故意と過失との間には…(1)親の仇ズザーッ事件
ここでようやく、『故意の三段活用事件』を一つずつ見ていきます。
「親の仇」ネコは、ターゲットに復讐を果たすために砥石で爪を研いで背後から忍び寄り、命を奪っています。自身の行為によって死亡結果が起こり得ることを認識した上で、かつその結果を認容している(積極的に受け入れている)と評価できます。
したがって、彼女には、殺人の故意が問題なく認められます。
故意と過失との間には…(2)おやつの恨みザシュー事件
「食い物の恨み」ネコは、おやつを盗み食いしたルームメイトに腹を立てて復讐を決意しています。行動に移す前に爪が刃物のように伸びていることに気付いていますが、「その時はその時だ」と開き直って、結果的にルームメイトの命を奪っています。
(1)の「親の仇」ネコとの違いは、死亡結果を〈積極的に〉受け入れているわけではないという点です。ただし、「その時はその時だ」の意図が、「(このくらい長い爪で襲いかかったら命を奪ってしまうかもしれないけれど)その時はその時だ」と読み解ける場合には、死亡結果を〈消極的に〉受け入れていたことになります。
このように、死亡結果を積極的に受け入れていなくても、そのような結果が生じる可能性を認識している場合には、踏み止まるきっかけは与えられていたわけなので、故意犯の責任を負わせることができると考えられています。
この犯罪事実の実現可能性を認識しているに留まる(消極的に受け入れている)故意のことを、「未必の故意」と呼んでいます。
実際の事件では、(1)のような確定的な故意が認められるケースよりも、(2)の未必の故意が認められるケースの方が多いと言われています。
たとえば、渋谷のスクランブル交差点に面しているビルの屋上からスーツケースを放り投げた者は、「歩行者にぶつけて命を奪ってやろう」という確定的な故意までは有していなくても、「歩行者にぶつかったら命を奪ってしまうかもしれないけれど、その時はその時だ」という未必の故意は有しているはずです。
故意と過失との間には…(3)おっとっとジャシーッ事件
「爪きり忘れ」ネコは、通行人に襲いかかるつもりはなく、当然死亡結果も認識していません。したがって、(1)や(2)とは違って、踏み止まるきっかけすら与えられていなかったわけですから、故意犯の責任を負わせることはできません。
この場合は、不注意による過失犯が成立し得るに留まります。以上が故意犯と過失犯の区別に関する説明になります。
行為者の主観を正確に読み取ることなんて本当にできるのかと、疑問に思った方もいるかもしれません。今回は、行為者の主観が確定しているものとして説明しましたが、実際の事件では、黙秘を貫いたり罪をまぬがれるために嘘をついたりすることも充分考えられます。
この解説を執筆している時点の技術では、内心を正確に読み取る機械や装置は発明されていません。司法の現場ではどうやって行為者の内心を認定しているのかというと、客観的な事実を積み重ねて主観を推認するという方法が主に用いられています。
殺意を例にとると、凶器の種類や形状、急所を狙っているか、犯行前後の行動、被害者との間に確執や因縁があったか……といった事情を一つずつ積み重ねていって、被害者の命を奪うことを認識・予見していたかを認定していきます。
その判断において行為者の主張を参考にすることはありますが、嘘に惑わされないためには、やはり客観的な証拠が重要であると考えられています。