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家路が遠い 千早茜「ときどき わるい食べもの」

[奇数月更新 はじめから読む

illustration:北澤平祐


 東京に住んで二年が経った。その間、京都に戻ったのは四回だった。出身地でも、家があるわけでもないのに、つい「戻った」と書いてしまうほど京都が好きなのに、たったの四回であることに我ながら驚く。京都は初めて自分で選び、人生でもっとも長く住んだ街だった。京都をでるときは、毎月戻ってくると思っていたのに。

 引っ越して一年はまだコロナ禍による緊急事態宣言がちらほらとあった。二年目は自粛ムードも薄れ、取材旅行ができるようになったが、私がコロナに罹り体調がいまいちだった。年が明けてからは大きな文学賞をいただき忙しくなってしまった。
 またしばらく戻れないかと思っていたら、京都市と京都府から文化賞を授与されることになり赴かなくてはいけなくなった。おお凱旋だ、と弾むような気分でその日を待った。

 当日は大雨だった。数日前から大型の台風が日本列島に近づいていると天気予報が告げていた。私は担当編集者に先駆けて新幹線に乗り、早めに京都へ向かった。到着するやいなや、盆地の湿度がのしかかってくる。気圧のせいか、頭も痺れるように重い。京都も雨が強かった。そして、コロナ禍前に戻ったかのような観光客の多さだった。
 折悪しく、錦市場に用事があった。長く使っている卸し金を修理にだしたかったのだ。アーケードのある通りなので雨の日は人が多い。仕方ないと、多国籍の観光客であふれる路地に入る。進まない。まるでおしくらまんじゅう。懐かしい京都の牛歩だ、と思いながら予定より三倍の時間をかけて用事を済ませ、愛するパフェで疲れを癒し、担当編集者と合流した。

 慣れない仕事を終え、さあ自由だと予約していた居酒屋へ直行する。前に住んでいた家の近所にあり、毎月のように通っていた店だ。手書きのお品書きは変わらずびっしりで、この中のなにを頼んでもいいという口福に震える。はしりのはもがでていた。おとしとフライの両方をお願いする。しゃーしゃーという音を響かせて鱧の骨切りをする大将を眺めながら、東京ではあまり見かけないずいきの胡麻和えをつついて、冷酒を飲む。担当編集は巨大ないわ牡蠣がきに狂喜していた。私はお造りの盛り合わせに初鰹はつがつおを入れてもらった。天麩羅は若鮎で。この季節に食べたいものがちゃんとある。周囲から聞こえてくる関西弁が心地好い。何度も過ごした初夏の宵の口だった。でも、どこか違う。なんだろう、と思いながら締めのおにぎりまでたらふく食べた。

 湿った京都の夜道を、馴染みのバー「月読つくよみ」へと歩いている途中で気づいた。朝から目的地にしか向かっていない。短い滞在日で行ける店は限られている。だから、予定を組み、予約をして、ひとつひとつこなすようにして好きな店をまわっていた。新しい店も、歩いたことのない道も目に入っていない。興味深いものを見つけたとしても、私には割く時間もなければ、次にいつ来られるかもわからないから。

 住んでいたときはこういう時間の使い方はしなかった。予約も目的もない空白の時間があり、その中で碁盤の目の街をふらふらと歩き、四季折々が見せてくれる違う顔を楽しんだ。それが日常だった。いまは同じ京都にいても、昔の記憶をなぞっているだけだった。それでも、なぞれるだけいいのだ。なくなってしまう店もあるし、街並みだって変わっていく。

 考えてみれば、転勤の多い家庭で育った私には故郷がない。作家としてのプロフィールには北海道生まれと書かれているが、京都に住んでいた年数のほうが倍くらい長いし、もう実家もなく会いたい友人もいないのでわざわざ海を越えて行くこともない。私にとっての「家」は土地というより、自分のにおいのするベッドや、使い慣れた台所や、茶や仕事をする机だ。
 二回目に東京から京都に戻ったとき、真夜中に便器が真っ赤になるほどの血尿がでて、ホテルからタクシーに乗り救急外来を受診したことがあった。深夜なのにしらじらと明るい待合室でぐったりしながら帰りたいと思い、自分の身体が「家」だと認識できるものがもうこの街にないことに気づき愕然とした。新幹線に乗らねば私が腹の底から安堵できる場所には辿りつけない。家路が遠い。
 それから京都は、他の旅先と同じで、体調が悪くないときにしか行けない場所になった。あの時点で、もう京都は戻るところではなくなっていたのだ。

 さみしいだろうか、と自問して、当たり前のことだと思った。東京だって、京都と同じく、私が選んで住んでいる街だ。好きな店も、居心地よい「家」もあるし、東京でなくては仲良くなることもなかった人に出会えた。ちゃんとそこで生活し、生きているから、京都が遠くなったのだ。それは悪いことではない。

 東京より暗いしっとりした道を歩いて、月のマークの看板の下を抜ける。木の扉を開けると、古いレコードと洋酒の懐かしい匂いがした。「いらっしゃい」とカウンターの向こうでマスターが言う。「ひさしぶり」とも「帰ってたんですね」とも言わない。先週も会ったような顔で席を勧める。「こんばんは」と言いながらスツールに腰かける。この街で生きていたときの顔でいられる場所はまだある。

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【ときどき わるい食べもの】
奇数月更新

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で09年に泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、22年『しろがねの葉』で直木賞を受賞。小説に『男ともだち』『犬も食わない』(共著・尾崎世界観)『ひきなみ』など。エッセイ集に『わるい食べもの』『しつこく わるい食べもの』『胃が合うふたり』(共著・新井見枝香)がある。
Twitter: @chihacenti

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