「バズ」を生み出す明円卓。はじまりは両親へのプレゼンだった

クリエイティブディレクターの明円卓。原宿の「友達がやってるカフェ」にて

世界を変える30歳未満の30人を表彰するForbes JAPAN「30 UNDER 30」。6回目となる今年はスケールアップし、各ジャンルで活躍する若者たち120人が、8月24日に発表される。

受賞者の選出にあたっては、各カテゴリーで活躍する専門家・業界オーソリティ・過去受賞者をアドバイザリーボードとして迎え、協力を仰いだ。kakeru代表取締役でクリエイティブディレクターの明円卓もその一人だ。

電通時代に「意識高すぎ!高杉くんシリーズ」(KDDI)など、近年ではメルカリのCMなどを手掛けるCMプランナー、コピーライターでありながら、「JANAI COFFE」、「友達がやってるカフェ」など、SNSでバズる企画も多数手がけている。

日々アイデアを生み出し続ける明円は、いかにして天職に辿り着いたのか。30 UNDER 30世代に向けて、話をしてくれた。


「実力主義」を体感した子ども時代

子どもの頃から振り返ってみると、両親の教育方針が、僕のマーケティング思考を育てたのかもしれません。「あれをしちゃダメ」「こうしなさい」とは一切言われないかわりに、「お父さんとお母さんを喜ばせて」と言われていました。僕も、両親がどうすれば喜ぶのかを常に考えて行動していました。

例えばお年玉。毎年正月になると、前年の成果を両親にプレゼンしていました。読書感想文で賞をもらった、とかそういったことです。その内容によってお年玉の金額が決まります。会社の賞与制度のような考え方ですよね(笑)。親が中小企業の経営者だったのもあるのかもしれません。

怒られたことや「勉強をしなさい」と言われたことは一度もなく、「頑張ったら賞与がつく」というスタンス。その“賞与”も、決して年齢に応じて上がるわけではなかったので、実績によって変動する実力主義な世界を、身をもって感じていったのかもしれませんね。

子どものころ、両親に一番喜んでもらったのが「音楽」でした。歌、ギター、ピアノなど、音楽をやっている時が一番褒められたんです。褒められるということは求められているということ。小学校6年生頃から作曲家を目指すようになりました。

僕が演奏していたのは、J-POPやその時の流行りの音楽でした。昔から“みんなが好きなもの”が好きだったんです。これは今の仕事にもつながっている部分だと思います。あまり自分でつくりたいものはなくて、みんなが好きと言ってくれるか、世の中に喜んでもらえるかの方が重要なんです。周りの空気を読んだり、アンテナを張ったりするのが得意でした。
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文=釘崎彩子 取材・編集=田中友梨 撮影=小田光二

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