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隣る人
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目次

隣る人の作品紹介

隣る人のあらすじ

新聞やテレビで、「児童虐待」のニュースを目にすることがまれでなくなった昨今。しかし、そのニュースはセンセーショナルに報じられるだけで、子どもが生きる現場に寄り添い、なにが大切なのかを深く洞察した報道は少ない。「隣る人」は「子どもたちと暮らす」ことを実践する児童養護施設、「光の子どもの家」の生活に8年にわたって密着しその日常と人々の姿を描いたドキュメンタリーである。

隣る人の監督

原題
製作年
2011年
製作国
日本
上映時間
85分

『隣る人』に投稿された感想・評価

菩薩

菩薩の感想・評価

4.0
人は「隣る人」がいるから「人となる」、そんな一瞬を見させて貰った気がする。軸「となる人」がいて、居場所「となる人」がいる、そうして可能性は無限大に広がって行くのだろうと。俺はキリスト教徒では無いから「隣人を愛せよ」と言われてもいまいちピンと来ないし、右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せる程の器も無い、金を稼ぐ才能が無いから当然金は無い、となると生活力も養育力も無いから、俺が父親になる事は一生無いだろう。だからこそ無責任とは知りながら、子供には幸せであって欲しいと、そう思わずにはいられない。その為にはどうすればいいか、貧困家庭に対する経済的援助、子育てをする親が孤立しない社会構造の形成、親はこうあるべきだと言う既成概念の破壊、簡単な話では無いだろうが、社会が出来る事、しなくてはいけない事は沢山あると思う。

俺のかつての親友は双子を授かった。かなりの早産で出産時は共に体重1キロ未満、幸い障害等は無くその後はすくすく育ち、なんとか本来の出産予定日にはようやく標準体重まで持ち直した。そんな時に俺は育休中のそいつと再会した。さぞかし親バカ発言が出てくるのかと思って期待をしていたら、彼の口からはこんな言葉が出てきた。

「四六時中一緒にいると時々首を絞めてやりたくなる。ミルクあげてるとこのまま握りつぶしてやろうって。こっちは夜も寝れないし、本当に精神的にきつい。」

正直ゾッとした。前半部分は恐らく冗談のつもりで言ったのだと思う、けどそんな考えが例え冗談だとしても頭に浮かんでしまった事実がショックだったし、後半部分は彼の本音なんだと思った。けど俺はあいつを責められない、俺は親にはなれないから、子育ての苦労を分かってやれないから。だから「新聞紙面を飾る前に俺を呼べ。」、そう言ってやるのが精一杯だった。そんな時が来るのかすら分からないが、果たして俺はあいつの隣る人になれるだろうか、彼で無くとも、この先誰かの隣る人になれるだろうか、親が子を抱きしめる姿ほど美しいものは無い、そんな光景を守ってやる為に、自分に出来る事は無いだろうか、そんな事をひたすら考えてしまった。

誰も一人では生きられない、そんなコピーがまた胸に突き刺さって来る、汝何者かの隣る人であれ、例え愛せずとも、寄り添う者であれ、そんな覚悟で、俺は俺なりの社会に対する責任を果たしていきたいと思う。俺にも何か、出来ることがあるはずた。
OASIS

OASISの感想・評価

4.6
埼玉県にある、普通の建物で普通の暮らしをすることを目的とする児童養護施設「光の子どもの家」の子供や職員に8年間にわたり密着したドキュメンタリー映画。

「あなたにとっての隣る人は誰ですか?」という上映会+トークショーとのテーマと共に、観終わった後も「隣」と言う言葉が強く心に根を張り、一日その意味について考え込んでしまう程の深い余韻を残す。

映画は、施設というよりかは大家族の一家の日常が映し出されているような感覚。
同じ形態の施設を舞台にした映画「ショート・ターム」を思い出した。
あちらは脚本ありきのドラマだけど。こちらはドキュメンタリーなだけあって本当の家族とはいえ思い通りにはならない現状を淡々と捉えている。

保育士のマリコさん、彼女が寝食を共にする女の子ムッちゃんことムツミとマリナの三人を中心に話は進んで行く。
ムッちゃんは本当はママ(保育士)に甘えたいのに素直じゃなくて、逆にマリナは甘えん坊で常にベタベタとくっ付いている。
たとえママが100%の愛情を注いでも、二人の子供達には50%ずつしか分け与える事が出来ない。
子供達もそれが分かっているから愛情に飢え、執拗にハグやスキンシップを求めて来るのだろう。
ママもそれを受け入れるのだが、想いの伝え方や行動のダイレクトさを見ていると本当の家族であってもそこまでしないだろうと言う過剰な愛情表現にも見える。
しかし繋がりの深さという意味では本物よりも本物らしいとも言える。「大好き、大好き」と口に出すだけでは飽き足らず、ノートにビッシリと敷き詰めて書いてもそこからはみ出すくらいの「好き」の気持ちが溢れて溢れて止まらないシーンは、いかに子供達の頭の中でママの存在が割合を占めているかが伝わって来た。
血縁か、一緒に過ごした時間か。
「家族」の意味についてもまた考えてしまう。

大人になってしまった今、プライドや恥ずかしさ、外聞やら何やらが邪魔をして誰かに頼るなんて言う事はそうそう出来ずにいる。
けれど子供達はそんな事お構いなしに全力でママに甘える。
それが切なくもあり、やや羨ましくもあり。
この映画を観ていると「頼り方」というものについても考えさせられた。
誰かに何かを「頼る」事が悪いとみなされがちだが、決してそうではないだろう。自分一人ではどうしても考えが及ばない事物に立ち向かう時、頼る事も一つの方法だ。
今の世の中はそれを知る事を非とし、また自らも拒否しているように思える。
それに比べ「頼り方」を人一倍身に付けた子供達は気の置くべき場所を覚え、心にもゆとりが生まれ誰よりも強く生きて行けるだろうと思う。

それゆえに、一旦絶大な信頼を置いてしまうとそれを無くしてしまった時の反動もまた大きい。
頼る事に慣れてしまった甘えん坊の子が、予期せぬ事情で保育士と別れ涙する場面の痛切さには思わずもらい泣きしてしまった。
まだ母親が存命な今の状態では、もしその存在が消えてしまったらどういう反応を示して良いものかが分からない。
ただ茫然自失となり人形のように項垂れたままになってしまうか、あの子の様に感情を爆発して泣きじゃくってしまうかが予想もつかない。
そんな28歳の僕でも経験した事の無い辛い別れを味わってしまったあの子もまた、それを糧にさらに辛い事にぶち当たっても乗り越えて行けるのではないだろうか。

映画の後半でムッちゃんの実のママが出て来て、なんとか再び一緒に住める様に試行錯誤をするのだが、トークショー内で出て来た情報によるとムッちゃんは未だに母親とは同じ家で暮らせてはいないようだ。
パニック障害を患う母親も娘とどうやって関わって良いか模索している状態であり、それを知ってか知らずかムッちゃんが「家に泊まりたくない」と実の家をまるで旅館のような語り口で軽く拒絶する様は痛ましかった。

マリコさん自身の境遇については映画内では特に触れられていなかったのが気になったが、ムッちゃんとマリナの前に育てていた子達の留学費用を個人的に捻出したというエピソードもあって、結婚をせず住み込みで働いている彼女自身も何かしら過去にあった出来事を引きずって生きているのかもしれない。
もしかしたら、子供時代に施設の子らと同じような経験をしていたのかもと推測したりもした。
そうするとムッちゃんの誕生日で流した涙も非常に意味深ではある。

施設職員としての目線、親としての在り方、子供から見た大人、そして自分にとっての隣る人とはという事について否が応でも考えさせられる、素晴らしい作品だった。
児童虐待に関する事件は、年間48000件近くに上るという。
それが無くならない限り、彼らにとっての「日常」は続いて行く。
小

小の感想・評価

4.2
終盤、ある人の涙を見て、その理由を想像し、なるほどこれは“隣る人”のドキュメンタリーだと思った。

埼玉県の児童養護施設「光の子どもの家」は、親と一緒に暮らせない子どもたちと、保育士が親代わりとなって一緒に生活し、可能な限り普通の暮らしを実践することに取り組んでいる。

施設に預けられる子供たちは皆、狂おしいまでに愛情に飢えていて、親代わりの保育士たちへの甘え方が凄い。まるでこれまで与えられてこなかった分の愛情を取り返そうとしているかのようだ。

そんな子どもたちだからかもしれないけれど、保育士たちの対応は、私が娘にやってきたことと同じ。ぎゅうぎゅう抱きしめ「どんなときでも大好き」と言葉で伝えること。

私と違って保育士たちは、そうするように教えられているのかもしれないけれど、たとえ親からでなくとも、誰かに承認してもらうということが子どもには是非とも必要なことなのだ、と私は信じている。

育児や教育に正解はなく、私の娘がどうなるかわからないけれど、私はそう信じている。だからこの施設の子どもたちは幸せで、ここでの経験はきっと彼らの人生の支えになるだろうと信じている。

一方、子ども達を育てる側はどうなのか。親の場合、子どもたちを承認することで親としての自分も承認しているのだと思う。子どもたちと一緒に笑って、怒って、悲しんで、子どもたちとでなければ体験できないことを体験して、人生を与えてもらっている。

お互いを承認し合うのに、親子の関係なら遠慮はいらない。しかし、親ではなく、親代わりで、できることなら親と子どもを一緒暮らせるようにするのが役割の“隣る人”は子どもからの承認を、素直に、思う存分受け止めることができない複雑な思いがあるのではないかと思う。

親が子どもを承認するのに涙はいらない。子どもに承認された親は嬉し涙は流すかもしれない。しかし、“隣る人”の涙は子どもの承認を受け止めきれない悲しみも入り混じっているのではないだろうか。

やがて子どもたちは施設を離れ、新たな居場所を見つけるだろう。親ならばいつまでもお世話やお節介を焼き続けることができるけれど、願わくば大人になった子どもたちが、“隣る人”を忘れずに連絡をとったり、会いに行ったりして欲しい。子どもたちがそうしてくれたとき、“隣る人”は自らを心から承認できるのではないだろうか。

●物語(50%×4.5):2.25
・子どもよりも大人に焦点が当たっているように感じられたのが良かったかな。続きが見たいかも。

●演技、演出(30%×4.0):1.20
・8年間密着しただけあって、ナカナカのシーンが詰まっている感じ。

●画、音、音楽(20%×3.5):0.70
・普通かな。撮影に『アヒルの子』の小野さやか監督の名前を見つけて、ちょっとだけおおっと思った。

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