生きてゆくのは容易でない。飢饉があり、天災があり、病気や怪我がある。なおその上に、まだ足りぬとばかり人間自ら戦争を起こし、屍の山を築く。そして……戦争画を描き続ける。

 紀元前四九九年から前四四九年まで、断続的とはいえ半世紀も続いた「ペルシア戦争」を見よう。

 ペルシアVSギリシア、正確に言えば大帝国アケメネス朝ペルシアと古代ギリシア都市国家連合(アテネ、スパルタなど)の激突だ。一般的には、東方専制政治にギリシア的民主政治が勝利したと捉えられている。とはいえこの解釈は唯一の史料とされるヘロドトスの『歴史』に依拠しており、著者自身がギリシア人なのでどうしても見方は一方的になる(後世のプルタルコスなどから批判された)。

 ヘロドトスの生年は紀元前四八四年頃。執筆時にはおおぜい戦争体験者も生存していたので彼らに直接取材し、それらを反映して『歴史』に信憑性をもたせた。その一方、単なる噂や伝聞や脚色まで加えており、厳密な歴史的叙述というわけでもない。逆にそれこそがこの本を講談並みの面白い読み物とし、人口に膾炙し、連綿と絵画化を促した所以であろう。

 実のところ、この戦争の発端はペルシアの属領イオニアの反乱にアテネが介入したことだった。つまりイオニアを支援してアケメネス朝ペルシアの影響力低下を狙ったわけで、仕掛けたのはギリシア側と言えなくもない。怒ったペルシアのダレイオス王が第一次遠征軍をギリシアに送った(遠征は全部で第四次まである)。

 有名な「テルモピュライの戦い」は、紀元前四八〇年、クセルクセス王が第二次遠征を行い、最前線で迎え撃ったのがスパルタだった。

 ナポレオン時代のフランス・アカデミーに君臨し、『ナポレオンのアルプス越え』や『ナポレオンの戴冠式』で有名なジャック=ルイ・ダヴィッド(1748~1825)が、ヘロドトスを読み込んだ上で、大作『テルモピュライのレオニダス』を描いた。実際に起きた戦闘から、なんと二三〇〇年近く経っての制作だ。

ジャック=ルイ・ダヴィッド『テルモピュライのレオニダス』Leónidas en las Termopilas, por Jacques-Louis David(1814)(写真:Artothek/アフロ)
ジャック=ルイ・ダヴィッド『テルモピュライのレオニダス』Leónidas en las Termopilas, por Jacques-Louis David(1814)(写真:Artothek/アフロ)

 テルモピュライのこの激戦については、近年、ハリウッド映画『300(スリーハンドレッド)』(ザック・スナイダー監督、ジェラルド・バトラー主演)が大ヒットした(漫画テイストでかなり面白い)ので、日本でも知る人は多いだろう。

 さて、画面中央、白い羽毛付き兜をかぶり、右手に剣、左手には重量感たっぷりの円盾を握った髭の男がスパルタ王レオニダス。王はすでにデルポイの神託を受け、自分が死ぬかギリシアが滅ぶか、どちらかだと告げられていた。ギリシアを救わねばならない。彼に迷いはなかった。だから視線を天へ向けているのは命乞いなどではなく、雄々しく戦って死ねるようにと祈る戦士魂だ。

 敵はなんと百万(!)の軍勢。対するレオニダス側はたった三百人(スパルタという国を亡ぼさぬため、跡継ぎのある家の者だけを選抜した)。岩だらけのテルモピュライの隘路にペルシア軍をおびき寄せ、一人また一人と潰す作戦だ。勝算は皆無だが、槍が折れたら長剣で、長剣の刃がこぼれたら短剣で、短剣を失ったら素手で、素手の自由を奪われたら歯で噛みついてでも戦い続ける所存の三百人は(映画のタイトルの由来は、この数字)、意気軒昂だった。

 画面左の岩壁に、剣の柄で兵士が文字を彫る――「旅人よ、スパルタ人に伝えてよ。命じられたことを果たし、我らここに眠れり、と」。これは三日にわたる激戦の末玉砕した彼らへの墓碑銘だが、ここではそれをスパルタ兵自身が開戦前に書き記したことにしてある。

 いわゆる「ギリシアの愛(=少年愛)」もなまなましく表現されている(レオニダスの円盾のすぐ後ろで抱き合うカップル、画面左の槍の男に抱きつく少年、文字を彫る兵に花冠を差し出す三人のうち真ん中の少年に腕を巻きつかせる男)。年長者と少年の精神的肉体的愛は双方を鼓舞し、戦場でいつも以上の強さを発揮したと言われている(日本にも衆道があったので理解しやすい)。

 その強さにより、わずか三百人で敵二万を斃したわけだが、しかしそれでもまだ九十八万も残っている。レオニダス側は力尽き、最後の一人が息絶えて戦は終わった。デルポイの神託の正しさがわかるのはこの後だ。スパルタの闘いぶりに胸を熱くしたギリシア各都市国家はたちまち団結し、総力戦でペルシア軍を追い返し、侵略を防いだのだった。

 ダヴィッドは長年かけて本作を完成させたが、取り組む過程でナポレオンから「レオニダスのような敗軍の将など描いて何になる」と言われたという。皮肉なことに本作完成の一八一四年は、ナポレオン自身が敗軍の将となってエルバ島へ流された年だ。ダヴィッドには、芸術家特有の予感でもあったのだろうか。

 いずれにせよ、ナポレオンの負けた意味とレオニダスの負けた意味には、ずいぶん大きな違いがある。前者は己のために勝つと信じて戦い、後者は国のために敗けを知りながら戦った。

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 さて、アケメネス朝ペルシアはどうなったか?

 紀元前五五〇年に遊牧イラン人によって創設され、オリエント一帯を支配した「初の世界帝国」である。四回のギリシア侵攻戦略が失敗した程度で瓦解するわけもなく、その後も百年以上にわたって繁栄し続けた。

 だが種が芽吹き、花開き、枯れるように、アケメネス朝にも容赦ない終わりの時が来る。マケドニアのアレクサンドロス(=アレクサンダー)大王率いる東方遠征軍に踏みしだかれたのだ。ダレイオス三世の御世だった。

 滅亡の決定打となった「イッソスの戦い」(紀元前三三三年)を、ドイツ・ルネサンスの画家アルブレヒト・アルトドルファー(1480頃~1538)が、驚異の細密描写で作品化している。

アルブレヒト・アルトドルファー『アレクサンダー大王の戦い』Battle of Alexander the Great against Persian King Darius(1528)(写真:ALBUM/アフロ)
アルブレヒト・アルトドルファー『アレクサンダー大王の戦い』Battle of Alexander the Great against Persian King Darius(1528)(写真:ALBUM/アフロ)

 画面上方に空、中央に山と海、下方に人、人、人で埋め尽くされた大地。執拗なまで細部にこだわった、風景画にして歴史画。

 水平線からはアレクサンドロス大王を象徴する太陽が昇り、左上の三日月(イスラム圏を示す)は薄れゆく。目も眩む地球の描写だが、この時まだガリレオは生まれていない。画家は天動説を信じ、不動の大地の周りを太陽と月が回転する様を描いたのだろう。沸き立つ雲海や激しい波しぶきは、蟻のような人間たちの死闘を囃し立てるかのようだ。倒れた馬や兵士を踏み越えて、鎧兜のアレクサンドロス軍とターバンのダレイオス三世軍が槍や剣を交える。色とりどりの旗幟が風に翻る。

 これほどの大人数、これほどの混戦となれば、主役が目立たなくなるのも道理だ。しかし歴史を知る鑑賞者は必ずや――ウォーリーを探すように――探すはずだと、細部に命を吹き込む画家は自信満々である。

 そのとおり、登場人物の数を全てかぞえあげた者、登場人物の顔を全部自分の顔に置き換えた模写を制作した者など、本作に熱中するファンは多いので、主役はすぐ見つかった。画面上からちょうど三分の二あたりの中央左寄りに、三頭の白馬に引かせたチャリオットに乗って後ろを振り返りつつ逃げるのがダレイオス三世、その後を、長槍をかまえつつ単騎で猛追するのが主役のアレクサンドロス大王だ。

 下界からはるか高く、宙に浮くラテン語銘板。そこには、「アレクサンドロスはペルシア軍歩兵十万と騎馬兵一万を斃し、ダレイオス三世の母と妻子、及び一千の兵士を捕虜にして勝利した」と記されている。

 この数字の真偽はわからない。現代の研究者の試算によれば、両軍合わせて十万の兵という(異説あり)。また本作完成とほぼ同時期にあたる十六世紀半ば、ユグノー戦争におけるフランス元帥タヴァンヌがこう言っている――「かつては数時間におよぶ戦いで戦死したのは、五〇〇人の騎兵のうちせいぜい一〇人だったが、今では一時間で全滅だ」(福本義憲訳)。鉄砲発明前と後との差であろう。

 となれば、三百人で二万人を殺したというテルモピュライ戦同様、イッソス戦でも数字は水増しされた可能性は高い。さはあれ、こうして戦は終わり、逃走したダレイオス三世は捲土重来を期したものの、結局紀元前三三〇年に殺害されてアケメネス朝は滅亡した。

 アルトドルファーがこの歴史画を依頼された理由は、単なる鑑賞用ではない。なぜなら東と西の戦いは紀元後も延々と続き、キリスト教ヨーロッパにとっての脅威は「ペスト、狼、オスマン・トルコ」だったのだ(日本の「地震、雷、火事、オヤジ」に似ている)。

 この時期、アケメネス朝をも凌ぐオスマン帝国は三日月の旗を掲げてずんずんヨーロッパへ攻め入り、ハンガリーの南半分を奪い、ついにはハプスブルク王朝の牙城ウィーンにまで到達したのだった(「第一次ウィーン包囲」)。本作発注者のバイエルン公も事態を大いに憂慮し、一八〇〇年以上も昔のヨーロッパ勝利戦絵画を一種の縁起物と見立てたようだ。祈りは通じ、ウィーンは守り抜かれた。

 災厄には襲われたが、最悪を免れたのは、この絵のおかげ?

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