25年万博

未来描いた博覧会たち

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 近未来への夢を描き、消費文化の花を咲かせ、日本の近代化を推進してきた博覧会。1970年の「日本万国博覧会」(大阪万博)や1990年の「国際花と緑の博覧会」(花博)にとどまらず、この130年間の大阪では多彩なテーマで開かれてきた。【池田知隆】

最大規模の内国博=1903年

第5回内国勧業博覧会の会場=1903年 拡大
第5回内国勧業博覧会の会場=1903年

 日本で最初の博覧会とされる1871(明治4)年の「京都博覧会」。維新後に沈滞する都を憂えた京都の豪商たちが西本願寺で物産会、骨董(こっとう)品展を開いた。大阪では1876(明治9)年に堺・南宗寺で開催された「堺博覧会」が最も古い。日本が国際博覧会に初めて正式参加したパリ万博(1867年)の後、文明開化の波に乗ろうという時代の流れに敏感で好奇心旺盛な関西人の意気込みが見られる。

 翌1877(明治10)年から国内産業を振興するために内国博覧会が開催されるが、都市大阪に大きな足跡を残したのが1903(明治36)年の「第5回内国勧業博覧会」。大阪市天王寺・今宮と堺に会場を設け、3月1日から7月31日まで開催された。日清戦争(1894~95年)の勝利で各企業が活発に市場を拡大し、鉄道網がほぼ日本全国に敷かれたことで関心は高く、敷地は第4回(京都・岡崎公園)の2倍余、約530万人が入場し、大盛況だった。「最後にして最大の内国博」とされている。

 農業、林業、水産、工業、機械、教育の各館や美術館、通運館、動物館のほか台湾館などを設置。諸外国の製品を紹介した参考館には英、独、仏、米、露など海外十数カ国の参加があり、内国博とはいえ国際博に近い展示内容だった。

 初めて夜間にも開場。大噴水は5色の照明でライトアップされ、イルミネーションで飾られた会場内には色鮮やかな夜景がつくられた。通天閣のルーツとされる大林高塔(高さ約45メートル)にはエレベーターが設けられ、飛艇戯(ウオーターシュート)、メリーゴーラウンド、パノラマ世界一周館、不思議館(電灯や火薬を用いた幻想的な舞踏、無線電信、X線、活動写真などを見せた)、大曲馬などの娯楽施設に歓声がわきあがった。

 この内国博は大阪市に莫大(ばくだい)な経済効果を及ぼし、博覧会跡地に天王寺公園や、「大阪の新名所」とのふれこみで盛り場「新世界」が誕生する。しかし、内国博は日露戦争後、財政難に陥って中止される。その後、各府県などによる博覧会は開かれるものの、国家的博覧会の実現は1970年の大阪万博まで待つこととなる。

大大阪の誕生記念=1925年

大大阪記念博覧会の天王寺会場=1925年 拡大
大大阪記念博覧会の天王寺会場=1925年

 大阪では1915(大正4)年に天王寺公園で「第7回日本産業博覧会」が開催される。第一次世界大戦(1914年)が勃発するなかで、国産奨励と貿易振興を図ることが目的だった。大戦によって欧米からの化学製品が途絶したことで国家的に化学工業を振興するために「大阪化学工業博覧会」が1918(大正7)年に再び天王寺公園で催された。大阪市域が拡張され、「大大阪」の誕生と大阪毎日新聞の1万5000号の発行を記念して「大大阪記念博覧会」が1925(大正14)年に開かれた。

国防・軍需 時局映す=1936年

 1936(昭和11)年には「輝く日本大博覧会」(大阪毎日新聞社・東京日日新聞社主催)が開かれた。4月10日から5月31日まで阪神・浜甲子園、阪神パーク、六甲高山植物園を会場とし、大阪毎日新聞は「地は阪神の形勝 ここに展示される帝国躍進の姿」「アッと驚く空前の余興 米国から招く大サーカス無料公開」と報じている。

 甲子園の海辺に設けられた第1会場には国産館、皇軍館、科学館、機械館、文化館、満洲館、汎(はん)太平洋館などが並び、陸海軍中心に国防意識、軍需工業の重要性を紹介。1万人余を収容する野外大余興場では、自動車やオートバイの曲乗り、ハワイ女性の「フラフラダンス」が繰り広げられた。このころはまだアメリカ流の娯楽が集客の目玉になっていた。

 大阪毎日のライバル紙、大阪朝日新聞も「支那事変聖戦博」(1938年、阪急西宮球場ほか)、「大東亜建設博覧会」(1939年、西宮大運動場)を開催。やがて太平洋戦争に突入し、敗戦を迎える。

人類の進歩と調和=1970年

大阪万博のフランス館前での長い行列=1970年撮影
大阪万博のフランス館前での長い行列=1970年撮影

 敗戦から25年たった1970年、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、大阪万博が大阪・千里丘陵で開かれた。日本における万国博の開催は明治以来の悲願だった。東京五輪から6年後、関西を中心に日本経済のさらなる飛躍への願いが込められた大阪万博には、予想をはるかに上回る約6400万人もの観客が殺到、万博史上最高の観客動員数を記録した。

 博覧会の運営はマスメディア中心から各種博覧会協会や政府、各自治体などの主催の形に戻った。毎日新聞社が記念事業第1弾として打ち出したのが「万博テーマソング募集」。作家の井上靖、作詞家の岩谷時子、西条八十、詩人の谷川俊太郎の各氏らが審査の結果、大阪府豊中市の主婦、島田陽子さんの作品が入賞した。当時売れっ子の作曲家、中村八大氏が曲をつけた万博テーマソング「世界の国からこんにちは」は歌手、三波春夫さんたちの歌声にのって全国的に流行した。

 大阪万博最大の目玉事業は、毎日新聞社と松下電器産業(現パナソニック)が共催した「タイム・カプセルEXPO’70」の製作だ。文化遺産を末永く未来に残そうというロマンにあふれ、当時の日本を代表する頭脳を総動員してスタートさせた。

 科学技術の粋を結集してカプセルを製作するために技術委員会は、委員長の茅誠司・元東京大学長(結晶磁気)を中心に会合を重ねた。カプセル本体の材料は日本で開発された特殊ステンレスとし、保存技術を駆使した。収納品を公募すると、約12万通もの応募があり、最終的に遺産目録は2098点に及んだ。

 収納品は、植物の種子、微生物、おもちゃ、お守り、大学入試問題、現代風俗絵巻、映画、日本の文学、音楽、伝統工芸品、5000年の時を刻むプルトニウム原子時計、被爆者のツメ、アポロ宇宙船の記録などで、減菌・殺菌処理されたうえ、カプセル内部をアルゴンガスで満たして密封。さらに埋設管などで覆われ、万博の翌年1月、大阪城旧本丸跡の地中に埋設された。

 このほか万博関連では毎日新聞社は1966(昭和41)年5月、「緑のニッポン全国運動」を提唱し、万博会場に全都道府県の木を植樹し「日本の森」を造っている。(「『毎日』の3世紀(下巻)」毎日新聞社刊)

自然と人間の共生=1975年~

各パビリオンが幻想的な光に浮かび上がる科学万博会場の夜景=茨城県の筑波研究学園都市で1985年撮影
各パビリオンが幻想的な光に浮かび上がる科学万博会場の夜景=茨城県の筑波研究学園都市で1985年撮影
空から見た花博会場=大阪市鶴見区で1990年、本社ヘリから撮影
空から見た花博会場=大阪市鶴見区で1990年、本社ヘリから撮影

 大阪万博後、「沖縄国際海洋博覧会」(海洋博、1975年)、「国際科学技術博覧会」(科学万博、つくば、1985年)を挟んで1990(平成2)年に花博が大阪・鶴見緑地で開かれた。「花と緑と人間生活のかかわりをとらえ、21世紀へ向けて潤いのある豊かな社会の創造をめざす」をテーマとしたアジアで初の国際園芸博覧会だった。日本を含む83カ国と55の国際機関、212企業・団体が参加し、総来場者数は約2312万人余と特別博覧会史上最高を記録した。

 毎日新聞社は博覧会のテーマソングを公募し、そのうちの一つに「約束」(歌手、相川恵里)が決まった。歌詞の1番に「花」が、2番に「緑」が入っており、同年春の第62回選抜高校野球大会の入場行進曲も兼ねた。

 長い間、多くの人々に夢をもたらす祝祭の場となり、「文明のパーティー」ともいわれた博覧会。21世紀に入って「自然の叡智(えいち)」をテーマに「2005年日本国際博覧会」(愛・地球博)が愛知県で開かれたが、大規模な国際見本市が催され、大型のテーマパークやエンターテインメント施設がにぎわっている今、博覧会の意義は大きく変わろうとしている。大阪への誘致の期待が高まる2025年国際博覧会は私たちにどのような新しい世界を見せ、レガシー(遺産)を残してくれるのだろうか。

そして2025年へ

 大阪・関西への誘致を求めてきた2025年国際博覧会の開催地が23日、BIE(博覧会国際事務局)総会で決まる。開催地として日本のほか、ロシア(エカテリンブルク)、アゼルバイジャン(バクー)の2カ国が立候補している(当初、立候補していたフランスは2018年2月に辞退した)。

 日本の提案の内容は、開催期間=2025年5月3日~11月3日(185日間)▽開催場所=大阪・夢洲(ゆめしま)▽テーマ=「いのち輝く未来社会のデザイン」▽サブテーマ「多様で心身ともに健康な生き方」「持続可能な社会・経済システム」▽入場者想定=約2800万人。

 大阪・関西には、世界トップレベルの技術力を誇る企業や研究機関が集積し、文化・観光資源も多彩で豊富にある。これらを生かして人類の課題解決に貢献するとともに、大阪・関西の魅力を世界に発信しようと大阪府・大阪市や国、経済団体が中心となり、誘致活動を展開。これまでBIE総会などでノーベル賞受賞者の京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授らがプレゼンテーションなどを行ってきた。吉村洋文・大阪市長は「日本の技術力や国際貢献、大阪の先進的な都市機能に加えて、日本人の誠実さや運営能力が高く評価され、他の競合国に対する強みになっている」と話している。

(大阪毎日新聞発行130年記念別刷)

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