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日記 憎しみは何も実らさない

 よく、復讐は何も生まない的な事を言うが、ちょっと前まで全然違っていた。

見返したり、恨みを晴らす為にエネルギーは必要だと思っていた時期があった。

でも、ある事でこりゃあ私のよく『食べ仲間』の言うとおり、うしおととらの憎しみは何も実らせないというのは本当だと思った。

フィクションです。

いまよりもっと太っていた時にジムへ行くと絶対に私をみて笑う女性がいた。

これ、本当に毎回毎回

「すいません、モチベーション下がるんでやめてください。」

と言ってもやめないのだ。
縄跳びしてたら地震と笑い、腹筋してたらバランスボールと笑っていた。

ジムをやめたら逃げたと思われるのも癪なので、その人(というか誰もいない時間)を狙って行くことにしていた。

続けていくうちに『食べ仲間』の紹介でかなり歳が下の知人ができてよく一緒に行くことになった。

そんな日々を繰り返していたら、ばったりその人に会ってしまったのだ。

『うわ…嫌だなぁ』

と思っていたら

「よく来られるんですか?」と声をかけられた

向こうは私だと気づいていなかったのだ。

私である事を明かすとびっくりしていて、その後に

「てっきりもうジムは辞めちゃったと思ってた。何でもっと早い時間に来なかったの?」

と言われたので

「あんただよ、あんたがいるから来なかったんだよ。練習してんのにゲラゲラ笑われたら嫌だからだよ。」

と言った。
その人はしばらく立ち尽くしていた。
私は年下の知人と練習していたら、その人は待っていて

「本当にごめんなさい。本当にごめんなさい。本当に悪気はなかったし、あなたが本気でボクシングをすると思って無かったんです。許してください。」

と言ってきた。

ここで、これを読んだ人に覚えて欲しいのだが、事と場合によるが相手が本当に謝ってきたら許した方がいいと思うのだ。
何故か?
まず、あんまり知られていないが『許す』というのは本来『格上』がやる行為なのだ。
だって、相手が謝って『許してください』と許しを乞うてきてるのだから、許して上げるのだ。

後、人は間違える生き物だ。

完璧な人間などいない、間違えてしまう事もある。
自分もそうだし、沢山謝ってきて、沢山許して貰った。 

なので、許したほうが良いと思う。

そして、過程はどうあれ結果的に痩せて鍛えられたのだ。
謝って、許して、和解したら、その時に初めて相手に感謝する‥パターンもあるのだ。  
(逆にこの過程がない場合は全く相手に感謝するパターンはない。)

もしも、許さないで憎んだままジムに行っていたら全然、楽しくないだろうし。

そんな憎んだままだと幸せではないのだ。
そういう意味で憎しみは何も実らせない、と今は思っている。

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