杉村太蔵、政治家時代の「あの発言があって今がある」薄口政治評論家、人気コメンテーター 18年間を振り返る

スポーツ報知
「ワイド!スクランブル」のスタジオに座る杉村太蔵

 元衆院議員でタレントの杉村太蔵(44)は、20代からの変わらないスタンスが魅力だ。2005年の衆院選で“棚ぼた当選”し「グリーン車乗り放題」など奔放発言を連発して注目を集めた。政治から遠ざかった後もコメンテーターとして情報番組などに引っ張りだこ。息の長い活動を続けている。一見、軽そうでいながら本質を見失わない冷静さを持ち合わせ、事務所にも所属せず自分の行動に責任を持つ。「あの時の(奔放)発言があって今がある」と振り返った。(浦本 将樹)

 甲高い声に、短いフレーズを分かりやすくつなげる。18年前に「お騒がせ議員」としてにぎわせたトーク力が、テレビ番組で生きている。

 現在、テレビ朝日系「大下容子 ワイド!スクランブル」(月~金曜・前10時25分)、TBS系「サンデー・ジャポン」(日曜・前9時54分)など全国ネットの人気番組でコメンテーターを務め、地元の北海道では経済番組のMCも。8つのレギュラー番組を持ち、落選議員の“セカンドキャリア”としては抜群の生命力を誇る。

 最新の話題には常にアンテナを張り巡らせている。「報道されていることは全て目を通すようにしています。新聞記事もスマホではなく、なるべく紙面で読みます。新聞社として伝えたいニュースの大きさがある。編集されている意味、お金を払う価値はそこにあると思います」

 自分の考え方はしっかりと持つ。最近話題のジャニーズ問題に関しても同様だ。「2回目の会見は『NGリスト』ばかりが注目されますが、ポイントは3つあります。〈1〉事業承継税制の優遇措置を放棄して相続税を払う〈2〉社名を変更して被害者の救済補償の専門会社に変わる〈3〉補償が終わったら廃業する。私も会社を経営していますが、もうこれ以上、責任の取りようがないですよ。もっと会見の中身が評価されていい」。批判される可能性もはらむが、きっぱりと言い切った。

 NGリスト騒動についても思うところがあるという。「リストに載っている記者は当てられてないのに、マイクを通さず質問していましたよね。それに東山(紀之)社長も井ノ原(快彦)副社長も答えていましたよね。これ以上、何を聞くんですか。コンサル会社はひどいし、東山さんと井ノ原さんは気の毒です」

 コメント力の根底にあるのは冷静な自己分析だ。「僕は議員になる前は証券会社にいました。おこがましいですが議員として当選も落選も経験した。この専門領域は切り込んでいい。数字は必ず政府のデータを参考にします」と徹底する。MCの大下容子アナウンサー(53)からの突然の振りに戸惑っても「自分が把握していることまでしか言わない。知らないことを話そうとするから慌てるんですよ」。意外というと失礼だが、これだけ生放送に出演して一度も発言の訂正をしたことがないという。

 議員当選直後、「年収2500万円!」「グリーン車乗り放題」「行ってみたいですよ、料亭に」の奔放発言で所属する自民党から注意された。バッシングも多く、新人議員としては異例の謝罪会見まで開いた。記者も当時、政治担当として追いかけたが「スポーツ報知の読者の皆さん。あれから18年たって私も44歳になりました。これだけは申したいのは、政治を風刺、揶揄(やゆ)し、皮肉を言おうという気持ちは全くなかったんです」と釈明する。

 その後は苦労も味わった。09年衆院選の出馬を断念。10年の参院選では落選し、「ただの人」に。「無職のつらさと焦りって、無職を経験した人じゃないと分からない。女房、子供を養うため、やりたいことはさておき、できることをやらないと」と、なりふり構う余裕はなかった。

 参院選後、証券会社に戻ろうと思っていた時に来たのが「―ジャポン」の仕事。MC・爆笑問題の太田光(58)に「薄口政治評論家」と命名され“タイゾー節”は復活を果たした。次第に報道番組にも呼ばれるようになった。

 良くも悪くも知名度を上げてくれた政治家時代の発言の数々に「あれがなければ、今はないのかな」。反省はしていても後悔はない。「ワイド―」では当初、無難な発言を連発していたが、大下アナからは「もっとはっきり言って大丈夫です。太蔵さんが何を考えて、ニュースをどう感じているかが、みんな興味があるんです」と指摘された。「今も、あの時の感覚を忘れずにコメントをしようとはしていますよ」と判断基準は変えていない。

 さまざまな場面で師に恵まれたという。議員時代、毎日のように説教してくれた武部勤元幹事長(82)は今でも番組後に電話が来る。小泉純一郎元首相(81)も食事の場で「しっかりやれよ」と励ましてくれる。

 議員時代は派閥に属さず、今も芸能事務所に入っていない。マネジャーもスタッフもゼロ。「証券会社では秘書をやったので、事務処理能力には自信があります」。スケジュール管理と請求書の作成、郵送も自分でやる。「これまですっぽかしも、ダブルブッキングも、テレビの裏かぶり(同じ時間に複数のチャンネルで出演)も一切ありません」と胸を張る。

 地元の旭川では飲食店街「旭川はれて屋台村」をプロデュースし、地方創生事業も行う。タレント、コメンテーター、シニアテニス選手、青年実業家…。多くの顔を持つものの、軸は決めていない。永田町に戻るつもりもないという。

 将来、考えているのは海外進出。「韓国語と中国語は話せませんが、AIで同時通訳が当たり前になってきた。海外の番組で日本の状況を伝えたい。韓国、中国の人が日本のテレビに出ているのに、逆はあまり聞かないですよね」。政治家からタレントへと異例の転身をした杉村は、今後も我が道を進んでいく。

 ◆杉村 太蔵(すぎむら・たいぞう)1979年8月13日、北海道旭川市生まれ。44歳。小4からテニスを始め、高3の97年、国体少年男子ダブルスで全国制覇。筑波大中退。派遣社員から外資系証券会社を経て、2005年9月の衆院選で自民党から出馬し、比例南関東ブロックで最年少当選。任期終了後の10年の参院選に「たちあがれ日本」から立候補も落選。その後は自ら設立した会社を経営し、タレント、投資家として活躍。家族は妻と1男2女。

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