すべての原告を水俣病と認めた27日の大阪地裁判決は、理不尽な「線引き」に翻弄(ほんろう)される患者たちに救済の道を開いた。「この日を待ちわびていた」。心身の苦痛に耐えながら生活する被害者らは安堵(あんど)するとともに、国による厳格な救済範囲の早急な見直しを強く望んだ。
午後3時過ぎ、大阪地裁2階の大法廷。「原告はいずれも水俣病に罹患(りかん)している」。達野ゆき裁判長が国の賠償責任も認めた判決要旨を読み上げると、原告たちや弁護団はうなずきながら内容に耳を傾けた。閉廷後、満席になった傍聴席から一斉に拍手が起きた。
原告128人の一人として名を連ねた前田芳枝さん(74)=大阪府島本町=も法廷で裁判長の言葉を聞き漏らさないよう目を閉じ、その瞬間を迎えた。「やっと認められた」。うれしさやつらかった過去の記憶が交錯し、涙が止まらなかった。
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