1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #227(s25-9) ミルク文化をか..

紀元前6000年頃から発生しメソポタミア、キルギス、地中海、モンゴル、トルコなど様々な場所へ遊牧民が移動。その広がりを細かく観察していきます!

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サマリー

遊牧民はミルク食文化を広め、牧畜スタイルが多様化しています。彼らは一定の場所に定住せず、牧畜を通じて生活していますが、人口の増加や環境の変化により、牧畜と農耕が分離し、牧畜民のスタイルが広がっています。これによりミルク食文化も他の集落に影響を与え、牧畜スタイルが多様化しています。西アジア原産の牧畜文化がヤムナヤ文化の人々によって伝播され、彼らが紀元前3000年頃にユーラシアの各地に広がっています。彼らは寒冷なステップ気候地帯で半農半牧の生活を送り、徒歩で集落を移動しています。遊牧民の牧畜スタイルの多様化と拡散が影響を与え、紀元前3500年頃には木の円盤の車輪が発明され、それからさらにスポーク車輪が出てくることで移動が楽になり、結果的に広域化していきます。遊牧牧場民族が移動のついでに他の文化を吸収し、地元の文化を広めていくことでミルク文化が独自発展をしています。中央アジアのユーボク騎馬民族から生まれたブーツと靴下の文化が、交流を通じて広まっています。しかし、彼らの文化はしばしば見落とされ、また文字で書き記す習慣もなかったため、彼らの歴史は一部不明です。遊牧民のミルク食文化が世界に広まり、多くの文化に影響を与えていることがわかりました。モンゴル系遊牧民とヨーロッパでの牧畜スタイルの多様化と拡散が重要なポイントです。

目次

00:06
たべものラジオ たべものの世界を探求するたべものラジオの掛茶料理むとう・むとう拓郎です。
むとう太郎です。このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界をちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
遊牧民の登場と牧畜スタイルの多様化
はい、ということで本編に行きます。はい。 はい、では前回からの続きです。で、今回はミルク文化をかき混ぜた遊牧民
ミルク文化をかき混ぜた遊牧民。 前回までで、時々遊牧民族系の人が入ってきて変わったよねっていう話をしたと思うんですよ。
特にインドってね。そもそも紀元前1500年くらいにアーリア人が入ってきてみたいなところから始まりましたと。
その話したじゃないですか。でね、遊牧民っていう人たちが実はこのミルク食文化の格差においてすごく重要なポジションにいるということなんですよ。
遊牧民って分かります? 遊牧民って分かります? 遊牧民の転々としながらこう、墓地区を買いながら移住していくためみたいな。
よくあるのはね、イメージでいいだとモンゴルのさ、ゲルっていうテントに住んでる人たちがね、固定した家を持たない、いわゆる定住してない人たちがどんどん引っ越しながらっていうパターンですよね。
そんなイメージがあると思うんですけど、まさにああいう人たちが出てきて、結構古い時代からあるんですよ、あのスタイルっていうのは。
完全な不定住、完全に引っ越しばっかりしてるようなタイプもあれば、ある程度定住していて、周辺を牧畜してるとか。
あと季節異牧っていって、夏はここ、冬はこっちみたいなね。そういういろんなタイプの牧畜民が出てきて、名前の通りなんですが牧畜民じゃないですか。
牧畜民の食生活の中心は何か。
生活の中心は何か。
食生活の中心は何ですか。
食生活の中心は何か。
食生活の中心?
ミルクじゃない。
それはそうですよね。麦とか米とかじゃないわけですよ。
そうだね。
つまり彼らの移動に伴ってミルク食文化っていうのがどんどん広がっていくわけですよ。
それを知ると、世界ってミルク食文化こんな風に構成されてきたんだとか、こんな風に混ざっていったんだっていうことが見えてくると思うんですよね。
ということで今回は前回までのように、どんな加工をしてきたかではなくて、ほとんど歴史の話です。
今回はっていうか、今回もじゃないの?
食に絡んだ歴史というよりは、遊牧民とは何者かについて少し勉強しようかなと。そんな風に思ってます。
遊牧民の勉強を。
主に牧畜に絡んでですね。あんまり僕らの知っているというか、中学生高校生あたりで勉強する世界史の中には、出てくるんだけどあまりピックアップされないですよ。
案外この人たちもみんな遊牧民だったのねっていう人たちがいるんですよ。こんなに有名なのにこの人たち定住民じゃなかったんだとかね。その辺までたどり着けたらいいなというふうに思ってます。
まずどのようにして遊牧民が登場してきたのかという話ですね。
どのように登場してきた?
もともと牧畜生活っていうのは定住の中から生まれてきましたっていう話を、第何話だ。家畜の始まりとミルクの利用っていうのを第4話でやってるんですが、覚えてますかね。
家畜の利用。
肥沃な三日月自体で定住生活をし始めましたと。豆とか麦とか栽培していて、狩猟採集をしてたんだけど、家畜も一緒に飼うようになって、それは主にメインが目的としては肉、それから毛とか皮とかの利用だったと。
それが狩猟採集がダメになって、牧畜の方が少し比重が増えてきたよ、その話いいじゃないですか。
なんでそっちに行っちゃったかというと、当然狩猟採集がダメになったんですが、あまりにも食環境が良くなりすぎて人口増えたと。
森林が伐採されて狩猟採集のいわゆる狩り場だったところ、果物が採れる森林がどんどん遠く行ってたわけですよね。
遠く行ってたっていうのは近場を狩っちゃうから遠くに行かざるを得ないんですけど、そんな話だったと思います。
似たような現象がその後続くんですよ。
続くの?
やっぱり原因は人口増大なんですけど、結局農耕と牧畜を始めなきゃいけないわけですよ。始まっちゃったわけですね、その生活が。
農耕と牧畜が始まった。
このコンボ生活です。半農半牧みたいな感じね。
そうすると頑張って畑を作るし、頑張って放牧するわけですよ。
そしたら食がまた豊かになってきて、また人口増えるんです。
人口が増える。
食料供給が減ると人口減るんですけど、みんなやっぱり死にたくないし、子供たちを大事にしたいんで、食料を頑張って生産するじゃないですか。
結果、人口維持ってことにならないので増えていっちゃうんですよね。
増えていくと農耕地も増やさなきゃいけないし、牧畜地も増やさなきゃいけないわけですよ。
農耕地をどんどんどんどん拡大しますね。
村があるとして、農耕地と牧畜地、どっちを近い方に作りますかっていう質問なんですよね。
畑が近いか、家畜を飼うところが近いか、どっちを選ぶか。
どっちを近い方に置いて、どっちを遠くに置くか。都市設計の話です、これは。
個人的には畑近い方が楽だよね。
そうですよね。
家畜は基本自分で食べたりする場所さえあればどうにかなるけど、畑って手間をかけないといけないからさ。
ってことは近場の方が手間がかかるものを置きたくなるよね。
だと思うんですよ。実際そうなんですね。
牧畜、いわゆる家畜っていうのは葉っぱ食べるわけじゃないですか。草とか葉っぱね。草なんて別にその辺生えてるんで。
当時はまだ牧草を農業的に生やそうっていう発想がないんですよね。
別にそんな苦労する必要ないんですよ。
人口とのバランスがね。生やしの方が多いのか。
手前側に自分たちで手をかけて育てて管理して、当時肥料って概念ないと思うんですけど、
虫と戦ったり雑草と戦ったりっていう手のかかるもので、しかも移動できないものを近くに置くんですね。
当時牛とか羊ですね。この辺は草がなくなってきたらちょっとずつずれてきゃいいんで。
で、広い土地を移動するんだったら外側にあった方がいいよねっていうことをやるわけですよね。
牧畜と農耕の分離
そうすると人口が増える、農耕地増える、牧畜地増えるってやるとどんどんどんどんドーナツ化していくんですよ。
牧畜地がどんどん遠くいくんです。
逆に人口真ん中にギュッとしてるんですよ。人口のドーナツ化じゃなくて家畜のドーナツ化が始まるんですよね。
で、こうやっていくうちに徐々に徐々に農耕と牧畜が分離していくんです。
農耕と牧畜分離していっちゃうの? どんどん離れていっちゃう。
距離的に離れるから分離する。 そうなんですね。
そのうちに例えば自分の自宅が中心地にあったとするじゃないですか。
で、放牧地にちょっと俺ら羊の面倒見に行ってくるでいいって出かけるのに3キロ先まで歩いていくとかね。
5キロ先まで歩いていくとか。 結構遠いね。
だんだんめんどくさいことになってるわけですよ。
しかもこの地域もうだいぶこの季節でだいぶ食べ尽くしちゃったから
じゃああるところに移動するかあったらまたすげえ距離を遠隔に外周回るような感じなんで
半径例えば5キロの円でぐるっと移牧をし始めるわけですね。
直径10キロ圏内はでかいね。
とかなっていくわけじゃないですか。だんだんとね。
もうね本当に分離しちゃうこれで。
分離する。
もうね何だろうね集団が分かれていくんですよ。
単刀で分かれていくみたいな。
単刀で分かれてそのうちに牧畜民の人たちはもう農耕をやらないから別に集落から外れて
もうそっち側で暮らそうとか始めるんですよね。
でそっちにテントを張ってで3ヶ月そっちで住んでたまに帰ってくるとかね。
行かせき行ったけどもう帰るのやめたみたいな。
そんな感じ。
遠すぎてもう帰れんし帰るの大変やからもうやめようみたいな。
そうなんです。だから牧畜のスタイルがどんどん多様化していくんですね。
である集落はそんなに大きくないので集落の内側村の中にでっかめのケージを作っといてその中で飼います。
現代だと豚とか鳥とかがそうですね。ああいう感じで飼うっていうスタイル。
それから周辺を回遊させる放牧スタイルっていうのにこうだんだんなっていったと。
大きいところだとそういう風になっていきますよね。
ミルク食文化の拡散と牧畜スタイルの広がり
で走行している間に牧畜というなんですかね食文化生活文化っていうのが他の集落にもどんどん伝播していったりとか
例えば分家みたいにしてね分かれてこっちで新しい集団ができますみたいにして分かれて広がっていくわけですよ。
大体ね紀元前6000年頃には中央アジアの辺りまでも到達してたって言われるんですよね。
中央アジア。
キルギスとか。
トルクメニスタンとか。キルギスはアフガニスタンのすぐ北側ぐらいかな。
てかそこに到達してるってことはその間のアフガニスタンあたりとかイランのあたりとかまで当然牧畜文化ってのが広がってるんですよね。
これ何を意味してるかというと環境変化が2つのベクテルで動いてるってことなんですよね。
環境変化が起きてるから牧畜のスタイルがだんだん多様化していくわけじゃないですか。
集落が大きくなっていろんな自分のもともと住んでた定住地の環境の方が変わってしまったので社会環境がね。
だからだんだん周辺回遊的な項目になっていってそのうち分離していくっていうのが起きましたよね。
それが一つの変化のスタイル。
もう一個は人類そのものが移動していくというか地域ごと変わっていくわけじゃないですか。
西アジから中央アジまで動いちゃいましたよね。
当然気候は違うじゃないですか。
植物の生態も違うし水の環境も全部違う。
そっちはそっちでそれに合わせた牧畜スタイルがだんだんとできてくるという感じなんですよ。
元はどっからの話なの?
メソポタミアだからヒオクナミカズキ地帯ね。
そこがスタート。
その辺をスタートにして。
そこあたりでも例えば東大南北にもちろん行くんですけどヨーロッパ方面にも行くし北の方にも行くんですけど
北の方はねすぐ突き当たりにぶつかっちゃうんですね。
突き当たり。
今のジョージアとかねアゼルバイジャンとかあるあたり。
地中海とカスピ海の間あたりなんですけど。
ここね山脈があるので。
山脈がある。それで突き当たり。
突き当たりなんでね。
最高峰とか峰がいくつもあるつらなっているようないわゆる増山帯なんですよ。
ヒマラヤ山脈みたいなアルプス山脈みたいな。
あとね最高峰が高いところだと5000m超えでちょっと低めだと4900mとか一番低くても3800mとか。
一番低い山が富士山がつらなってる感じ。
そうそんな感じの峰がズラーとかある。
それは超えられない。なかなかね。
なかなか超えられない。なんだけどこの南側のふもとね。
本当にまさにジョージアのあたりとかはめちゃくちゃ環境いいんですね。
これ水があるからすごくいいっていうことなんですけどね。
もともとヒヨクナミカズキ地帯が栄えた理由もやっぱり山脈があってそこからの湧き水が出てるだとか、
ジグリスユーフラテス川があるだとかそういった理由で栄えてきたわけですよ。
で西アジアはもともと乾燥しやすい乾燥地域なのでそういう水源地が必要なんですね。
でさっき言った像山帯の南陸っていうのは当然高い山からの雪解け水が来るので非常に水が豊富だと。
静岡県みたい。
本当にね。日本全体がそうなんだけどね。
富士山は湧き水が藤川の下の方とかすごい出るもんね。
これはね例えば東北だったら欧州山脈がありますよとか南アルプスがありますよとか山陽地方だって山陰地方だって当然あそこに山があってそこから水が出てくる。
そういう感じじゃないですか。やっぱりそういう場所っていいんですよ。
そうなんだね。
日本って本当にすげえなって全然違う地域のことを調べながら思ったんですけどね。
牧畜文化の伝播
やっぱり似たような環境のところに人がだんだん移住していってそこにも住むんですけどそこでもやっぱり牧畜反農反牧スタイルで定住が始まるんですよ。
この牧畜スタイルが周辺海流だったんだけど今度は垂直方向に移動し始めるのね。
垂直方向というと上。
上、下、上下。だからふもとから北に行こうと思ったら山脈ぶつかるでしょ。
ぶつかるね。
で、山は上がっていくんだよね。何をやってるかというと冬は低いところ、夏は高いところっていう縦型に移動し始めるんですよ。
そうなんだ。縦型って標高の問題で。
標高の問題です。横に行かないで、冬場は暖かいところで過ごして、牧畜もその辺の草をはむ。
夏になると涼しいところに移動して標高を少し高いところに上っていって、そこに入っている牧草をはむと。こういう感じにだんだん選択肢が増えていくっていう感じですね。
なんかあれみたいだね。南アメリカ。
南米。
南米のジャガイモの時の。あれ逆だもんね。
そうね。下の方行ってもね。
寒すぎて降りてくるっていう。
低住地が標高高すぎたからね。
そんな話の逆っていうか、こっちが割と感覚的には正しいというか。
どっちもね。時代の速さで言ったら南米の方が早いけどね。
まあはいはいはい。
紀元前8000年とか6000年とかよくわかんないぐらいの時代なんで。
そんな頃だっけね。ジャガイモのシリーズだよね多分ね。
そうですね。いろんなスタイルが出てきたよっていうのが今回ここで言いたいところですね。
なんとなく牧畜民と呼ばれる人たちが、人が広がったのもあるし伝承されて伝播していく。
伝承されて伝播。
それいいねうちもやろうみたいなパターンね。
そんな感じであちこちで広がっていくと。
それの一つが前回までの話したインダス文明に行っていたよって話です。
インダス文明。
だからアーリア人たちが来るまではあそこまでのミルク文化にはならなかったけど、ちゃんと牧畜文化も入っていたと。そういう感じなんですね。
南アメリカじゃない南アジアを除けば基本的には牛じゃなくて、やっぱり羊と焼きが中心生活ですね。
やっぱ乾燥地域なんで、アジアの西側っていうのはね。中アジアも乾燥してるんで牧草がそうたくさん生えるわけじゃないじゃないですか。
したら乾燥に強い羊、焼き、ラクダがやっぱりメインになってくる。
牛いないわけじゃないんだけど、牛はどっちかっていうとミルクのためではなくて、物の運搬用とか労働力としてですね。
力強いじゃん。だけどあいつら、車に例えるとちょっと怒られそうだけどめちゃくちゃ燃費悪いんで。
燃費悪いの? だって羊の何倍の草食わなきゃいけない。
めっちゃ食べてたね。 何倍も水が必要だから。
そうね水も必要だったね。 だから牛とか馬ってそういう意味では燃費悪いんですよ。
牛は車に例えるとでけえトラックみたいな感じかな。 固い大きいもんね。
エンジンのパワーが異常に強くてさ、みたいなイメージだよね。
馬はスポーツカーみたいな感じ。 そうだね確かに。
速いし、現在のサラブレッドとは全然違いますよ。もっと力強くて馬力あるんですけど、速くてそれなりに力もあると。
だからめちゃくちゃエネルギー食うんですね彼ら。それと羊と比べればそりゃあね、ミルクの生産で考えたら圧倒的に羊ですよ。
軽自動車的なの。けっトラとかかな。
消費する使い道が違うって考えた方がいいかな。用途が。 用途自体が違う。
移動するとか運ぶとか、農耕で労働させるというよりは、もう生きてて、そしてミルク出してっていう感じ。
生きててさえくれればミルクくれるし毛はくれるし肉にもなるし皮にもなるしありがとうっていうのが羊。
まあまあ言い方あれだけど工場みたいなね。機械は機械だけどその移動とかではないからね。設置して使うみたいなイメージが大きいのかな。
そうねそれがこう移動型というかモバイルなんですよね。
ああまあちょっとは移動できるかな。
生き物だからさ。連れてっきゃ年月かけられどこまででも行けますから。
まあそれはね。
実際どこまで行ったかというとこの西アジア原産。わかります?西アジア今のイラクのあたりでしょ。
はいはい。
このあたりの羊、ヤギがずっと子孫の子孫の子孫とかずっと行くんですけど、これ遺伝子をずっと調べていったらモンゴル高原あたりまでたどり着いてるんですよね。
モンゴル高原あたり。中国の上?
そう。あそこら辺で飼われている羊の祖先はなんと遺伝子DNAとかってゲノム解析があるじゃないですか。
あれで調べてたらなんとその辺の在来がメインではなくて西アジア原産のやつの子孫だということがもう確実にわかったんですって。
すごい。端から端まで行ったね。
だいぶ行ったよね。ユーラシア大陸横断してますね。
本当だね。
っていうふうに広がっていくと。これはなぜ広がったかというと羊が単独で広がったのではなくて人類が連れて行った。
単独はあれか。考えにくいね。
考えにくいのかもしれないですね。行かないことはないんですけど、電波のスピードが速すぎるらしいですよ。
そうか。
この辺が紀元前6000年とか5000年とかぐらいの時代の話ね。
紀元前だね。
でですね、ざっといくと紀元前1500年くらいに温暖化が始まって、全体的に乾燥化が始まりますよっていうのも来るんですよ。
広がっていって反農反牧のところから、拡大していつでもちぎれそうになってるところに来て乾燥化するから、濃厚面積取ったけど濃厚のほうがダメになっていくわけじゃないですか。
あれ?水足りねえじゃん。野菜育たねえよみたいなことになるんで、これも牧畜に振るしかねえって言って8対2とか9対1で牧畜振りみたいな反農反牧が出てきたりとかね。
だんだん寄っていく。紀元前3500年くらい。そうするとこのタイミング覚えてるかな?緑のサハラが砂漠化したタイミングなんですよこれ。
緑から砂漠化しちゃったってことね。
もともとサバンナがいきなり砂漠になってっちゃったよみたいな時代なんですよ。
あったねその話。
それの時代でメソポタミア文明も急にシメル人たちが苦しくなってきてさ、園外で作物育てられなくなっちゃいましたみたいな時代にやっぱり各地で乾燥化してるので、
これなんか農耕から牧畜振ったはいいけど牧草足りなくなってきたけん、ちょっと牧草あるとこ行こうかいって言って移動を始めるとかね。
はいはい。
それで広がっていくんですよね。で、とどめは紀元前2500年また1000年後くらいにもう一回乾燥化がやってくるとか。
いうのでどんどんどんどん乾燥化に伴って牧畜寄りになっていく感じなんですよね。
で、僕らがよく知っているいわゆる遊牧騎馬民族の源流っていうのが紀元前3000年くらいに分かってるんですよ。
紀元前3000年くらい。
そのくらいに今のねロシアの南の端っこの方。
ロシアの南の端。
うーんとね、ロシアって言うとねわかりづらいんだよな。日本人あんまりそのロシアの地図知らないからな。
俺もよくわかってなかったんだけど、さっきお話をしたジョージアとかあるあたりね。
左が国会で右側がカスピ海で山脈がある。この真北あたり。
真北、カスピ海の真北。
うん、あたり。
わりとヨーロッパ感あるところ。
さっき超えられない山脈あるって言ったじゃん。それを超えたらすぐ北ぐらいのところなんだよ。
ああそうなんだ。
ここにヤムナヤ文化っていう文化があるんだけど。
ヤムナヤ文化。
ヤムナ文化とかヤムナヤ文化とかヤムナアヤ文化とか言うんだけどね。
ここにそのいわゆる牧畜民集団っていうのが現れるんだよね。
そのところね。
彼らがどこからやってきたのかとかはよくわかんない。調べたけどわかんなかった。
し、彼らの牧畜生活が西アジアから伝播したものなのか、そもそもそこで独自に発生したものなのかもよくわかんない。
ただ、現前3000年くらいになると、もはやメソポタミア地域との文化的交流の痕跡が見られるので、
多分西アジアから牧畜の文化というのは伝承されたんじゃないかなって想像してるんだけどね。
メソポタミア文明がちょうどそのぐらいの時代にシャリの発明とかを行ってるんで。
メソポタミア文明はそこまで知らん。
シュメール人とかさ、バビロニアとかね、ああいう時代を。
もうシャリがあったんだね。その話がちょっとね。
気になっちゃった?
気になっちゃった。
実はこのシャリの話も重要なファクターの一つとして出てくるんで、まとめて説明しますね。
じゃあまずヤムナヤ文化の話しようね。
ヤムナヤ文化の話。
ヤムナヤ文化の生活環境
これも別に一つの国家なわけじゃないですよ。
いろんな集落があって共通の文化圏だねっていうだけの話ね。
ここの人たちが半農半牧の生活をしてるんです。
さっき言った西アジアよりも寒くいいところじゃん。北側、ロシアだから。
寒いね。
この辺はステップ気候地帯なんですよ。
ステップ気候。
乾燥してます。農業にはできないわけじゃないけど、あんま適してないと。
むしろ農業やるんだったらもっとモスクワより北の方に行っちゃった方が農業ができる。
ああ、そうなの?
水があるから。
ああ、水がそっちの方があるんだ。
湖の周りとかでっかい川があるとか、
ヨーロッパでも東と二省を分けているドナウガーとかね、ああいう川の界隈とかは農業できるんですよ。
その真ん中への草原地帯はどうにもなんないんで、ここは牧畜文明になりますよって話ね。
どうにもならないと牧畜になるんだ。
それ以外で生きていきようがない。
そこに住まないという選択肢はないんだね。
どうしてだろうね。そうなんだよ。俺も思うんですよ。思うんですけど。
そこまでしてそこには住むんだね。
ヤムナヤ文化の拡散
だってそんなこと言ったってさ。
移動できるんでしょ。
移動できますよ。
もっと簡単なところに行きそうだけど。
これね移動できるんだけど基本徒歩なんですよ。
ああ徒歩か。
まだ紀元前3000年前後って車輪はあるけど、車輪自体がめちゃくちゃ重くて。
ああはいはい。
そんなにね手軽に物を乗っけて運べるレベルじゃないですよ。
ああそう。
で火材道具一式をね人力で担ぎ上げて、いわゆる第8グラムみたいのもないですから、全部担いで集落丸ごと移動して行きますかと。
まあ舗装されてないしね道がね。
道なき道をね。
ちょっと厳しいな。
っていうことなんじゃないかなと思いますよ。
まあでも濃厚はできないってことはそこだけあれかもね。倍率競争率低いかもね。
そうかもね。
農地いいところはたぶんめっちゃ奪い合いになりそうだし。
なんかそれなりに交易もしてたらしいですよ。
ああそうなんだ。
濃厚文化の人たちとじゃあバターあげるからこれ麦ちょうだいみたいな。そういう交流は一応あったっぽいですね。
まあでもそしたら自分が今まで先祖から作ってきたその手法というものをそのまま引き継ぐよね。
もう感性の法則でそのまま行くんでしょうね。
同じもので畑とか始めようものなら競合して手に入らなくなるってことが起こりそうだしね。
たぶんねそんな感じ。ただ濃厚民の人たちに比べると牧畜系の方が移動のハードル低いですよね。
まあまあ確かに。
普段から放牧で回遊してますから。そのうちに今年あっちの方どうやら牧草はもう生えてないらしいからこっち行くか。
方向変えたりとかするじゃないですか。そうするとそのうちランダムに拡散してっちゃうわけですよ。いろんな人たちがやるんで。
でこのヤムナヤ文化の人たちが最終的にはユーラシアの各地に散っていくと。
遊牧民の形成と拡大
で紀元前2700年頃にはもう今のドイツのあたりとかルーマニアの方とかでこのうちの一派がギリシャ人になっていくんですよ。
ここからギリシャ人になっていく。
スパルトとかアテネとかに入り込んでね。上から降りていくんでドーンって。
でそこでギリシャっていうのが形成されてマケドニアになったりとかしていくわけですね。
である一派はもっともっと西の方へずっと行ってケルト民族って呼ばれて。
でドイツとかフランスとかの方を通ってイギリスまで行って今で言うね。
こっちの方でケルト文化っていうのを築いていく。
ケルト文化。どこで聞いたんだっけ。聞いたよね。
ケルト人って言いますよね。実はあの私たちもともと牧畜民の派生なんですね。
牧畜民めっちゃ古いな。
ちょっと余談ですけどケルト人の後からそこから数千年経った後にまた別の牧畜民が入ってくるんですよ。
同じようなエリアから同じようなルートで。これがゲルマン人ね。
ゲルマン人ね。
日本に来た牧畜民系のケルト人の文化を後からやってきたゲルマン人が上書きしていくんだよ。
そういう流れですね。ヨーロッパに関しては。
ここで牧畜民と遊牧民って意味的には一緒?
そうですね。僕が牧畜民遊牧民言い訳をしてるのは牧畜民っていうのは最も広い意味で牧畜で生きてる人たちね。
主に。遊牧民はその中の移住ばっかりしてる人たち。
定住して牧畜する人もいるってこと?
もちろんです。
遊牧しながら牧畜をする人がいると。
この後出てくるんですけど、今西の方にダーッと行きました。
同じように東の方に行ってモンゴル高原とか、果ては中国まで行っちゃうんですけど、この人たちのスタイルこれはもはや遊牧に近い状態になってるんですよね。
はいはいはい。
これは牧畜スタイルとして、さっき垂直型って言ったじゃないですか。
標高差ね。
標高差でね。牧草を求めて上下に移動して牧草を得ましょうっていう話ですよね。
これがダダッピロイ草原だと今度平地なので、横に思いっきり移動するわけですよ。
スカスカしてるから、すげえ広い距離を移動しなきゃいけないね。
牧草が生えてる場所自体がスカスカしてる。
そういうことです。だから広域移住をする人たちが出てきて、これがいわゆる遊牧民と呼ばれる人たちですね。
そうなんだ。今までは縦上下だったんだけど。
上下があったり、近場だったりっていうのから広域にあった結果、移住も伴ってしまうようになる。
そうすると、もう家持ってるのバカバカしいよねってなって、本当の遊牧民になっていく。
そういうことね。
牧畜の中の一スタイルが遊牧っていう感じですかね。
遊牧民が登場したことによって、西や東にずっと広がっていくと。
この東に広がっていった人たち、さっき言った濃厚に敵してるモスコ辺りを通ってですね、ぐっと西の方に行くわけですよ。
今のキルギスとかね、チベットの方ね、あの辺に住んだ人たちがいて、そこから南下していったのがインドに侵入したアリア人ね。
そこから南下してそのまま西方面に行ったのがイランを建国した人たちだったりとか、
木の円盤からスポーク車輪へ
後にミタンニとかヒッタイトとか呼ばれるような遊牧民、これあの歴史の授業知らないと全然わかんないと思うけど、
西アジアの辺りでボコボコってすごい強い国が乱立してきたりとかね。
この辺うっすら覚えてる。
くらいなってくるんですけど。
名前もなんか聞いたなっていう。
この流れで広がってるから、これをみんなアリア人って総称しちゃってるんですよ。
厳密には本当は今言ったインドに来た人たちとか今のイランにいる人たちのことをインドアリア人とかイラン系アリア人っていう言い方をするんですけど、
すっごい広い意味でいくとこのヤムナヤ文化の人たちをアリア人って呼んじゃうんですね。
この人たちのことをねじ曲がって解釈をして、この民族がすげえ優秀だから俺たちすげえんだ。
だからお前らユダヤ人どっか行けっていう風に利用したのがヒトラーですよね。
ヒトラーはそれねじ曲げて解釈をしてるので、鼻が高くて壁眼で金髪でみたいなこと言ってるんですけど、
そもそもヤムナヤ文化系の人たちは髪の毛は黒いし肌はちょっと茶色系の人たちなんで。
だからあまりにも長い時間が経ってるので色々地域に行った後に肌が白くなってたりより黒くなってたりとかどんどん変わっていくわけですよ。
当然根欠もするしね。こんな風に広がっていきます。
この人たちの一派がアファナシェボ文化というのを後に作ることになる今のモンゴル高原北部に移住していくと。
アファナシェボ文化。
どういう命名規則なのか俺にはよくわかんないんで。読んでて並走なんだぐらいしかないんですけど。
まあまあざっとこういう移動がありましたよってことだけわかればいいんですよ。
この移動に伴ってね、さっきタクンが気になるって言ってた車輪の話ね。これ結構大事で。
大事なんだ。
物を運ぶのに車輪がないとリアカーすらできないわけじゃないですか。
できないね。
タイヤができたとしてもそれが使いやすくなければうまく使えないですよね。
高原で地台とかで使ってるのも最悪だもんね。
そうなんですよ。一番最初に車輪が発明されたと考えられているのが紀元前3500年頃のメソポータミア文明ね。
そんな古いんだね。
チグリスユーフクラテス川のあのあたりね。って言われてるんですけど、この時の車輪っていうのは木の円盤なんですよ。
木の円盤。
木を丸太刀を輪切りにすると丸くなるじゃないですか。要はあんなイメージ。
ただもちろん輪切りのまま使うと耐性がなくてボロボロすぐ割れちゃうので、
うん。
本当は縦に生剤してそこから四角い状態から丸に切り抜くらしいんですけど。
へえ。
そうじゃないと耐性がないんだって。
まあそりゃそうだろうね。すぐ割れちゃうね。
でそれをね直径1.5メートルとか2メートルぐらいのでっかい車輪ですよ。
うん。
分厚いね。まだ鉄の輪っかとかはまってないから。
ああまあ分厚くないと割れちゃうもんね。
ただただでかい木の丸いやつ。
うん。
これがくっついてる車めちゃくちゃ重たいよね。
まあ丸太刀自体が重たいからね。
だからねこんな重たい車輪で作れる車っていうのは当然重たいわけですよ。
だから本当このメソポタミア文明ぐらいの古代の車戦車だよね。チャリオット見たことある?
チャリオット。
うんとね当時の戦車っていうのは馬とか牛とかロバとかに車を引かせてその車の台座のところに立ってそこから弓を射るとか槍を持って戦うとかそういう感じなんだけど。
ああはいはいはい見たことあるわ。
昔の戦車ねいわゆる。
あれ戦車の扱いなんだ。
あれ戦車です。あれが戦車。
ああそうなんだ。
でチャリオットって言うんですよ。
へえチャリオット。
こういうのが発明されててね。それこそすごい元後の時代だけどマケドニアが攻めてきたアレクサンドロス川とかダレイオス南西川とか言ってるときに登場するやつなんですけど。
このチャリオットの車の車輪っていうのは木の円盤じゃないですか。死ぬほど重いのでとても馬とか人力では絶対に引けないんですよ。
だから牛何頭も吊らないでゴリゴリゴリって感じ。
重量感だけは戦車だね。
重量級ですよ。
重量級だね。
だからこんなんで高速で遠くまで行けないわけじゃないですか。
行けないね。
だからこれでちょっとずつじりじり集落の長人が指揮して集落何十人とかの丸ごと移動します。みんな乗せろ。牛に引かせます。
さっき牛はビルクのためじゃなくて労働のためだよって言ったのはこれなんですよ。
そういうことね。
これでもってゴリゴリゴリゴリ移動していくわけですね。僕は畜民だから当然牛を飼うことも一応できるので。
そしたら紀元前どのくらいだろうな。2000年くらいかな。
さっきインドアーリア人の元になった文明があったよって話したじゃないですか。
車輪の発展と広域化
この中の一つにシンタシュタ文化っていうのがあるんですけど。
シンタシュタ文化っていうところがあるんですよ。
シンタシュタ文化。
この移動の過程ね。移動たって10年で移動とかじゃないですから1000年以上かけて移動なんでねこれ。
結構なスパンだね。
ちょっとずつこういって500年後にこっち500年後にこっちとかいって1500年かけてインドまで行くんで。
だいぶかかるね。
だいぶかかるんですよ。その間のところにシンタシュタ文化っていうのがあって、ここですげえ発明があるんです。スポーク。
スポーク。スポークってあれか?車輪の真ん中にスターマークみたいな。
そうです。まさにそれです。今車でも自転車でもそうだし、例えばお祭りで使われる屋台出しですよね。
あの車輪全部スポーク化してますよね。
入ってるね。
あれによってむちゃくちゃ軽くなるんですよ。これで馬で引けるんだ。さらに移動距離が大きくなる。
今ちょっと地図見せてますけど、細かく見ていくと移動の年数と距離の、ちゃんとした計算はわかんないけど、移動距離伸びていくんだよだんだんと。
スポーク車輪が出てきてから移動が楽になっていくんで。どんどん広域化していく。
アファナシボ文化だけが異常にゴリゴリの大変な時代に一気に飛んでるんだけど。
そうなんだ。
それ以外のところは結構キュッキュッキュッってだんだんスピードが上がっていくイメージですね。
確かに確かに。
これ結構大事なポイントになってくると思いますね。
スポークが出てきて、その後に今のキルギスとかあるあたり、テンシャン山脈の西の果てかな。
そこからモンゴルエリアのあたり、また後にカラスク文化っていうのが出てくるんだけどさ。
ここら辺で聖道器が発明されていくんだよね。
聖道器が。
発明されたのもっと違うか。そこら辺で聖道器文化がまた出てきて、
彼らがいろんな剣とか槍とか作るようになって、そのうちにハミを生み出すんだよね。
ハミ?
ハミ。馬のさ口につけるやつ。あれが出てくるんだよ。
あれハミっていうんだね。
ハマセルからハミっていうんだろうけどね。
まあまあだね。
馬ってさ、どこだっけちょっと詳しいところ忘れちゃったんだけど、
奥歯のところになんか一箇所だけ歯がないところがあるんだよね。
へえ、そうなんだ。
なんか親知らずみたいなところがボコって穴がいってるというか。
馬以外にもここにハミを噛ませてくださいと言わんばかりの場所があるんだって。
へえ。
そこにボッキで噛まして、それに紐をつけると手綱ができるわけじゃん。
これで乗馬ができるようになるんだよね。
ああ、そういうことなんだ。
で、千年から紀元前800年頃になって乗馬ができるようになる。
で、これで騎馬民が出てくるみたいな感じね。
で、こういうのが出てくると、さらに移動距離が高速化するんだよ。
伸びて、移動距離が伸びて、しかも早くなる。
彼らが同じ遊牧民族の中でも遊牧騎馬民族として文化をぐじゃーって混ぜ始めるんだよね。
どう混ぜていくか、イメージつくかな。
混ぜる?
そう、混ざっちゃうんだよね。
彼らはもともと国がない。国って言ってるんだけど、彼らにとっての国は土地ではなくて人なんだよね。
集団なの。
その集団が100キロ西に行ったら、国は100キロ西に移動するんだよね。
土地に縛られない人たちなんで。
この移動距離がガーンて伸びるじゃん。
そうするとたまたまそこに定住の農耕民がいたりとかするわけでしょ。
たまには遊牧民同士がぶつかったりするわけじゃん。
定住型牧畜民にもぶつかったりするわけじゃん。
遊牧民の文化拡散
ここでうまくいけばいいけど、うまくいかないとバトっちゃう感じですよね。
遊牧牧場民族ってもともと狩猟もやってたりするんで、ファイターなんですよね。
強いのよ。
農耕民は馬に乗れないんで。
訓練もしてなければ勝ってもいないし。
そこに全員馬に乗ってる客人とかがドタドタドタドタドタドタってきたらさ、一瞬で駆逐されるでしょ。
そういう感じでどんどん移動するときに、移動のついでに他の文化飲み込んでったりするんだよね。
飲み込んでって地元の文化を吸収することもあれば、逆に遊牧民の文化を落としていくというか、
押し付けるのかな、同化してっちゃうみたいな感じで広がっていくんですよね。
一気に広がって、ミルク文化というのがどんどんどんどんあちこちで独自発展をしていくようになっていくわけですね。
前回インドやりました。前々回までで西アジアやりました。
これすごく研究者の方々大変らしくてですね。
今残っている現地の遊牧系の牧畜民の方々の食文化を文化人類学的に調べるんですけど、
どの部分が古代から伝承されているもので、どの部分が混ざったのかっていうのは本当にわかんないんですって。
今僕が話したアホ話文化だとか、アリア人侵入だとかっていうのは、言っても紀元前3000年とか紀元前800年とか紀元前1500年とかの話ですよ。
だいぶ昔なしじゃないですか。
だけどオアシスロード、シルクロードの南側のね、西アジアを通ってトルコを通ってヨーロッパ行くこの道ね。
ここを遊牧牙民族ドーッと入ってきてるんですよ、歴史上。この後ね。
例えば有名なのはモンゴル帝国、ドドドンみたいな。モンゴル帝国、西の果てはポーランドですからね。
西の果てはポーランド。
北の方だったらね。あっちの方。
結構あるね。
それがあるから今のドイツらへんとかもボコボコにされちゃうわけですよね。
うひゃーって大変なことになる。
ちょっと南の方だったらホントトルコ辺りまで来てるし、インドの辺りもパキサンの辺りも来てるし、中国も占拠しちゃうし、朝鮮来てるし、ギリギリ日本来て帰ってくるみたいな。
これ全部モンゴル文化圏になるわけなんですよ。
モンゴルめっちゃ広いな。
世界最大半島はね、モンゴルか大英帝国どっちでかいかなぐらい。
ああそうなんだ。
世界でかい感じですね。
モンゴルね。
ただモンゴル帝国はお前らこの文化で俺たちに全部従えっていうスタイルじゃないので、そんなに強制力ないんですが、ただ統一をしたので文化はやっぱり落ちてきますよね、遊牧民の文化はね。
まあまあそれはね、一回入ってる来てるもんね。
モンゴル帝国もチンギスカーンのあと3代目4代目5代目くらいかな、フビライカーンの時にふわっと分裂していくんですよ。
中国はゲインになって、こっちはイルハン国になったりとか、チャガダイハン国になったりとか、キプチャクハン国になったりっていうと、これ全部キプチャクとかイルハン、イルとかチャガダイって人の名前なんですけどね。
ああそうなんだ。
兄弟とか親戚でこう分かれていっちゃうんですよ。
分かれていっちゃった人たちは戻らずにそこに定着するんで、そこに国作るんですよね。モンゴル系の文化はそこにそのまま残るということになっていくんです。
このチャガダイハン国の末裔とか何代か後にティムールっていう人が出てくるんだけど、ティムール帝国って聞いたことあるかな。
ティムール。
死ぬほど強い。やっぱりこれもユーボクキバ系の民族の国なんだけどさ。死ぬほど強いのよこの人たちも。
ああそうだね。
モンゴル帝国とムガール帝国
これは元が潰れて民ができたあたりくらいねこの人さ。チャガダイハン国の中で生まれた人なんだけど、お母さんがどっちだっけな。お父さんがトルコ系でお母さんがモンゴル系だったかな。
なんかそんな血を引いててさ。結局どっちにしてもユーボク民族系なんだけど。
俺、モンゴル復活させるとか言い出すんだよね。
あの全盛期の。
そう、全盛期のモンゴルは俺が取り戻してやるとか言い出して。国作って最終目標は元を滅ぼしてくれやがった憎き民をぶっ飛ばしてやるって旗揚げするのよ。
で、民の方向だと東じゃん。東攻めてる間に他のユーボク民にやられたらひと止まりもないから背後先に抑えとこうってやるのよね。
で、背後を抑えに行っただけのはずなんだけど、この人死ぬほど強いんで、なんかトルコの方とかまで来てパカーン、パカーン、パカーンとかでパルティアとかのみんなぶっ飛ばしてボボボンしていくんだよね。
おっしゃーって。よしこれで全部後ろの憂いはないぜ。民に行くぜって言ったら途中で秒死するんだけど。
おっちが秒死になる。
あれってなるんだよね。
そうなるね。
この人ね、もうイスラム化しちゃってるんだけど、この人の後継者が民とかよくねえすか。だいぶ強いし国作ってるし、なんかでもこの辺取ったらいいよねって言って国を作るんですよ。もう一回作り直すんですよ。
このエリアすげえ豊かだし、人いっぱいおるし、文化も発展してるし、公益の拠点でスパイスとかいっぱいあるし、砂糖とかあるし、米取れるし、牛尾ってミルク文化あるし、ゴマあるし、ここよくねえつって国作るんだよね。それがムガル帝国ってインドにあった帝国なんだよね。
ああムガル帝国。
ムガール帝国ってあるじゃん。ムガルとかムガールとかだけど。これムガルってモンゴルが生った言葉なんだよね。
ムガールはモンゴルが生った。
そう。ティムールさんはモンゴル帝国を復活させたかったんですよ。で、代わりに作ったのが場所が元モンゴルのとこじゃなくてインドに作ったんですね。モンゴルモンゴルムガルムガルムガルムガルと。
まあまあまあ良しとしようか。
という感じで実はあの前回まで紹介したインドはもう一度遊牧系の文化がドコンって入るんですね。
だからムガール文化圏が強い地域ムガール地方とかって言いますけどその辺はより遊牧人の影響を強く受けた植文化をしてますし。
北側ね。で南側南側でまた違う文化を持ってるっていうのが今のインドね。こういう感じになってます。で同じ遊牧系でも例えばモンゴルじゃなくてトルコ系って言うじゃないですか。
トルコ系。
トルコ。今国の名前になってるのはトルコですよね。あとトルキスタンもそうですね。
トルキスタン。
周辺にスタンっていっぱいあるじゃん。アフガニスタン、カザフスタン、パキスタンとか。あれ民族プラススタンでできてるんだよね。
ああそうなんだ。
スタンってあれ何語だったかな。何語だったか忘れちゃったけど確かアラビア語系の言葉で地域とか国を表すのがスタンだよね確か。
カザフ族の地域国でカザフスタンみたいな。トルコ族の国でトルキスタンみたいな。
はいはい。
確かにウズベキスタンはウズベク人?
そうなんですよ。
ウズベク人のいる場所みたいな感じでウズベキスタンって何か読んだな。
まさにその通り。だいたいね中東アジアからヨーロッパの中で共通する国の名前ねスタンとイアなんだよ。
イア?
イアはギリシャ語由来かな。設備詞でそれもまた国っていう意味なんだけどブルガリアとかあとはルーマニアとか。ルーマニアのルームって何かって言ったらローマなんだよね。
ああそうなの?
ローマ人の国でルーマニアとかそんな感じだったと思うよ確か。どうでもいい話なんだけど。話をぐるっと戻してトルコの話。トルコ人の話?
トルコ人の話ね。
トルコ族か民族ね。この人たちはもともとセンピ族の出身です。だってセンピ族がわかるかな。
ああセンピ族。
覚えてる?
センピ族どこだっけ?中国の上の方の人だよね。
ああそうそうよく覚えてるね北方民族。これセンピ族っていうのはもともと東にゴマの湖で東湖っていう集団があったんですよ。
トルコ族とオスマン帝国
これ京都が西にあって東側に東湖っていうのがいて、この東湖が棲んだのが今のモンゴル高原の北の方の阿波那支部文化のあった跡なんですよね。
ああそうなの。
この辺ロシアとモンゴルの境目ぐらい。この東湖っていう人たちが隣の京都に滅ぼされちゃう。
その残存勢力がセンピ山とかウガイ山っていう山にこう逃げ込むんだよ。
で彼らがセンピ族とかウガイ族って呼ばれて、でこの族の中にはなんとか部なんとか部なんとか部ってこのちっちゃいグループがあるのね。
でその中にタクバツ部とかセンピタクバツ部とかね、センピシツイ部とかっていうのが出てくるんだよなんだと。
でこれが分化していくとタクバツ部がタクバツ族みたいにでかくなってくる。
でこのシツイの方が通称タタルって言われてて、これの一部族のモンゴル部から出てきたのがモンゴル族なんだよね。
でそれがどんどんでかくなってモンゴル帝国になっていくんだけど、センピ族タクバツ部の中にジュゼンっていうのがいる。
これややこしいんだよ。
もうねなんか今何語聞いてるんだろうってちょっと思って。
まあザクッと言うね。でっかいグループの中に中グループがあって、でっかいグループが無参するわけ。
なんだろう内側から気泡が生まれてくるからにどんどんパコンパコンはでてくわけでかいのが。
でちっちゃいやつが育ててでかくなっていくみたいなそんな感じね。
でこのタクバツ部の中がでかくなってってこの中のほとんどの大部分は五湖十六国時代って中国史でやったの覚えてるかなこれ。
東風の海の時に一瞬出てくるんだけど。
五湖十六国時代。
既信南北調って言うの北の方から十六国がボンって入ってきて。
はいはいはい。
でもともとあった国は南半分に押し込められちゃうよみたいな時代ね。
あーあったね。
で北側の方がもう十六国あってゴーって戦ってて、で最終的に随ができて、その随が東に変わって、随と東はその北方民族の国なんだよって話でどっかでしたと思うんだよね。
これ限定でしたのかな。
限定だね。
この上から攻めてきた5個16国っていうのはみんな先輩族とかなのよ
だからそのうちの託伐部が 北側の5個16国の中で1回初めて統一を果たした北儀になったりしてくんだよね
それがほとんど でそうじゃなくて俺攻めないって言って外側にずっといた奴らもいるわけ
それが従前って奴らなのね こいつらもまためちゃくちゃ強くて
で彼らは彼らで相当な強い影響力を持ってて中に奴隷のように使役されてるちっちゃい部族がいるわけ
でその中に当時鉄ってすさまじく貴重だから鉄ほっといてって頼まれてた部族があるわけ
でなぜかそいつらね鉄を取ってきて単鉄って言って鉄を鍛えてね加工するのがめちゃくちゃ上手い人たちがいたの
この人たちが特決って言うんだよね
で特決っていう呼び方はこれは中国語呼びなのね本人たちはトゥルクって言ったの 私たちはトゥルク人である
でこの鉄を掘って鉄製品を使ってた人たちがめちゃくちゃ強くなって最終的に自分の所属した従前を滅ぼして自分たち独立するんだよね
で彼らが西へ移動し始める 牧畜民だからエリアを求めて
鉄持ってるから死ぬほどですよね 彼らがずっと行って西の方に行って
武人だからイスラム帝国の中に武人として雇われるようになっていって武家政権を築いて
その武家政権を築いて最終的にオスマン帝国になっていく 今2割ぐらいしかわからなかったね
まあすげー始めと最後だけザクっていうね モンゴル高原あたりを祖先に持つ遊牧民族が
一つはモンゴル帝国という巨大帝国を作りもう一つの流れはトルコ人という名称でオスマントルコ帝国を作りましたこういう話
つまり世界史に出てくる超有名などでかい帝国 モンゴルとオスマンはどっちも遊牧系だよって話です
そういう話ね ってことで今間細かいことを言ったのは何かというとそれぞれに結構重要な文化的に拡散したタイミングがあるんですよ
今鉄を作ったりとかね いろんな国を作ったとか 入れ替わったりとかね
騎馬民族の文化の拡散
クチャーな町ができましたとかなんかいろいろあるわけじゃないですかそういうところどころで モンゴル系のって言ったら言葉に語弊があるなモンゴル系はモンゴル帝国が崩壊した後にできた言葉なので
最近さ調べすぎてさ言葉に正確になりすぎてさ逆にややこしくなってる まあわかった遊牧騎馬民族系のね文化がバーッと広がっていって
で彼らはその土地のそのミルク文化いいねって拾ってまたこの辺でまた落としていってっていうのをずっと繰り返していってるから
今インドにあるミルク食文化も今トルコとかシリアとかイラクにあるミルク食文化ももともと彼らだけのものじゃなくなっちゃってる
混ざってる 混ざってる既に だから同じように例えばポーランドとかねドイツとかオランダとかあのあたりもヨーロッパ人が独自に発展させたものだけでは当然ないわけですよ
まあまあそれはね 当然この遊牧騎馬民族系の文化が押し寄せてくるんで
まあそれはこんだけ責められたりねあの占領されてるからねまたあるよね そうなんです
ということを今回言いたかったんです 30秒ぐらいで終わりそうなのかそうやって言っちゃうと
番組なんないしさ面白くないじゃん そうだねあの
なんだろうね分かったね確かに今ので今のでやっと流れがなんでこの説明をしたかが分かったんだけどあのね難しいのが多分モンゴル系のこの辺のとインドとかの言葉とあと中国系の言葉が混ざってるのでもうね覚えきれないのよ
これわかんなくなるじゃん わかんない これをね歴史上ちゃんと言語の壁越えてわかってた人たちがいるのよ
そうなの すごない すご 俺がね中国でもなければイスラム帝国
イスラム帝国かヨーロッパの人たちもないなこのイスラム帝国の中でも今出てきたトルコ人でもなくてイラン系民族なんだよ
イラン系 うんいわゆるイランアーリア人と呼ばれてる人たちね
ああはいはい 起源前800年ぐらいに今のイラン辺りに入りましたよこの人たちはね
イスラム帝国の中だと例えば最上位にこうアラビア人がいるわけじゃんアラブ人がいます
で2番目がなぜか官僚とか文官みたいな人みんなイラン系なんだよ
でその3番に武士武家階級でトルコ系がいるみたいな構造になってるの
で初めはアラブ系の人たちが王様になって使えてる使えてるでそのうちにイラン系の人たちが上に行く
でお前らどっか行けみたいなそこからまた一番下の武士階級がお前らどっか行けっていう
これをずっと繰り返してるわけねこのイラン系の人たちがなぜ文官でいるのかっていうと
言語にむちゃくちゃ強いんだこの人たち 言語に強い なんでかっていうとこれ地図見たらほうが早いんだけど
ここねシルクロードのど真ん中なんさ ああシルクロードの真ん中か確かに確かに
当時言ったらローマ帝国からとか物やってくるわけですよだからエジプトからもここ通らなきゃいけないじゃん
ここから中国方面に行くも絶対ここ通るわけでしょでステップロードは通らないけどマリンロードもここ通るわけ
マリンロード聞いたことあるな 海の道ね航海からインダス川あたりに行くわけだから
ここでもやっぱ交流あるしということはすなわち東南アジアの文化もここ入ってくるわけ
だからここめっちゃくちゃ交差点になっていてこの人たち商人が多いんだわ今のイランあたり
そうなんだ パルティアっていう国があったりとかパルティア地域とかって言うんだけど
中央アジアの交流の中心地
この辺って商人が多くてキャラバンが行き来をするような感じになってくわけ
キャラバンね出てきたね 出てきたでしょ
キャラバンが行き来するからこそ当然彼ら商売をしなきゃいけないので言語に発達していくんだよどんどん
まあまあそうか商売やろうと思ったらね他言語を覚えてないと商売ならんもんね
そうなんですこれ歴史の教科書世界史の教科書だと中継貿易中継貿易って書いてあるね
ああそうなんだ この辺りの地域は中継貿易で発展をしましたっていうふうに書かれてると思いますが
まさにイラン系の人たちはそれが強いんです へえイランってそこが強いんだね
だから歴史上みんなビビるわけ
それは古代の人たちもイラン系の人たちって元を立たせばペルシャ帝国作った人たちの末裔なんでね
アケメネス朝ペルシアとかサン朝ペルシアってやったでしょあの大帝国
どこだ今それ出てきたのどこだ聞いたよ聞いたけど
アケメネス朝ペルシアは大帝要遂してなんでアレクサンドロスに滅ぼされちゃうんですね
そっから数百年経ってペルシア帝国復活って言ってたのがサン朝ペルシアってやつね
これの末裔が今のイランの辺りなんだけど
それともこのシリーズだっけと思った いやシリーズまで覚えてない
でもやったよね聞いた記憶はある これちょいちょい出てくるんだけどね
このイラン系の人たちっていうのは歴史上みんなビビるわけ
サン朝が出てきたとかバルティア側とかって言う時もみんな怖いわけここ
なんで怖いかっていうと情報を全部持っていて
どっちにもアクセスできてどっちとも交渉ができるっていうポジションだからみんな怖いわけね
だからそれは第一次世界大戦も二次大戦もそれ以降みんなこの辺りの人たちをビビってるのは割と歴史的背景で見るとそう見える
世界史僕ら日本で習う世界史っていうのはヨーロッパ史観が非常に強いので
地図とかでも大西洋真ん中に書いてヨーロッパ真ん中ですよみたいに書いてるんだけど
仮にでねこのバルティア地方ねイランのあたりとか中央アジアを真ん中にポンと置いた地図に置き換えたとすると
っていうかシルクロードの真ん中なんで当然そうなんだけど
そうするとスペインとかイギリスとかっていうのは西の端っこなわけですよ
だから文化が行き届きにくいなっちゃう
だからガラパゴス化していくわけやっちゃう
ある意味独自文化が開いていくっていう側面もあるよね
同じようにシルクロードの東の果てのさらに向こう側にある日本っていうのは完全独自文化だよね
同じことが両サイドで起きます
でこの真ん中の中央アジアあたりっていうのはずーっと交流しまくってるので
それはそれでミックスされまくってわけわかんないんだけどイノベーションラッシュがここで起きる
みたいな感じね そういうことね
いうことなんですよ
紛争はもちろん絶えないんですよ歴史上見てても
言語の多様性と交差
ただその分文化はぐしゃぐしゃに混ざるんで
その目で見ると植文化もここを起点に考えると面白いかもしれない
そうか
日本国内でもそうだしね都会を中心に争いが増えていくしね
そこでも文化が混ざってどこの地方の元でかわからないものが意外と流行ったりするしね
頬巻きとかね
謎の文化ね
人が交流するところってやっぱすごいなと思いますよこうやって見ていくと
ちょっと脱線の脱線だけど三蔵法治がさ
唐の時代とか隋の時代くらいに行くわけじゃないですかインド目指して
行くときにやっぱりこのステップロードからオアシスロードに南下してくるわけだよね
でインドに入るんだけどこの間のいろんな国の王様とか商人とかに
お話を聞いて助けてもらいながら行くわけだよ
用言葉通じたなと思ってね
確かに
すげえいっぱいいろんな民族いるしいろんな言語あるんだここ
まあまあ見るからにありそうだもんね
日本人からの感覚で言ったらもう何十カ国文化くらいが間にいっぱいあるわけ
でもさ三蔵法治会話できてるじゃん
じゃあ三蔵法治がそんなにペラペラで多言語の人だったのかっていうとどうもそうじゃないっぽいね
もうそうだね
もちろんサンスクリット語とかは勉強したらしいんだけど
仏教の原点なんで
まあそれは読めないといけないからね
でも中国語の一部の言語とサンスクリット語の二カ国語くらいだとするじゃない
じゃあどうやって会話したんだろうと思うと
なんとこの間の人たちがどっちかの言葉を必ず喋れるっていう状態なんだよね
ああそうなのか
自分たちの住んでる生活圏がねそもそも多言語だから
そうだし小取引やってるからさっき言ったように
言語に強い人たちがたくさん住んでるエリアなんだここ
片言で中国語喋れちゃったりとか
片言でサンスクリット語喋れちゃったりとかするわけないのこの辺の人たちみんな
それはもう大陸だからこそっていうのもあるよね
っていうね中央アジアすげえなって話
そうかまあうちらもあれだもんね
東北と九州の方で方言きついとこ全くわからないところもあるけど
なんとなくわかるもんね両方わからない人もいるもんね
もちろん地元の人とか標準語と言われる言葉とさああいう感じなのかもね
もう彼らの耳にはそう聞こえてるかもしれない
ちょっと違うけど一緒なところに一緒だしねっていう
もう多言語すぎるんじゃない そうだね
あと本当どうでもいいチップスだけど
ユーボクミン騎馬系のね騎馬民族の話で
僕ら寒いときにブーツ履いたりするじゃないですか
あと靴履くとき靴下履きますよね
ブーツと靴下は騎馬民族の文化ですよ
騎馬民族なのブーツも靴下も
ヨーロッパ人じゃないです ああそうなんだ
なんかヨーロッパ人の文化のように語られてますけど違います
中央アジアのユーボク騎馬民族から生まれました
へえそうなんだ だって思い出してよ例えば映画のテルマエロマエ
足元どうなってますかギリシャの人たち
なんか足元の像理みたいな
グルカサンダルって言われる網網のサンダル履いてますよね
ああそうだね あんな感じよ
ああそっか足めっちゃ出てるもんね
あそこから上の方に行くとちょっと寒いんで
革靴短靴が出てくるんだけど素足ですよ
ユーボク民族は特に騎馬民族は馬に乗らなきゃいけないんで
ブーツが欲しい
で騎馬民族は肉を食うので革の量が盛んなんですよ
革で物作るんですね寒いじゃないですか馬乗るじゃないですか
革と毛を使った製品いっぱい考え出すんですよ
ブーツ入ったら馬乗るときにちょうどいいよねとか
濃厚じゃなくて獣と移動するときにブーツの方が安全でいいよね
っていう長いブーツが出てくるわけです
革底の革の表面ですねもしくは表面が布っていうバージョンもあるらしいんだけど
でもブーツって足首まで折っちゃうから崩れしやすくて痛いじゃん
じゃあ靴下履こうって
靴下もよくスノボとかスキー行くときに厚手の靴下いいよみたいな話ありますよね
当然そういう方々も厚手の靴下なんですよ
寒いし冬場マイナス20とか行っちゃうところあるんで軽く
そういう時にはやっぱり羊の毛皮とか羊毛ウールですよね
ウール製品ってあったかくていいよね
その中で最も密度が濃くて編むとかいう手間がいらなくて水も弾いてくれるやつ
それがフェルトね
モワモワって取ったやつをなんか櫛みたいなブツブツ刺して固めてくるとフェルトになるんだけど
ああいうのが活躍してきたりするよね
ウールの靴下が出てきたりとか毛布のように固まりにした平たい大きいフェルトみたいなのが出てきて
このフェルトで作ったのテントがゲルだったりとかね
ゲルってそうなんだ そういう感じで僕らが日常生活で知っている
フェルトだとか靴下とかブーツだとかもやっぱり遊牧騎馬民族の中から出てきてます
ただ僕らがなぜそれをよくわかってないかっていうのは一つにはもちろん
ヨーロッパ史観とか中国史観で見てるので真ん中の人たちの文化っていうのは見落とされがちっていうのが一つありますよね
もう一つは彼ら定住してないので全く文字がないわけじゃないんですが文字で書き記すという習慣がないんですそもそも
荷物にしかならんからね 初めて自分たちのことを文字化し始めたのって元とかそれぐらいから後なんで
それ以前のことってのは本当にわかんないんです 遺跡でしか見れないんで
遊牧民のミルク食文化と影響
で遺跡もお墓とかはあるんです墓だからね 家もところどころ残ってるんだけどそもそも定住してないから
遺跡少ないんだって ずーっと本読んでどこどこの墳墓からこんなの出てきてこんな埴輪みたいなのが出てきましたって
墓の話ばっかりしてるもん まあしょうがないよね遺体は持って運べないしね
面白いよねっていう話ですもう今日全くミルクの話の外覚しかしない 本当だね
ただまあこれを知っておいてほしいなと思ったのは別に今回ねこのシリーズの中でこれ入れるつもりなかったんですよ
僕もミルク食文化を理解するためにはこれをわからないと話すまないなと思って独自に勉強してたんです裏で
ただずっとこれやってたらこれ意外と重要なポイントになりそうだなっていう直感が働いて
でもう少し手を突っ込んでみたところどうやら彼らの存在っていうのはこれから話すモンゴル系のところももちろんそうなんですけど
その後のヨーロッパ編のところでもやっぱり彼の影響が大きいし
いうことがわかってきたのでちょっと予備知識を共有する意味でやっとこうと思って今回差し込みました
面白いねこれミルクのシリーズで始まったよねだいぶ思わぬ深さまで行ってるんだけど
いや牧畜民ですから ミルクの食文化と牧畜の農業の中でも牧畜っていうのはね
切っても切り離せないですから わかるんす? 多分聞いてる人は思ってるよここまで行くと思ってなかったっていう
だいぶ壮大な話だよこれ でもザクッと動きの概要性揺らし当たりはザクッとやっただけですよ
ふわーっとこんな1個1個やってたら何十年もかかるから まあでも一方面から見るとさミルク方面から見てみたらなんか
割とこのミルクに対していうかその遊牧民がすごい他の文化にも絶対影響を与えてるよねっていう
壮大な話だよねっていう 思った以上に僕らが知っているその基本的な歴史の
モンゴル系遊牧民の影響
勉強の中では出てこないところだよねこれね ああそうですねあんまり中学高校生くらいの歴史では
触れないんじゃないかなわかんないけど それこそ触れてたら終わんないよ ああそうか 多分終わんない
僕はこの間高校の地理の資料集見てましたけど ページあるんですよ遊牧民族っていうの
少なと思って なんでこんな少ないんだろうね ねえもうちょっとやったらいいのに
ねえ結構面白いよ確かに なんかこう補習語を取るじゃないけどさ
例えばヨーロッパ中心でも中国でも日本中心でもどこでもいいですよ 日本を知るためには日本ではないものを知ると日本がわかるっていうのあるじゃないですか
あるね いわゆる補習語を取るっていう数学的な概念ね
そういう意味でもね僕ら習う世界史ってほとんどが濃厚系で埋め尽くされていて
気がつくとあれオスマントルコっていう騎馬民族じゃんとかっていうのも何なのあいつらって
わかんないままへーって言って過ぎてったりするわけじゃん 過ぎてく
謎にでかくて怖いモンゴル帝国ぐらいのイメージでしょ
なんなんで終わっちゃうからそういう意味で知っとくと逆にカウンターではじゃあローマ帝国って何だったんだろうとか
オリジナルの文化発展された日本って何だったんだろうとか
漢帝国の漢って何だったんだろうっていうのがわかってくるかなって気はしますよ
そうだね ちなみに神の始皇帝の神ってあるじゃん
神の始皇帝の神 神あのキングダム漫画キングダムの神ね
あの神そもそも騎馬民族だからね 彼ら遊牧騎馬民族の出身だから
あそうなんだ だから北方民族越えって言ってその始皇帝が
バリの頂上繋げるわけよでかくしちゃうわけなんだけどお前の子孫北方遊牧民だからなって
そもそもなって ああそもそもね っていう感じなんですよ
先祖がってこと 先祖が神という国がそもそも遊牧民の国なんで元が
ちょっとややこしいことやってるね 隋も漢もその後のつい日清戦争の時の新王朝も
みんな北方遊牧民なんで ああそっか上から来てるもんね
牧畜スタイルの多様化と拡散
漢民族のやつは漢と宗とあとどこだ民かなんかそんな感じ
ずっと入れ替え入れ替えしてますよ中国は
中国も大変なんだな色々とね 大変なんですねきっとね
っていう意味でもうだんだんどうでもいい話してるけど遊牧民って
僕らの知らないところですげえ影響してるんだなーっていうことだけ伝わればいいと思いますよ
そこはなんとなくわかった わかりましたじゃあ次回こそそのさっきからアファナシェボ文化ってよくわかんないこと言ってるけど
アルタイ山脈を基軸に広がっているモンゴル高原ねこのあたりの
現代まで至るミルク食文化ざっくりいきます
この文字数の少なさでよう喋ったな俺 結構あったねボリュームね
ぱっと見騙されたでしょ 騙されたよ知らない言葉だらけだったよ
書いてないこといっぱい喋ってるからね ちなみにですね前回の
ミルク大好きインドの歴史という第8話 僕半分ぐらいしかわからんかったところがあったんで
スポティファイの交流というか Q&Aが設定できるのでそこで今回の内容伝わったっていうやつをやったところ
今のところ4件投票があって 10割理解ができたが1件
おおよそ全部が1件8割ぐらいが1件 半分ぐらいはゼロ一部はゼロほとんど理解できなかったが1
すいません本当に申し訳ない 聞いててこれいけるかなってその音だけでね
文字見てればいいんだけどだいぶ進出単語が多すぎてちょっと割合をもう少しこうやんまりと
じゃあ今回の話は比較的世界史強めの人向けになっちゃいましたね
そうだね途中ちょっとよくわかんなくてん?ってなったちょっとなんか逆にわからなすぎてちょっと笑ってた
なんかわからないなぁでもなんかすげー広がったんだなぁ混ざったって思ってくれればいいです
そうねじゃあ225話第7話の南アジアのミルク食文化で聞いたインドに行ったことあるっていう
投票なんですけど 5678910件中2件2割はある3割はない半分は行ってみたいと
ただこれだけなんだけどね そういう投票機能がついたんですね ちょいちょいシリーズを編集した後に思いついた質問を入れているわけなんですよ
ちなみに第4話ではミルクの始まりのとこね
ここだと人類が家畜に依存した話をしてるんだけどあなたならどっちを選ぶっていう質問をしてるんだよ
おお面白い 飼料を採集する係と
農耕を駆逐をする係どっちを選ぶか 飼料採集4割農耕6割っていう結果でしたね
へえ面白い 結構これちょっと面白かったね なるほどね
そうなんだね意外とあのやっぱこの辺は分かれるんだね あれも飼料採集しちゃうかもしんねぇな
飼料採集ね農耕大変そうだもんね大変そうだけど結局農耕を選ぶ人も6割ぐらいいるんだねと思って
今回はどんな質問になってるかどうか分かんないけど じゃあそういう質問を見つけた方アンケートのお答えお願いします
はいお願いします コメントもお持ちしておりますのでよろしくお願いします
はいということで今回はこの辺で終わりたいと思いますありがとうございました ありがとうございました
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