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論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの

 今の道徳に依つて最も重なるものとも言ふべきものは、孔子のことに就て門人達の書いた論語といふ書物がある、是は誰でも大抵読むと云ふ事は知つて居るが、此の論語といふものと、算盤といふものがある、是は甚だ不釣合で、大変に懸隔したものであるけれども、私は不断に此の算盤は論語に依つて出来て居る、論語は又算盤に依つて本当の富が活動されるものである、故に論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものであると始終論じて居るのである、或時私の友人が、私が七十になつた時に、一の画帖を造つて呉れた、其の画帖の中に論語の本と算盤と、一方には「シルクハット」と朱鞘の大小の絵が描いてあつた、一日学者の三島毅先生が私の宅へござつて、其の絵を見られて甚だ面白い、私は論語読みの方だ、お前は算盤を攻究して居る人で、其の算盤を持つ人が斯くの如き本を充分に論ずる以上は、自分も亦論語読みだが算盤を大に講究せねばならぬから、お前と共に論語と算盤を成るべく密著するやうに努めやうと言はれて、論語と算盤のことに就て一の文章を書いて、道理と事実と利益と必ず一致するものであると云ふことを、種々なる例証を添へて一大文章を書いて呉れられた、私が常に此の物の進みは、是非共大なる慾望を以て利殖を図ることに充分でないものは、決して進むものではない、只空理に趨り虚栄に赴く国民は、決して真理の発達をなすものではない、故に自分等は成るべく政治界軍事界などが唯跋扈せずに、実業界が成るべく力を張るやうに希望する、これは即ち物を増殖する務めである、是が完全で無ければ国の富は成さぬ、其の富を成す根源は何かと云へば、仁義道徳、正しい道理の富でなければ、其の富は完全に永続することが出来ぬ、茲に於て論語と算盤といふ懸け離れたものを一致せしめる事が、今日の緊要の務と自分は考へて居るのである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.1-3

参考記事:実業報知新聞五週年式塲に於て(『竜門雑誌』第306号(竜門社, 1913.11)p.19-23)

サイト掲載日:2024年03月29日