産業僧・松本紹圭の「悩めるビジネスパーソンに贈る仏教の本」1冊目は『日々是修行』(佐々木閑著)。日本の仏教は2階建て。1階は「先祖教」、2階は「修行」である。本書はこのうち2階部分を扱ったもの。そもそも仏教とは? 現代人にとっての「修行」とはどういうものなのか? とりわけビジネスの世界に生きる読者には格好の仏教入門である。

私が仏門に入った理由

 私が仏門に入って今年でちょうど20年になります。2003年に23歳で東京・神谷町にある光明寺の門をたたいたのが、僧侶キャリアの始まりです。

 もともと仏教と深い縁があったわけではありません。実家は北海道の小樽で、母方の祖父はお寺の住職でしたが、両親はまったく違う仕事をしていました。だから後を継ぐという発想は一切なかった。ただ、大学3年生になって周囲が進学か就職かで迷い始める頃、どうも両方ともしっくりこない感覚があり、3つ目の選択肢として見つけたのが出家でした。

 振り返ってみれば、子どもの頃は近所のお寺によく遊びに行っていました。そこではしばしばお葬式が行われていて、人は必ず死ぬんだなと思いました。そういう宿命を背負ったまま、どうやって生きればいいかということを、恐怖心とともによく考えていた覚えがあります。それがある種のトラウマになって、大学で学んだのは哲学でした。

大学卒業後、すぐ仏門に入った松本さん(東京・神谷町の光明寺で)
大学卒業後、すぐ仏門に入った松本さん(東京・神谷町の光明寺で)
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 世の中にはいろいろな哲学者がいて、その思想はそれぞれに面白い。しかし、ではその哲学者がどういう人生を歩んだかを見ると、それほど幸せとは言えなかったりする。そこでまた迷うわけです。哲学というのは、本当に人間を幸せにできるのか、私が進むべき道なのかと。

 そんなとき、たまたま親しい友人にお寺の息子がいて、彼と話しているうちに仏教にハマりました。そうか、僧侶として生きる道もあるな。日々の修行によって自らを高めたいなと。それで、卒業と同時に仏門に入ったわけです。

お寺の仕事の9割5分は法事やお葬式

 ところが、入ってみて分かったのですが、お寺の仕事の9割5分は法事やお葬式でした。つまり、生きている我々がいかに生きるかという話ではなく、すでに亡くなった方々のお世話が大半を占めていました。このギャップをどう埋めたらいいのかというのが、最初に私が直面した課題でした。

 それから今日まで20年が経過するうちに、私なりに見いだしたフレームワークがあります。日本のお寺は2階建て構造になっている、ということです。

 お寺の1階部分は、いわば「先祖教」の空間。法事やお葬式などを通じて、日本人のご先祖様を敬う気持ちをケアしています。昨今は、檀家さんの「お寺離れ」が進んでいるといわれます。いろいろな事情はあるでしょうが、お寺側から見れば、イエ制度の崩壊が主な要因だと思います。「檀家」というぐらいですから、死者を中心とするイエの概念が崩壊すれば、おのずとお寺からも離れていくはず。これはお寺の問題というより、社会の流れと捉えたほうがいいでしょう。

 そして2階部分は仏道修行の空間。23歳の私が求めていたのは、まさにこの部分でした。昨今は仏教ブームともいわれています。マインドフルネスについてのグローバルな盛り上がりなどは、その典型でしょう。私も「テンプルモーニング」という、お寺の朝掃除の会を主宰していますが、こういうイベントに参加される方は、ちょっと修行的なものを体験してみようかという感覚だと思います。つまり、これまで肩身の狭かった2階部分が、ようやく注目を集めつつある気がします。

 そういう方に「仏教とは何か」「どうすれば心を鍛錬できるか」を説いたのが、『 日々是修行 現代人のための仏教一〇〇話 』(佐々木閑著/ちくま新書)です。著者の佐々木閑先生は仏教研究者の立場から、仏教の案内人として多くの本を書かれていますが、特にこの本はビジネス世界に生きる方々にとっては絶好の入門書だと思います。

 修行的なものの考え方や知識をいかにビジネスに役立てるか、本書からそのエッセンスを得ていただけると思います。

『日々是修行 現代人のための仏教一〇〇話』(佐々木閑著)
『日々是修行 現代人のための仏教一〇〇話』(佐々木閑著)
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仏教とビジネスとの懸け橋を目指す

 本書の冒頭で語られているように、仏教とは雲のようにつかみどころがない宗教です。「これが仏教である」とはなかなか言えません。ある定義があったとすれば、まったく反対の定義も必ず存在するほど。言い換えれば、仏教にはそれらを混然一体に包み込んできた長い歴史があるのです。

 ブッダ自身の言葉(それをまとめた経典)にも、いろいろな矛盾を感じることがあります。ただそれは、ブッダがあちこちで相手に合わせて必要な言葉を処方していたためです。“症状”によって“薬”がまったく異なるのは当然のことです。

 現在でも教義の解釈をめぐる論争は盛んに行われています。例えば先日話題になったのが、ペット供養をどう考えるか。すなわち、ペットは成仏するや否やということです。浄土宗の場合、西の本山である京都の知恩院は「成仏しない」、東の本山である増上寺は「成仏する」と、意見が分かれたのですが、議論の末に「成仏する」ということで着地しました。たぶん時代の要請に応えようという話になったのでしょう。

 ただし、宗派をまたいでの論争はまずありません。ケンカになるだけですから。むしろ接触すらほぼなかったと思います。

 私は2012年に「未来の住職塾」を立ち上げ、宗派を超えてお寺のマネジメントについて一緒に学ぶ場を主宰してきました。お互いの宗派の理念は違うはずですが、意外とそういう場では論争になりません。今風に言えば多様性を尊重するというか、違いを知って認め合うような感覚でした。

 そもそも伝統仏教はフランチャイズ方式で、それぞれのお寺は包括宗教法人の看板を掲げながらも、独立の宗教法人です。さらに住職の姿勢や地域性もあるので、宗派単位で教義が統一されているわけではありません。

 仏教は矛盾を抱えた混沌世界です。しかし混沌でありながら、全体を見ると曼荼羅(まんだら)のように一つの世界をつくっています。それが仏教の面白さで、興味の尽きないところです。

 ただ一般の方から見れば、混乱するだけでしょう。まして普段ロジカルにものを捉えようとしているビジネスパーソンにとっては、異次元の世界かもしれません。

 私がインドの大学に留学してMBA(経営学修士)を取得した理由の一つは、ここにあります。まず、自分自身がビジネススキルを学ぶことで、お寺の外の世界を知って、社会の仕組みや言葉を理解すること。そしてビジネスで使われる言語や思考を吸収し、複雑怪奇な仏教界との懸け橋・通訳者になりたいと思ったのです。

松本さんはお寺のマネジメントについて学ぶ「未来の住職塾」を主宰している
松本さんはお寺のマネジメントについて学ぶ「未来の住職塾」を主宰している
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 『日々是修行』にも、同じ意図を感じます。佐々木先生は学者という立ち位置を大事にされていますが、同時に仏道の本質も十分に理解されています。すなわち修行によって自分の心を鍛えるということです。だから単なる仏教案内ではありません。ビジネスパーソンが読んでも、日々に役立つヒントを得られると思います。

 修行のスタンスは人それぞれ。本書を読んで、仕事にちょっと仏教的な考え方を取り入れようという方もいれば、本格的に仏教を学ぶために大学に入り直そうとか、あるいは実際に修行してみようという方も現れるかもしれません。

仏教には修行以外の道もある

 仏教に興味を持たれるビジネスパーソンの多くは、自分を高めたいという動機を持っています。精神を強くしたい、ピンチに動じない心を持ちたい、煩悩に勝ちたい、といった具合です。たしかに仏道にはそういう面があり、本書でもその考え方を紹介しています。

 しかし、仏教はそれだけではありません。人生にはどんなに頑張っても結果が出ないときや、無力感にさいなまれるときがあります。そうした思うようにはならない状況にあっても、自らを見失わずに、心を落ち着かせて歩んでいく仏道もあります。

 例えば、親鸞(しんらん)聖人は幼いうちから比叡山に入ってハードな修行を重ねましたが、20年を経て限界を感じ、山を下りました。その後、厳しい修行とは別の「念仏」や「他力」の道に出会い、やがて浄土真宗の開祖となりました。

 仏教には修行以外の101話目以降も存在する。そのことも覚えておいてほしいと思います。

取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/稲垣純也