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年末に「納まる」感を覚える話

関東の冬ってときどきモヤみたいのが掛かりませんか。
松戸に住んでいた頃はそこいらじゅう畑だらけだったので、野焼きでもしてる煙なのだろうと思っていた。しかし畑など見当たらない横浜の街中でも見えるから、あれはどうも煙ではないようです。
関東の冬は陽射しがきついから、大気中のゴミみたいのが反射するのかもしんないな。

僕はこのカラカラでピカピカの関東の冬がどうにも好きではない。
しかしあれですね、年末に大掃除なんかして、大きなゴミを出しに行くのは親父の仕事だから、夕方ゴミ捨て場まで歩いていく。そういうようなときには、またまるで違った見え方をするのが、関東の冬の面白いところであります。
昼の間はペンキを塗ったようにしか見えなかった空が、突然透明なガラスになるというか、大気の膜で隔てられていた「生宇宙」がいきなりずるんとそこに見えているという状態になる。
そうして、地上ちかくの空はまだ明るくて、その夕方と夜の間くらいのところに真っ黒のシルエットになった屋根や電柱が影絵みたいに聳えている。
この生宇宙と影絵の組み合わせを見ると、毎年「ああ今年も納ってきたなぁ」と思う。

「納まる」という感じなんですよね、日本の年末。
 来るべき新年に向けて何か新しい胎動を感じる、というより、過去一年のなんやらかんやらがすとんすとんと片付いて「納まって」いく感じ。パースペクティブではなくレトロスペクティブ。こういう感覚を年末に持つ社会というのは割に珍しいのでないかしら。
そんなことを考えながら今年も大掃除のゴミを捨てに行ったら、また生宇宙と影絵に遭遇しました。
脳内のどこかで拍子木がチョキンチョキンと鳴って、サテ今年はこれまでこれまでというような口上も(脳内で)あり、ああ今年もどうやら納まりました。
来年はどんなことになるやら分かりませんが、またとっ散らかしては納めてを繰り返すのだと思います。
そんな予感を込めながら、みなさんどうぞよいお年を。


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