の働き方・頭の使い方をもう一段深く理解することを試みましょう。

 私たちは身の回りの世界の意味を理解するために、常に物事を単純化して見ています。ビジネスの世界でも同様です。市場のセグメンテーション(細分化)はあくまでも概念上の区分であり、実際の市場と同じではないのです。

 私たちは現実を解釈する上で、モデルやコンセプト、フレームワークを作り出します。これらを活用することで思考や検討ができるようになるのですが、注意が必要なのは、それらは現実を正確に表現したものではなく、あくまでも作業上の仮説だということです。タレブは、私たちにはこの単純化の罠(わな)に陥ることで、合理的な判断を誤る危険性があると指摘します。

 本書に掲げられている次の2つの文章を比較してみましょう。
(A)王が死んだ、女王が死んだ
(B)王が死んだ、それから女王が悲しみのあまり死んだ

 B)は講釈を入れることにより情報の次元が下げられています。因果や講釈に乗って、起承転結のある話に組み立てられます。事の真実は(B)ではなく、因果関係はまったくないかもしれません(例:王が感染した病気が、その後に女王に感染して、女王の感情とはまったく関係なく後追い的に死んだ)。私たちは単純化したストーリーを好み、そう理解しようとする性向を持つため、無意識のうちに記憶(真実)を書き換え編集してしまう危険性を持っているのです。

 同様に私たちは、地図と本物の地面を取り違えて純粋で扱いやすい「型(パターン)」や「枠組み(フレームワーク)」で物事を見る傾向があるようです(タレブは古代ギリシャの哲人プラトンの洞窟の比喩からこれを「プラトン性」と呼びます)。そのため私たちは、実際にわかっていること以上のことをわかっていると錯覚します。

 どうも私たちには生まれつきパターンを探す性質が備わっているようです。情報の選択と解釈にはコストが伴う、それがゆえに私たちはいつも法則や解釈に飢えている。加えて、厄介なことに実際に起こったことに関する情報を過大評価するのです。

異常値の扱い

 タレブはモデルやフレームワークを活用することの有効性を必ずしも否定しません。実際、ビジネスの世界で型や枠組み、そしてストーリーの持つ威力は大きいのです。単純化は非常に強力な問題解決の武器ともいえます。

 私のようなコンサルタントにとって、極めて重要な思考とコミュニケーションのツールです。物事の複雑性を下げて頭に収まるようにすることで、非常に多忙な経営者が迅速かつ正確に判断できるようにするお手伝いをすることが可能になるのです。

 しかし、不確実性の高い「果ての世界」では要注意なアプローチでもあります。この単純化のプロセスを通じて、私たちは容易にブラック・スワンを無視してしまうからです。

 単純化の罠と同様に、私が視点の置き方として重要と考える「異常値(特異点)」の扱いにも触れておきたいと思います。何かの現象を調べる際に2つのアプローチが存在します。1つ目は、異常値(特異点)を切り捨て普通で平均的なものに着目する。もう1つは、この異常値に着目して極端な場合の調査を徹底する。ブラック・スワンの働く環境下では、異常値、極端な場合を探索しなくては、本当の示唆を得ることができないとタレブは指摘します。

 私たちはどうしても平均に目が行ってしまう傾向があります。しかし、平均ばかり見ていては事の真実は見えてきません。同様のことが、コンサルタントとして分析からインサイトを導き出そうとする際にもいえます。平均値ではなく異常値(特異点)に着目することが重要なのです。

 店舗分析をして平均値に着目しても、ビジネス上の着想はあまり得られません。平均からかなり逸脱する(大きく他店を上回る、もしくは下回る)ところに、本当のインサイトが隠されていることが多いのです。ブラック・スワンを捕まえるには異常値(特異点)を軽視してはいけないということを示唆していると思います。

『ブラック・スワン』の名言
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