現代の高校生が戦国時代にタイムスリップする、という設定のエンタテインメント作品がいくつかありますが、もし本当にそうなったら、言葉は通じますか。
まず、戦国時代がいつ頃のことを指すのか、というところから考えてみましょう。一般的には、おおよそ室町時代(1336~1573)の後半がその時期に当たるようです。と言っても、当時どういった言葉が用いられていたのか、あまりピンとこない方が多いのではないかと思います。
日本語を歴史的に眺めるとき、大きく「古代語」/「近代語」と二分して考えることがあります。その境目に位置するのが、ちょうど鎌倉時代語・室町時代語(中世前期・後期語)です。特に室町時代後半は、古代語らしさが薄れ、近代語的な様相を濃くしていく過渡期とされています。ここからは、当時使われていた言葉をのぞいてみることで、その実態を確認していくこととします。
では、やや時代は下りますが、当時の話し言葉を反映していると言われる資料を見てみましょう。以下は、室町時代の終わり頃に、キリスト教宣教師たちが日本語学習のために作成したテキストの一つ、『天草版(※1)伊曽保物語(エソポのファブラス)』(1593年)の一部を引用したものです(原文はローマ字。なお、この資料は2019年3月、国立国語研究所が大英図書館からの画像の提供を受け、web公開いたしました)。
ある童羊に草を飼うて居たが、ややもすれば口ずさみに「狼の来るぞ」と叫ぶ程に、人々集まれば、さもなうて帰ること度々に及うだ。またある時まことに狼が来て、羊を食らうによって、声をはかりに喚き叫べども、例のそらごとよと心得、出で合う人なうて、ことごとく食らい果たされた。
下心。常に虚言を言う者は、たとひ真を言う時も、人が信ぜぬ物ぢゃ。(童の羊を飼うた事、pp.489-490.)
『伊曽保物語』は、いわゆるイソップ寓話です。例に挙げたのは、私達にもなじみのある「オオカミ少年」のお話ですが、いかがでしょうか。以下の現代語訳と突き合わせて見てみましょう。
【現代語訳】
ある子供が羊に草を与えていたが、何かにつけて口癖のように「狼が来るぞ」と叫ぶので、人々が集まると、そういうこと(筆者注 : 狼が来ること)もなくて帰ることが何度もあった。そしてある時本当に狼が来て、羊を襲うので、(子供は)声を限りに喚き叫んだけれども、いつもの嘘だと思って出てくる人もおらず、(羊は)すっかり食い尽くされてしまった。
寓意。常に嘘を言う者は、たとえ本当のことを言っても、人が信用しないものだ。
『源氏物語』や『枕草子』など、教科書で見覚えのある古典作品等に比べると、かなり異なる印象を受けます。例えば「飼うて居たが(cŏte yta ga)」のような接続助詞の「が」は院政期以降に見られるようになるものですし、「食らい果たされた(curai fatasareta)」、「信ぜぬ物ぢゃ(xinjenu mono gia)」に見える助動詞の「た」「じゃ」も古典語では見られないもので、先にお示しした「近代語的な様相」というのも頷けますね。中世には、このように「口語(口頭語、話し言葉)」が発達し、「文語(文章語、書き言葉)」との相違が大きくなったと考えられています。戦国時代にタイムスリップしたとしたら、読み書きを介してのコミュニケーションには苦戦しそうですが、直接の対話であれば、何とか意思の疎通ははかれるのではないでしょうか。(※2)
ただし、現代では廃れてしまったり、あるいは意味や形式が変容したりした言葉が、コミュニケーションを阻むことも考えられます。例えば、先の伊曽保物語の文章を現代語に訳するにあたっては、「声をはかりに」→「声を限りに」、「叫ぶ程に」→「叫ぶので」のように、いくらか言い換える必要がある箇所がありました。
「はかり」は「限り、際限」の意味を表し、中世~近世にかけては「…をはかりに」の形で「…のあらん限り」の意味でよく用いられたと指摘されています(『日本国語大辞典 第二版』小学館「はかり」の項を参照)。
また「程に」は、名詞の「程」に格助詞の「に」が付いたものですが、これは中世によく用いられた、原因・理由を表す接続表現として知られています。(吉田永弘『転換する日本語文法』より)
しかし、現代語ではこのような「ほどに」の使い方はせず、現代語訳で言い換えたように、「ので」「から」など別の形式を用いることが一般的です。ここにも、形式の移り変わりの一例を見ることができるでしょう。
他方、現代人にとっても、その時代にまだ使われていない言葉を伝えることには困難が伴いそうです。例えば、現代の高校生がタイムスリップ先で自身の説明をするとして、「高校生」「制服」といった、当時にない概念を表す言葉はまず通じないことが予想されます。私達が普段使っている言葉には、明治期以降に流入した事物や概念を言い表すために新たに取り込んだ外来語や、新しく造語された漢語(漢字の音読みを用いた語)などが少なくありません。基本的な語のように見えても、実は外国語の翻訳から生まれた新しい語(「概念」「野球」など)、中国における翻訳語を取り入れて使うようになった語(「銀行」「電池」)、ということもあります。
作品によっては、タイムスリップした現代人と戦国時代の人々とが関わるうちに、お互いの言葉を覚え、真似て使うような描写も見られます。フィクションの世界ではありますが、時間をかけて互いに学習を重ねることでも、言葉が通じる可能性は高くなるでしょう。
難しい問いですが、戦国時代でなんとかやりとりができたとして、どういったところに問題が起きるのか、またはどのくらい時代を遡ると困難になるのか(時代を下るとスムーズになるのか)などと考えをめぐらすことが、日本語の変化を考える良いきっかけになるように思います。
(※1)近世初期、イエズス会の宣教師たちの手によって、熊本県天草で出版された活字本の総称。キリシタン版ともいいます。例に挙げた『伊曽保物語』のほか、日本語と日本の歴史の学習のため『平家物語』を室町時代末の口語で書き直した『天草版平家物語』、キリスト教の教理を問答体で説明する『どちりなきりしたん』などがあります。
(※2)また、この資料に現れる言葉は、基本的には当時の京都を中心とする、上方の言語を反映していると考えられます。野村剛史『日本語スタンダードの歴史 ミヤコ言葉から言文一致まで』では、キリシタン資料も含めた中世の話し言葉の例を挙げたうえで、「(西暦)1000年頃の日本語と1500年頃の日本語の差異は、1500年頃の日本語と今日の日本語の差異よりもずっと大きい。今日の日本語は1500年頃の日本語とさほど変わらないと言ってもよいくらいなのである。室町後期の日本語を話す人が今日の社会に現れたとしたら、今日の一般人は、その室町人について特殊な「方言話者」くらいに考えるのではないかと思われる」(p.14)という記述も見られます。