幸せについて、今日は考えてみましょう。「幸せに答えなどない」「幸せは人それぞれ」と考える方は多いです。
しかし、幸せに答えがないと考えることが、「失う恐れ」を膨らませてしまうとしたらどうでしょう。
幸せには答えがないと考えると、「今自分が持っているもので幸せが決まる」という物質的価値観に縛られやすくなります。
目に見えないものの価値を信じることができないから、目に見えるものだけを追ってしまうのですね。
自分の幸せを自分で決めること、それ自体は立派なことですが、その幸せの中身を聞くと、年収はいくらで、仕事で出世して、幸せな家庭を築いて、長生きする、そういったことを挙げる方がほとんどです。
幸せに答えがないなら、こういった「持つほど良い、あるほど良い」という考え方をするようになります。
自分が持っているもので幸せが決まると思うと、失うことに対して、過度に恐れることになります。
常に失うことを恐れている状態は、幸せでしょうか。
物質的な幸せを目的にして生きると、心が安らぐことはできません。カタチあるものはいずれ失うことになるからです。
物質的な価値観が悪いということが言いたいのではなく、得ることを目的にしてても辛いだけですよ、ということです。
お金も名誉も愛する者も永遠に所有したいという思いが、執着を生み、苦しみになります。
幸せとは突き詰めれば、執着がない状態つまり「失う恐れがないこと」だと考えています。失う恐れがなければ、いつでも穏やかに心を幸せで満たすことができます。溢れた幸せを周りに与えることもできます。
私たちは執着を手放して魂を成長させるために、一度敢えて得るということを体験します。失う痛みを知ってはじめて、失う恐れを乗り越えるチャンスが与えられます。
失う痛みに耐えられなくて、その場しのぎのように生きる人や、様々な依存症になってしまう人もいます。逆に失う痛みを恐れて、なにも手にしない生き方を選ぶ人もいます。
どちらの例も、自分が物質的価値観、得ることを目的に生きていたということを教えてくれています。そこに気づけるかどうかが、失う恐れを乗り越えられるかどうかの分水嶺となります。
理性で感情を観察し、心をコントロールすることも学びです。
カタチがあるものはいずれ壊れていくと思えば、今ここにあることやご縁に感謝できます。
かけがえのないものがあるのは、自分と同じくらい大切なものができた証拠で、素晴らしいことです。大事なことは、そういったかけがえのないものを永遠に手にすることではなく、かけがえのないもののために自分はなにができるかという「動機」にあります。
長生きすることそれ自体が素晴らしいのではなく、生きている間に、どれだけ魂を磨き成長できたかどうかが大事です。
幸せの定義を物質的価値観からシフトさせることで、人生は一転します。失うことへの恐怖を減らしていくと、選択の質が上がり、人生そのものが豊かになっていくからです。