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戦争を監視すべき記者に“従軍”とは?・・・“従軍記者”という恥辱的な呼び名

登録:2014-07-10 11:04 修正:2014-07-11 06:46
【土曜版】チョン・ムンテの“第3の目”(26)戦争と言論
戦争報道で言論が独立性を持って軍隊を監視するなら、記者の呼称から正すべきだ。1982年11月、カンボジア紛争の時クメールルージュの兵士たちを取材する外信記者の姿。馬渕直城氏 提供

 毎年この時期になると、国内外の言論は戦争を定番メニューに取り上げる。今年も6月の1ヵ月間、言論各社ごとに多くの戦争を取り上げた。 現代史を揺さぶった戦争の中心となるような事件が6月に集中しているからだ。ちょうど100年前の6月28日はオーストリアの皇太子フランツ・フェルディナンドが暗殺され、第1次世界大戦の始発点となったいわゆるサラエボ事件が起きた日であり、73年前の6月22日は320万のドイツ軍がロシアを全面攻撃して第2次世界大戦が東部戦線へと拡大された日であり、70年前の6月6日は第2次世界大戦でノルマンディー上陸作戦としてよく知られている連合軍のオペレーション・オーバーロード(Operation Overload)が始まった日だ。6月5日はイスラエルと中東国家間の6日戦争(1967年)が起こった日で、6月11日はコソボ戦争(1998年)と呼ばれてきたNATO連合軍のユーゴ侵略戦争が終わった日で、6月14日は英国とアルゼンチンのフォークランド戦争(1982年)が終わった日だ。それに加えて、朝鮮戦争(1950年)が起こった6月25日に、6月5日戦争(1997年)と呼ばれてきたコンゴ共和国内戦をはじめ、いちいちすべてを記すこともできないほどだ。もっとも歴史を見てみれば、365日、戦争のなかった日はたったの一日もないだろうが、とにかく現代史において6月は普通と違う月ではないかと思う。

戦線に立った瞬間、記者は監視の目で軍隊を見なければならない
国家・民族・宗教・政派はもちろん、時には所属会社すら裏切ることもある
それなのに“軍隊に従う記者”だと?

国際社会は従軍慰安婦たちを“日本軍隊の性奴隷”と規定した
ならば従軍記者とは“報道奴隷”という意味だ
これが勲章のように思うべきラベルなのか

1949年に国防部が発給した“従軍記者修了証”

 外信にしろ、韓国言論にしろ、その6月の戦争記事をざっと見ると胸が息苦しくなる。 その過ぎ去った戦争をめぐって、依然として誰がタンクを破壊したとか、誰が高地を奪還したとかいう武勇談を持ち出して好戦的愛国心を強要するありさまがそうだ。現代的な姿を備えた戦争報道が180歳にもなっているのに、いまだに言論の精神年齢は思春期にも達していないのではないかと思う。現代的概念での言論が行う戦争報道とは一体何か? 国家の名で政府が引き起こす最も極端な政治行為である戦争を、市民の名で監視するよう委任を受けたのが言論である。だとすれば、言論はその戦争報道において、当然に反戦と平和という人類史的価値を扱ってこそ正常だ。 国家と政府の違いも区別できない言論が流布する好戦的愛国主義が、それで一層目に余るのかもしれない。市民の目で見る時、この世に偉大なあるいは正当な戦争などというものは、決してなかった。21世紀の市民意識にさえ追いつけずに、相変わらず前近代的軍事主義を巡る議論に陥っている言論の習性が哀れに見える理由だ。

 6月版の戦争記事で、韓国言論が特に好んで使う用語が一つある。従軍記者だ。これがまさに、現代市民社会との疎通が困難な好戦的軍事主義歴史観を持った韓国マスコミ各社を象徴的に見せてくれる言葉だ。ここには保守・進歩の区別はない。新聞も放送も同じだ。韓国の報道機関や記者たちは、従軍記者という言葉を何か勲章のように感じているのではないかと思う。たまたま誰かが紛争地へ取材に行けば、決まって“従軍記者 誰々”、さらには“従軍プロデューサー 誰々”という名前で出てくるのを見る度にそう思うのだ。だから、リビア示威を取材しながら交戦現場は一度も見ていない新聞記者もみんな従軍記者だったし、アフガニスタンで米軍に付いて回りながらタリバンを“敵”と呼んでいた写真家も従軍記者だったし、イラク バグダッドのホテルの部屋に座って戦線のにおいを一度も嗅いだことのない放送記者もみな従軍記者だった。なぜ皆がそんなに従軍記者というタイトルに幻想を持ったのだろうか。

 従軍記者とは何か、そのルーツを掘り下げてみよう。まず、辞書的意味から見てみよう。漢字から取ってきた従軍記者というのを解いてみると、文字通り“軍隊に従う記者”だ。この從の字は“従う”または“追う”という表面的な意味以外にも“服従する”あるいは“背かない”という深刻な裏の意味を持っている。だからこの従軍という言葉を使う限り、独立性を生命とすべき記者が軍隊に服属させられる存在でしかないという意味になる。

 記録によれば、韓国言論がこの従軍記者という言葉を初めて使ったのは、1949年に国防部が東亜日報、朝鮮日報をはじめとするマスコミ記者20人余りを選抜して泰陵(テルン)陸軍士官学校で訓練を受けさせて発給した「従軍記者修了証」ではないかと思う。続いて朝鮮戦争時の1951年、避難地だった大邱(テグ)で軍事訓練を受けた記者たちが憲兵司令部所属の従軍記者として戦線を取材した記録がある。まさにその時代、軍に所属して勝利だけを伝えたその伝令使たちが“軍隊に従う記者”だったから、本当の従軍記者だ。近くは2003年、米国の第2次イラク侵攻の時、米軍が世界各国のマスコミから選んだ記者たちを訓練してから現場に連れて行き、見せたい“美しい戦争”だけを見せた、いわゆるエンベッデッド・ジャーナリズム(embedded journalism)に付いて回った人々は従軍記者と呼ぶに値する。

 しかし、軍隊の監視と批判の機能を強調した現代的言論観で見れば、軍と言論は必然的に敵対関係であってこそ正常だ。だから軍隊が遂行するその戦争を取材する人を従軍記者と呼ぶのは、基本概念からして衝突が起きざるを得ない。ここまでが表面だけから見た従軍記者だ。

韓国言論がその言葉を使うのは反逆ではないか

 今度は世の中を見回して、従軍記者という言葉の中身を掘り下げてみよう。他の言語圏ではこの従軍記者をどう呼んでいるか? 日本は言うまでもなく私たちがそこからコピーしてきたのだから、同じ漢字を使って従軍記者と呼ぶ。中国は従うという意味を持つ随の字を使って随軍記者と呼んできた。しかし、同じアジア圏であるインドネシアではワルタワンプラン(Wartawan Perang)、タイではプスカオソンクラム、そしてビルマではシッタディンダウクのように、皆“戦争記者”と言う。英語でウォー・コレスポンダント(war correspondent)、ドイツ語ではクリクスレポル(kriegsreporter)、フランス語ではコレスポンダン・ドゥ・ゲール(correspondant de guerre)、スペイン語ではコレスポンサル・デ・ゲラ(corresponsal de guerra)のように、欧州語圏でも全て“戦争記者”と呼んできた。このように韓国、日本、中国を除けば全ての言語圏において、戦争を取材する記者を軍隊と一つ穴の狢のように括って“軍隊に従う記者”とは呼んでいないという事実が見えてくる。

 これは言語的・文化的な違いではない。私の友人である20人以上のアジア・アフリカ・欧州出身の外信記者たちと話を交わしてみたが、“軍隊に従う記者”という言葉を誰も理解できなかった。この従軍記者という言葉は、19世紀末に日本軍の侵略戦争と共に育ってきた日本言論から始まった軍国主義用語であり、従ってこれは歴史観の違いだ。

 その良い例として、従軍慰安婦というとんでもない用語がまた一つある。日本軍国主義の軍隊が組織的に犯した性暴力の被害者たちを「軍隊に付いて回りながら性を売る女性」という意味を持った従軍慰安婦と呼んできた国は日本と韓国だけだ。同様に日本の軍国主義者が侵略戦争に記者たちを動員して好戦ラッパ手の役目をさせながら貼り付けた言葉が、従軍記者だ。それで従軍慰安婦と従軍記者というのは、本質的に同じルーツを持つ用語だ。 国際社会が従軍慰安婦を“日本軍の性奴隷”と規定して、その被害者たちを呼んできた。それならば従軍記者というのは“報道奴隷”という意味だ。これでも従軍記者というラベルを勲章のように大切にして感動するのか。

 日本のマスコミが今日までその2つの用語に固執しようがしまいが、それはそちらの(日本の)歴史観である。ただ、軍国主義侵略史観を当然拒否すべき韓国の言論がその2つの用語をそのまま書き写して使用してきたことは反逆である。つねに親日を叱責し、日帝の残滓清算を叫びながら、いまだに日本軍国主義の用語を一番多く使うところが言論界であり記者たちでもある。その象徴がほかならぬ従軍記者という用語だ。

 私の経験で言えば、私は20年以上戦争を取材しながら、自分が軍隊に付いて回る奴だと考えたことは一度もない。さらには、軍隊に服従したり屈服するというのは想像もできないことだった。それで、自ら従軍記者と思ったことはなく、従軍記者と名乗ったことも当然ない。戦争を取材する記者というのは、市民社会から戦争の本質を掘り下げ軍隊を監視せよという命令を受けた人たちだ。したがって戦線に立った記者が服従する義務のある対象はひたすら市民だけだ。それで記者は戦線に立った瞬間から、自分が属する国家・民族・宗教・人種・政派のようなものは言うまでもなく、金をかけて自分を派遣した会社を裏切ってでも市民の側に立つことが正しいと信じてきた。だから、軍国主義のにおいがぷんぷんする従軍記者という言葉に強い拒否感を覚えざるを得なかった。それに加えて、軍隊とメディアの従属関係を意味するこの従軍記者という言葉は、戦線を駆け回る記者の自尊心を踏み躙る非常に不快な用語に聞こえた。本当に戦線を駆け巡る記者たちは、軍言同衾に入らないことを職業的名誉とみなしてきた。その名誉は自分たちを戦線に派遣した市民に対する礼儀だった。

軍言同衾から目覚めるために

 戦争報道で、言論が独立性を持って軍隊を監視するというのなら、記者の呼び名から正すべきではないだろうか。振り返ってみると、韓国の言論においてこの問題を考え悩んだことが全くないわけではなかった。1990年代の中・後半、<ハンギョレ21>が初めて頭を抱えて考えた。その頃、私の意志とは関係なく「従軍記者チョン・ムンテ」という言葉が記事に付いていたことがあった。ひどい拒否感を覚えた私に、当時編集長が提示した代案が“国際紛争専門記者”だった。それが今まで韓国の言論全体を通じて、従軍記者という言葉を換えてみた唯一の実験だ。それ以来、いくつかのメディアが国際紛争専門記者、紛争専門記者のような言葉を使い始めた。しかし実際のところ、その国際紛争専門記者という言葉も、あまりにご大層な感じがするばかりでなく、専門性というのがとても主観的な概念であるために、必ずしも相応しいとは言えない。そこで私は2004年に本を出す際に、従軍記者の代わりに“戦線記者”という言葉を使い始めた。この方が“戦争記者”という言葉よりは謙遜な感じがするし、何よりも戦争を引き起こした主犯たちがとぐろを巻いている政界と軍人たちが戦っている戦場という二つの戦線を共に取材領域とせねばならない自分の現実を、より幅広く表現できる言葉だと感じたからだ。また、「政治の抜けた戦争取材は自慰行為だ」と信じてきた私にとって、戦争記者という言葉はあまりにも戦場だけを強調する感じがしたということもある。

 とにかく社会的共感を得るまでは、国際紛争専門記者でも戦争記者でも戦線記者でも何でも良い。ただ、従軍記者という言葉はもうこの辺で捨てようという決心を、読者と共有したいと思う。“従軍記者”が生きている限り、記者たちは軍隊から永遠に独立できないからだ。“従軍記者”が生きている限り、言論は軍言同衾から永遠に目覚めることができないからだ。 “従軍記者”が生きている限り、戦争報道は破滅的武装哲学から永遠に自由になれないからだ。 “従軍記者”が生きている限り、市民は戦争の幻想から永遠に抜け出せないからだ。

 いまや“従軍記者”を葬り、戦争を引き起こす政府とその軍隊に堂々と対抗できる素敵な名前を記者たちに贈るべき時が来た。そしてその記者たちに対して、軍隊に付いて回らず、市民に代わって戦争を監視することを堂々と要求してほしい。

※チョン・ムンテ:1990年からタイをベースに仕事をしてきた国際紛争専門記者。 23年間、アフガニスタン・イラク・コソボをはじめとする40余の戦線で活動し、アブドゥルラフマン・ワヒド インドネシア大統領、フン・セン カンボジア総理など最高位クラスの政治家50余名をインタビューした。著書に『戦線記者チョン・ムンテ 戦争取材16年の記録』(2004年)、『現場は歴史だ』(2010年)がある。 隔週で国際ニュースの裏面を<ハンギョレ>の読者にお伝えする。

https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/645516.html 韓国語原文入力:2014/07/06 11:39
訳A.K(5524字)

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