「分かる」「判る」「解る」はどう違いますか。
「分かる」「判る」「解る」は、「わかる」という同じ訓を持ちますが、異なる漢字で書かれています。こうした関係性を日本語学の用語では「異字同訓」と呼びます。
「分かる」「判る」「解る」のうち、最も多く目にしているのはどれでしょうか。「現代日本語書き言葉均衡コーパス(BCCWJ)」(書籍全般、雑誌全般、新聞、白書、ブログ、ネット掲示板、教科書、法律などからデータを収集)で検索すると、「分かる」は19,877件、「判る」は2,657件、「解る」は2,176件がヒットします(今回は、検索サイト「中納言」を用いて調査しました。ほかに登録不要の「少納言」もあります)。
では、3種類の漢字表記の中で、「分かる」が最も多い結果となるのはなぜでしょうか。
まず、漢字の読み方という観点から理由を考えてみます。誰にとってもわかりやすい漢字として、「常用漢字表」(2010年11月改定)が定められています。この表は、「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般社会において、現代の国語を書き表す場合の漢字の使用の目安を表すもの」であり、学校の漢字教育の指針ともされてきました。表には、漢字とともにその音訓が示されており、「分」「判」「解」の中では、「分」のみが「わかる」という訓読みをすると定められています。すなわち、一般には、特に振り仮名等で漢字の読みを示さずとも「わかる」と読んでもらえることが期待されるのは、「分かる」と書かれる場合のみです。そのため、「分かる」が最も多く用いられているのだと考えられます。
次に、3種類の漢字表記を、意味という点から考えてみます。「判る」は「物事がそれと判別・判断される」(『明鏡国語辞典第二版』大修館書店)という意味であり、「判明」「判別」といった漢語が連想されます。例えば、「倹約と吝嗇(注)の違いが判らぬ」「敵方の人間なのか味方なのか判らなかった」などと用いられます。一方、「解る」は「物事の意味、内容、価値などが理解できる。」(『明鏡国語辞典第二版』大修館書店)あるいは「人情・世情に通じていて人の気持ちなどがよく理解できる。」(『明鏡国語辞典第二版』大修館書店)という意味であり、「解明」「理解」といった漢語が思い浮かびます。「日本語も相当解る」「言っている意味が解らない」「無理して私の気持ちを誰かに解って貰おうとも思わない」といった用いられ方をしています。それに対し、「分かる」という漢字表記では、「判る」「解る」のどちらの意味も網羅することができます。
つまり、一般的には「分かる」の表記が用いられ、それがカバーする意味は広いのです。そして、より厳密に意味を踏まえて書き分けたい場合には、「判る」「解る」と漢字が当てられます。このように、3種類の漢字表記は、「わかる」という同じ訓を持ちながら、意味が異なっているのです。
注)吝嗇とは「ひどく物惜しみをすること。けち。」という意味。