「昭和」が終わって30数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするために、有効で安全なトリセツを考えてみましょう。

 前回 「なぜ昭和人間は『おじさんLINE』を送付してしまうのか?」 は「おじさんLINE(おじさん構文)」にどう対峙(退治ではなく)するかを考えてみました。「おじさん」とくれば「おばさん」です。今回は、昨今とみに注目が集まっている「おばさんLINE(おばさん構文)」を取り上げてみましょう。

 勇気を振り絞って申し上げますが、昭和の終わり頃に思春期以上の年代だった昭和人間の女性は、現時点で漏れなく「おばさん」に分類されます。「自分は当てはまらない!」と言い張りたい方は、ご自由にどうぞ。ただ、少なくともこの場では、その呼称は悪い意味ではありません。この先もたくさん出てくる「おばさん」という単語には、たくさんの敬意とエールを込めています。どうかご査収ください。

 なぜか前置きが長くなってしまいました。「おばさんLINE」の話に戻りましょう。5~6年前から話題になっている「おじさんLINE」に続いて、「おばさんLINE」という言葉が聞かれるようになったのは去年あたりからです。

 おばさん同士で「おばさんLINE」を送り合う分には、なんの問題もないし、どうこう言われる筋合いはありません。しかし、若者に送った場合は、その独特な特徴に違和感を覚えられるケースが多いようです。ただ、「おじさんLINE」のように迷惑な下心は基本入っていないので、ちょっと引かれることはあっても、嫌悪や憎悪の目を向けられることはまずありません。むしろほほ笑ましい印象を与えていることもありそうです。

 当事者も、おばさん呼ばわりされて激しく怒っている人も一部にはいますが、大半は「あら、そうかしら。まあ、おばさんだからしょうがないわよね」とおうように受け止めている感じでしょうか。その懐の深さは、さすが年の功……おっと、失礼しました。

 「おばさんLINE(おばさん構文)」の特徴としては、文頭に「あらら」「あら」を使いがち、語尾に「かしら」「だわ」「~」を使いがち、絵文字や顔文字が多い、「おはよぉ」「げんきぃ?」など「あ行」を小文字にする、栄養状態の心配など「おかんっぽさ」が漂う、文章が長い…などがあります。

あふれる絵文字や顔文字には、昭和人間の甘酸っぱい思い出が詰まっている…かもしれない
あふれる絵文字や顔文字には、昭和人間の甘酸っぱい思い出が詰まっている…かもしれない
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 絵文字や顔文字が多いところは「おじさんLINE」と同じ。これは携帯電話(ガラケー)を使っていた頃の習慣が染みついているから、という見方が有力です。思いを寄せるあの人に、絵文字や顔文字を駆使したメールを送ったこともあったでしょう。やり取りのツールがLINEに代わっても、一度染みついた習慣や意識は、そう簡単には変わりません。

 「おばさんLINE」にあふれている絵文字や顔文字には、おばさんの甘酸っぱい思い出がギュッと詰まっています。絵文字のチカチカは、おばさんの心の中にある若々しさのきらめきと言ってもいいかもしれません。そういう目で見れば、必要以上の絵文字や顔文字が、なんだか愛おしく見えてくるのではないでしょうか。

 文頭の「あらら」や語尾の「かしら」などは、当たりをやわらかくしたいという気づかいの表れ。「あ行」を小文字にするのは、20年ほど前に一世を風靡したギャル文字文化の影響だとする声があります。さらに時代を遡りますが、言葉の端々にカワイイ自分を強調してしまう「ぶりっ子の呪縛」を感じてしまうのは気のせいでしょうか。いや、いいんですけど。

 「おかんっぽさ」が漂うのは、おばさん世代が育った時代の女性像や男女の役割分担の刷り込みがどうのこうのとか、そのへんの文化的な背景が関係しているかもしれません。ひとつ間違えると、表面をなでた屁理屈で人様の価値観や人間性にケチを付ける痛い活動家みたいな言い種になってしまいそうなので、このぐらいにします。

 おばさんが発揮してしまう「おかんっぽさ」は、決して非難されるようなことではありません。おばさんの知性や包容力や気配りの細やかさが遺憾なく発揮された、ひじょうに素晴らしい持ち味です。あくまで、度を越さなければですけど。

昭和人間のLINEが長文になる理由

 受け手をいささか困惑させるのは「文章が長い」という点でしょうか。昭和人間はおばさんもおじさんも、LINEの文章が長くなる傾向があります。

 これはパソコンメールの文化を引きずりながらLINEを使っているから。冒頭に「今日は寒いですね」や「先日はお世話になりました」といった挨拶を入れたり、ひとつのメッセージにいくつもの情報や話題を盛り込んだりしがちです。

 いっぽう若者は、LINEを会話の延長だと捉えているので、1行か2行の短いセンテンスで、伝えたいことや聞きたいことを書きます。それが当たり前になっているのに、いきなり長いメッセージが届いたら、何をどう答えていいか悩んでしまうでしょう。「重い(≒ウザイ)」と感じるケースもあるようです。

 だからといって、自分の流儀を変えるのはリスクが大きいかも。若者向けに無理して短い文面にすると、要点を外した意味不明のLINEになりそうです。重いわけじゃなくて丁寧に書いているんだという意図は、若者にもなんとなく伝わるに違いありません。ダラダラと長くなり過ぎなければ、さほど気にしなくていいのではないでしょうか。

 「おばさん&おじさんLINE」とはまた別ですけど、LINEにおける句点の解釈が、年代によって違うということも話題になっています。若者のあいだでは「文章の最後にマルが付いてると、怒っているように感じる」という声があるとのこと。

 だからといって、昭和人間が若者の流儀に合わせて「。」を禁じ手にする必要はありません。昭和人間は「そう受け取られる可能性もあるらしい」ということを頭の片隅に置いておけば十分だし、若者は「そんなつもりじゃないらしい」ということを知っておけば、余計な気を回しておびえずに済みます。

 そもそも違う世代の相手と、なんの引っかかりもないコミュニケーションが取れるわけがありません。世代による流儀の違いはあっても、お互いに相手を尊重しようという気持ちや、独りよがりな伝え方にならないように気を付ける謙虚さがあれば、きっと大丈夫です。

 幻想を追って若者にすり寄ったところで、若者扱いはしてもらえるわけじゃなし。大切なのは、冒頭で紹介した「あら、そうかしら。まあ、おばさんだからしょうがないわよね」という開き直り(悟り?)です。

 おばさんにおかれましては、これからも楽しく伸び伸びと「おばさんLINE」を送り続けてください。おじさんとしても、うっかり迷惑な使い方をしないように反省すべき点は反省しつつ、引き続きLINEを活用していきます。おばさんにもおじさんにも幸多かれ!

昭和人間(自分を含む)との付き合い上の注意――今回のポイント
  • 「おばさんLINEっぽさ」の理由を知れば愛おしさが芽生えるかも
  • 無理に若者にすり寄って自分の流儀を変えるのはリスクが大きい
  • 「おばさんだからしょうがない」はすべてを肯定する魔法の言葉

文/石原壮一郎