わたしたちがいま生きているのは「ストレス社会」とも呼ばれる、精神的に疲労が溜まりやすい時代だ。気持ちが沈みがちな人も多いのではないだろうか。
人間関係や仕事、お金や健康など、悩みの種を挙げはじめたらきりがないが、むやみにストレスを溜め込んでしまうと心身に不調をきたしてしまう。
そこで、精神的不安を軽減するために参考になるのが、仏教の視点から人生の様々なストレスや悩みへの対処法を語るYouTubeチャンネルが人気の、現役僧侶・大愚元勝の初の著書『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社刊)だ。SNSでは「心が洗われた」「人生の歩み方を学んだ」といった感想が相次いでいる。
本稿では、本書より一部を抜粋・編集し、「考える価値のある悩み」と「無価値な悩み」の決定的な違いをご紹介する。(構成/根本隼)

【現役僧侶が教える】「意味のある悩み」と「無意味な悩み」の決定的な違いとは?Photo:Adobe Stock

悩みや不安をなくすにはその原因を知るべし

 仏教には、「無明」という言葉があります。「無明」とは、真理が明らかになっていない状態のこと(=無知)です。「人生における人間の悩みや不安は、すべてに『無明』からはじまっている」とお釈迦様は説いています。

 悩みや不安から解放されるには、「真理」を知って「無明」を取り払うこと。すなわち、「悩みの根本原因」と「不安の根本原因」を明らかにすることです。

「意味のある悩み」と「無意味な悩み」の決定的な違いとは?

「悩みの根本原因」とは、諸法無我の真理を理解していないことにあります。諸法無我とは、自分自身を「絶対的な存在ではない」と意識することです。

 すべての人が自分中心にものごとをとらえ、「自分の考えは絶対に正しい」「今、自分が思っていることは絶対だ」と強い自我を持ってしまうため、自分の思い通りにならなかったとき、そこに悩みが生まれます。

 自我によって生まれる悩みは、2種類あります。「意味のある悩み」と「意味のない悩み」です。「意味のある悩み」とは、精進(努力)によって乗り越えられる悩みのことです。「意味のない悩み」とは、自分の能力ではどうにもならない、自分では対処できない悩みのことです。

 たとえば、大学受験を1か月後に控えた高校生がいたとします。この高校生の偏差値が「30」で、志望校が東京大学だったとき、「受からなかったら、どうしよう」と思い悩むのは、「意味のない悩み」です。なぜなら、実現する可能性がきわめて低いからです。

 一方、この高校生が、「今は偏差値が30しかないけれど、半年後に偏差値を50にするにはどうしたらいいか」と悩むのは、「意味のある悩み」です。なぜなら、精進を怠らなければ、実現する可能性があるからです。

どうにもならないことに悩んではいけない

 人は、必ず悩みます。悩みが生じたら、その悩みが、「意味のある悩み」なのか、それとも「意味のない悩み」なのかを冷静に見つめることが大切です。

 その悩みが、「意味のある悩み」であれば、精進して乗り越える。「意味のない悩み」なら、執着しない。捨てる。

 お釈迦様は、「自分ではどうにもできないことに思い煩うのは、無明である」とおっしゃっています。

 この世のすべては自分の思い通りにはならず、また自分中心に動くものではありません。自分を取り巻く環境が変われば、自分の考えも変わります。永遠不変な自我はないのですから、「自分が絶対である」と決めつけないことです。

(本稿は、『苦しみの手放し方』より一部を抜粋・編集したものです)