「美容」から考え直す、当たり前

「顔加工」は詐欺?「盛り」と「盛りすぎ」の境界線とは

更新日:2023.07.18

顔加工 「美容」から考え直す、当たり前

もはや常識となった「顔加工」。盛れてるとアガりますよね。けれど、加工された顔写真に対し、「詐欺だ!」と心無い批判を見かけることもしばしば…。そこで「盛り」と「盛りすぎ」の境界線をめぐる「顔加工」文化の実態について、「盛り」文化の研究をされてきた久保友香さんに考察いただきました。

この記事を書いたのは…
久保 友香(くぼ・ゆか)さん

メディア環境学者

久保 友香(くぼ・ゆか)さん

1978年、東京都生まれ。東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了。博士(環境学)。専門はメディア環境学。東京大学先端科学技術研究センター特任助教、東京工科大学メディア学部講師、東京大学大学院情報理工学系研究科特任研究員など経て、独立。著書に『「盛り」の誕生:女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識』(太田出版、2019年)。共著に、『プラットフォーム資本主義を解読する:スマートフォンからみえてくる現代社会』(ナカニシヤ出版、2023年)など。

あのTikTokerの加工顔は「盛りすぎ」?

顔加工 「美容」から考え直す、当たり前

数ヵ月前のこと、人気TikTokerさんの「無加工顔」※1が明らかになり、TikTokで見せていた「加工顔」と違うと、批判が集まっているというニュースが流れてきました。
いったいどんな批判が集まっているのかと端から読んでいくと、TikTokで見せていた顔は、「別人だ」「詐欺だ」「盛り過ぎだ」「現実よりも美しくなって自我を失わないのか」などのコメントが多く書き込まれていて、腑に落ちない気持ちになりました。

というのも、私は、1990年代以降の日本の若者たちが、プリクラや顔加工アプリあるいは化粧などのテクノロジーを使った、バーチャルなコミュニケーションでの交流と、外見を加工する「盛り」について研究してきました。各時代に若者だった人たちへのインタビューもしてきました。

そこからわかったことは、若者たちの「盛り」文化には二つの決まりがあるということです。
一つ目は、「盛り」は普遍的な「美」の基準を目指すのではなく、若者たちのコミュニティの中で共有している常に変化する基準を目がけて、顔加工をするということです。その基準の背景にあるのは、むしろ普遍的な「美」の基準に対する反抗心や、仲間との協調性や、新しいテクノロジーを次々と取り入れていく好奇心。その核にあるのは若者たちの「遊び心」であって、決して「自我を失う」ような深刻な行為ではないと考えていました。
二つ目のルールは、「別人」や「盛り過ぎ」となる一歩手前の加工に留めることです。若者たちは、理想的に盛ることができると「盛れてる」と言いますが、加工し過ぎるとそれは「盛れ過ぎ」であって「盛れてない」のと同じだと言います。

そこで、プリクラメーカーさんと共同研究させていただき、どのくらいの顔加工が「盛れてる」なのかと探ったところ、加工を徐々に大きくしていくと、急激に「別人感」が高まるところがあり、それを私は「盛れ過ぎの坂」と名づけたのですが、その坂に入る直前くらいの顔加工が理想だとわかってきました。坂に入る直前ぎりぎりを目指すために「プリクラで盛れるためにトレーニングが必要」と言う人もいたほどでした。※2

顔加工 「美容」から考え直す、当たり前
図/筆者提供

これに従えば、人気TikTokerさんがTikTokで見せていた「加工顔」も、現実よりも過剰に「美しく」なろうとしたわけではなく、また、「別人」になって「詐欺」を働こうとしたわけでもなく、ご本人も「自我を失って」はいないと推測します。もちろん最終的に「盛れてる」にするか「盛れすぎ」にするかは個人の判断に拠る面もありますが、少なくとも若者の「盛り文化」からすると、それはあくまで「盛れてる」範囲内での「顔加工」のはずです。それなのに「別人だ」「詐欺だ」という批判の声が集まっていたので、腑に落ちなかったわけです。

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「盛り」文化の最新マナーとは?

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