自覚なき修行僧

心理相談など心理社会的支援の場で苦悩する人々を見ていると、思わず修行僧の姿が重なります。しかしながら自ら悟りを求める僧との違いは、自覚なき求道ということにあります。

修行は、より自然なるもの、より救われるもの、悟りに近づくようなものであるからこそ続くといえます。より不自然で、より苦悩ばかりを強いられるような苦行は、修行にすらならず、ただの苦痛といえます。

修行は、より自然体に生きられるような生き方を発見・創造していくような求道でなければ不自然と考えられるのです。