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海辺を歩く、境目を泳ぐ

まず、分かっておいて欲しいのは、関西人が琵琶湖のことを海と呼ぶことです。したがってこれはタイトル詐欺ではありません。と先に言い訳しておいて、これから書くのは、琵琶湖の周りを散歩してきたという話です。

日曜日の夕方、突然海が見に行きたくなった。調べてみたら、僕の下宿から琵琶湖まで電車で一時間もかからなかったので、ジーパンのポケットにスマホと財布と鍵だけ入れて、勢いそのままに出発した。目的地は大津湖岸なぎさ公園というところで、簡単に説明すると、琵琶湖の浜辺のところに木を植えて芝生を作って、そこに道を作った感じのやつである。この公園は、公園と言うには細長すぎる形をしているので、僕は実はここは人間が遊ぶためじゃなくて犬が散歩するために作られた公園なんじゃないかと疑っている。実際、犬が多い。しかし、人が歩くのにもそこそこ適していて、水辺だから結構涼しいし、風も気持ちいいし、散歩するには最高の場所だ。

昼と夜の境目が見える気がする
月が雲に隠れていい感じ

僕は特に目的もなかったので、散歩して、写真を撮った。時間帯がたまたま完璧で、日が沈んで、満月が昇ってくるのを味わうことができた。昼は太陽、夜は月ってイメージがあるけど、本当は、月は夜とは何の関係もなく昇ったり沈んだりしている。昼は太陽に隠れて見えないだけで。レミオロメンの「3月9日」で「昼前の空の白い月」って歌詞があるように、昼と月は決して相容れないものではないのだ。もっと言うと、昼の月と言った時点で、その月が欠けていることがわかる。満月は夜に昇って朝に沈むからだ。例えば上弦の月なんかは深夜に昇って昼に沈むので、この「白い月」は僕の中では半月のイメージになっている。相容れないようで、逆に想像を膨らませることができるという点で、この歌詞は表現としてとても面白いのだけど、そういう話をすると長いので、一旦話を戻す。さっき言った理由で、夜で始まって夜で終わる月は満月しかないのだ。つまり、日が沈むとほぼ同時に月が昇るのは、満月の時だけだ。そんなことを考えると、僕が散歩に行ったタイミングは結構奇跡的なタイミングだと言えるのかもしれない。

一応この散歩は、「やりたいことリスト、作っちゃおう」という記事で書いた「最低限の荷物で旅行に行く。」という目標の延長線上にある。実際、大学生でもないとこんな自由に散歩に行けないと思う。大学生というのは多分大人と子供の境目である。しかし、これから自分が大人になれるかどうかには全然自信がない。なにか前に進まないといけない気がずっとしている。こうやって散歩して、やりたいことをやっていたとしても、それは自由を味わっているだけで、自由をうまく使っているわけではない。この散歩中、ぼくはただ景色が綺麗だな、なんて思っていただけで、自分の将来には一ミリも思いを馳せていない。そう考えるとこの散歩には何の意味もないし、でも将来将来と急かされて生きるのは嫌だ。確かな目標をもって大学に入ったわけではない僕にとって、大学は今のところ社会人までの猶予期間にしかなりえていない。もったいない。いつか僕は何かを見つけられるのだろうか。





うまかった!

最後は、魂心家というラーメン屋で夜ご飯を食べて家に帰りました。

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