東京オリンピックで金メダルを目指す「リレー侍」のメンバーが決まった。陸上男子400メートルリレーの日本チームは、今やオリンピックや世界選手権でのメダル常連だ。見ているほうがドキドキする緊張感のあるレースで、リレー侍が冷静に実力を発揮できる理由は何か? 『最高の教師がマンガで教える勝利のメンタル』(原田隆史著、日経BP)の一部を抜粋・再構成して解説します。

(前回から読む)

スタートラインに立った時点で勝負は決まっている

 「スタートラインに立った時点で、すでに結果は決まっている」。スポーツの世界では、よくそう言われます。それは本番までにどれだけ練習したかという意味もありますが、「どんな気持ちでスタートラインに立てるか」が勝敗のカギを握っていることを表しています。つまり、いかなる準備をして、メンタルを整えるか――。目に見えない「心の部分」が勝負の分かれ目だということです。

 陸上400メートルリレーは、極限のスピードで走りながらバトンをつなぐという緊張感のあるレース。選手たちには高い集中力が求められる戦いです。歴代の日本男子チームはバトンパスの技術を「お家芸」と言われるほどに磨き、タイムを上げ、オリンピックや世界選手権でメダルを獲得してきました。

2008 北京五輪 2位
塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治

2012 ロンドン五輪 4位
山縣亮太、江里口匡史、高平慎士、飯塚翔太

2016 リオデジャネイロ五輪 2位
山縣亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥

2017 ロンドン世界陸上 3位
多田修平、飯塚翔太、桐生祥秀、藤光謙司

2019 ドーハ世界陸上 3位
多田修平、白石黄良々、桐生祥秀、サニブラウン・アブデル・ハキーム

日本代表チームが銅メダルを獲得した2019世界陸上ドーハ大会男子4×100メートルリレー決勝。急きょの出場となった第1走者・多田修平選手から第2走者・白石黄良々選手へのバトンパスがきれいに決まった(写真:アフロ)
日本代表チームが銅メダルを獲得した2019世界陸上ドーハ大会男子4×100メートルリレー決勝。急きょの出場となった第1走者・多田修平選手から第2走者・白石黄良々選手へのバトンパスがきれいに決まった(写真:アフロ)

400メートルリレー、勝負のポイント

 「リレー侍」の強さが、磨き上げられた精緻なバトンパスにあることは、よく知られています。バトンパスのポイントは次のようなところにあります。

[タイミング合わせ]

 バトンパスは、テイクオーバーゾーン(30メートル)の中で済ませなければいけません。受ける側のスタートが早すぎると渡す側が追いつけず、かといって受ける側のスタートが遅いと加速が不十分でタイムをロスします。

 そこで「前走者がこの位置に来たらスタートする」という目印をつけて、受ける側がタイミングを合わせてスタートします。リオデジャネイロ・オリンピックで銀メダルを獲得した日本男子チームは、決勝レースの朝、目印の距離を予選よりも延ばすことを決め、数センチ単位で調整しました。数センチの差によってメダルの色が決まる400メートルリレーは、「1センチ単位」のコンビネーションが求められるのです。

 バトンを受け渡すときは、片腕の振りを止めた状態で走ることになりスピードをロスします。だからその時間を限界まで短くすることが重要です。渡す側が「ハイ」などの声をかけたところで受ける側が準備し、瞬時にパスを完了させます。受ける側は、後ろを振り向かずに受け取り、スピードを落とさないようにします。

[自信と信頼]

 このような方法でタイミングを合わせた上で、レース本番でドンピシャのバトンパスができるようにするには、各選手の「自信」と、選手間の「信頼」が大切です。

 2019年のドーハ世界陸上では、第4走者にサニブラウン選手が起用され、第3走者の桐生祥秀選手からバトンを受けました。サニブラウン選手は予選では安全策として加速を抑えていました。しかし決勝レースを前に、桐生選手はサニブラウン選手に「絶対に渡すから、全力で出ろ」と伝えたそうです。そして銅メダルを獲得しました。

[サブの選手の役割]

 400メートルリレーを走る選手は4人ですが、レースに出場しないサブの選手もチームに加わっています。前回のオリンピックまでは6人、東京オリンピックでは5人がメンバーとして登録されます。

 その中から、4人をどう選ぶか。誰に何番目を走らせるか。その戦略も勝利のポイントです。第1走者はスタートダッシュが得意な選手、第2走者は直線のスピードが速い選手、第3走者はコーナーワークのうまい選手、第4走者(アンカー)は走力に加えて勝負強さのある選手、というのが一般的です。

 そして重要な役割を担うのがサブの選手です。誰かがケガをしたりコンディションが悪くなったりした場合に、代わってレースに出ることになるからです。全員が「いつでも金メダルの走りができる」という状態でレースに臨む準備が欠かせません。

「サブの選手」が決勝レースに出場してメダル獲得

 2019年にドーハで行われた世界陸上で、日本の男子400メートルリレーのチームは決勝で37秒43のアジア新記録を樹立し、銅メダルを獲得しました。この決勝では、予選とメンバーが変更になり、第1走者には、100メートルと200メートルの代表でもあった小池選手に代わり、急きょ、多田選手が起用されました。

 多田選手は、2019年シーズンはなかなか調子が上がらず、個人種目での出場はかなわず、リレーチームの一員としてチームに帯同し、準備を整えていました。個人種目で選考に漏れても、2017年のロンドン世界陸上で400メートルリレーの銅メダルを獲得した経験を生かし、この日のために集中力を切らさず準備をしてきました。

 多田選手は「前半から流れをつかむのが日本の長所。僕がキーマンだと思っていました」と振り返ったように、自分のやるべきことを自覚していました。高校時代から目標達成のメソッドを学んで「予測と準備」の習慣を身に付けてきたことが、好結果につながりました(コラム第1回を参照)。

 チームを見守った土江寛裕オリンピック強化コーチはレース後、「どの4人が入ってもベストの組み合わせができ、ベストのタイムを狙っていける準備ができつつある」と話しました。走った4人だけでなく、控えも含めたチームジャパンで準備を整え、心を1つにして戦ったからこそ、銅メダルを獲得できたと言えるでしょう。

 2017年のロンドン世界陸上で日本男子チームが2位に入ったときも、決勝では第4走者が交代しました。藤光選手がケンブリッジ選手に代わってアンカーとして走り、見事に重責を果たしたのです。

 世界トップレベルのアスリートは、緊張をうまくコントロールし、「まさか」と思うような出来事にも動じず、結果を残します。それは「予測と準備」がしっかりできているからにほかなりません。

「予測と準備」で緊張感をコントロールする

 緊張をコントロールする最も効果的な対策は何か。それが「予測と準備」です。

 予測とは、起こり得る状況をあらかじめ考えることです。明日の天気予報は「晴れそう」でも、「もしかしたら雨が降るかも」と考える。つまり、自分の望まない状況も考えておく。嫌なことも含めて、「何が起きる可能性があるか」を予測します。

 そして「起きる可能性があること」に対応できるようにすることが「準備」です。つまり、「雨が降るかもしれないから、カッパを持っていこう」と考えて準備する。そうすれば、本番直前に雨が降っても不安な気持ちにならない。起こり得る状況を予測し、準備を万全にしておけば、何が起きても「想定の範囲内」として対応できます。

 私は中学校の教師時代、ある陸上競技大会で、選手の招集所が夕方以降一気に気温が下がることが分かり、夏の大会にもかかわらず、防寒着とカイロを準備させるなどの対策を講じたこともあります。晴れの日が続き、大会前に雨が降らなかったときは、砲丸投げのピットに上から放水し、雨天の状況を作って練習しました。その練習から、普段の滑り止めでは砲丸が滑ることが分かり、新たにさらに強力な滑り止めを準備したりもしました。

 準備には、2つの種類があります。1つは、物理的な準備です。陸上競技の試合に臨むなら、スパイクやウエア、ゼッケンなど。それらを確認しながらバッグに入れ、「よし、忘れ物なし!」。これが物理的な準備です。もう1つが心理的な準備です。これは「イメージトレーニング」です。イメージトレーニングとは、恐怖や不安を減らし、自信を生むために行う準備なのです。

 いつ自分に出番が回ってきても実力を出し切れるようにしておく。「まさか」と思うような出来事でも平常心を保つようにしておく。「予測と準備」の習慣が身に付いている人は、前例のない事態に直面したときも、新たな状況にスムーズに対応していけるのです。

強い心を育てる最強メソッド

 世界のトップアスリートたちが実践する「8つのメンタルスキル」をマンガで解説。金メダルを目指すアスリートとコーチを主人公とするマンガを通じて、「まさか」の事態にも負けない、前向きで強い心を育てるメソッドが学べます。

[マンガのストーリー]
陸上男子400メートルリレーの金メダルを目指す、高校生スプリンターたちの夏合宿。才能を秘めた選手が全国から集められたが、初日からケンカが始まる。しかし「勝利の女神」とたたえられるメンタルコーチ・ゆりかの指導が始まり、高校生たちは「心」=「気持ち・感情」に目を向けることの大切さを学んでいく。そして東京オリンピックの延期という事態も乗り越えて臨んだ決勝レースで……。

原田隆史(著)、北田瀧(マンガ原作)、今江大輝 (作画)、日経BP

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