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メイク技術が「整形級」と話題。広島出身の美容クリエイター・ギュテさん(27)

 ある時は韓国アイドル、ある時はドラァグクイーン―。メイク技術が「整形級」とユーチューブなどで話題の美容クリエイター・ギュテさん(27)=東京都。実は広島の出身です。今春には初のエッセー「無いならメイクで描けばいい」(幻冬舎)を出版しました。脱毛症やいじめを乗り越え、前向きに生きる力をくれたメイクへの思いを語ってくれました。(栾暁雨)

別人のように変身するテクニックに驚きました。女性誌などでも活躍していますね。

 昨年、憧れの「ViVi」と「anan」に特集記事が載りました。他にも読者の悩みをメイクで解決する企画をしたり、化粧品ブランドのインスタライブや発表会に呼んでもらったり。伝えたいのはメイクで「外面も内面もこんなに変われる」ということ。長い間劣等感を抱えて自己否定ばかりだった僕はメイクに救われたからです。

 脱毛症で眉毛やまつげを失っても、メイクなら一瞬であるように見せることができる。コンプレックスと思っていた部分をカバーできる技術があれば、もうマイナスに感じる必要はありません。メイクの可能性を発信できる仕事が少しずつできるようになっています。

 ただ、最近よく聞く「メンズメイク」という言い方はどうも苦手です。そもそもメイクって男とか女とか関係ないし、男性が化粧をしてはいけないルールなんてない。「メンズ」って付ける理由はないし、限定するとメイクが二分される気がします。僕は服だってレディースでもメンズでも着たいものを着る。メイクも同じで、もっと自由でいい。今後の目標は、性別に関係なく使えるコスメを作ることです。

「普通」という言葉にも違和感があるとか。

 「男がメイクするのは普通じゃない」とか「普通は〇歳で結婚する」とか、そんな偏見や価値観が少しでも変わればいいと思うんです。「普通」って社会の平均値のようなもので、そこに当てはまらないと自分が否定されて間違っているような気持ちになる。

 「普通の生活」「普通の幸せ」「普通の見た目」…。社会のあちこちに「普通」があふれているけど、人の心を飲み込むブラックホールだと思っています。適齢期って言いますが、だいたい世の中の人が同じくらいの年齢で好きな人ができるわけないし。ちなみに僕は結婚願望ないです。書面上の契約に興味はないし、幸せのゴールだとも思っていません。

 でも、世の中は変わる。中学の頃は男性が化粧するなんてバカにされると思って誰にも打ち明けられませんでした。でも今はメイクを楽しんでいる男性はたくさんいるし、僕の動画を多くの女性が見て参考にしてくれていますから。

確かにそうですね。ところでギュテさんがメイクを始めたきっかけは?

 キム・ギュテは本名で、僕は在日韓国人3世。中学時代に、ファンだった韓国アイドル「東方神起」のメンバー・ジュンスに衝撃を受けたんです。アイシャドーで囲んだ目元、陶器のように白い肌…。キリッとした顔立ちの彼がメイクをすると、どこか妖艶で独特の世界観が生まれて魅力的でした。

 僕、小学生の頃から、小さい目や低い鼻に対するコンプレックスが人一倍強くて。運動も苦手で絵ばかり描いていたから、スクールカーストの低い位置。自信のなさからネガティブな性格になっていました。

 でもジュンスを見て「男性もメイクでこんなに変われるんだ」と知った。彼の写真を手に、母の化粧品をこっそり借りてメイクのまね事をしました。手順も分からず黒いアイシャドーを塗っただけでしたが、小さな目に強さが生まれた。立体感も覇気もない顔が一変したんです。

そのころSNSも始めたそうですね。

 メイクを自撮りしてツイッターに投稿していました。フォロワーが増えて褒めてもらえるようになると自信もついて、高校に入った頃には社交的になりました。でも今度は違う悩みが生まれた。高2のある日、頭に10円玉くらいの毛のない部分を見つけたんです。「ストレス性円形脱毛症」と診断されました。

 当時は「人生終わった」ってくらい落ち込んで。ストレスの原因も分からないし、治療法もない。病気のことを打ち明けた親友2人からのいじめも始まった。悪いうわさを広められてクラス中から無視されるようになりました。

多感な高校生にはつらすぎませんか。

 つらくて、死を考えたこともありましたよ。でもありがたいことにそんなうわさに動じない同級生がいて、彼が話しかけてくれたおかげで学校に行くことができた。いつしかうわさも消えました。僕、この経験で得た学びが二つあって。一つは人を見極めるための軸みたいなものができたこと。もう一つは学校が全てじゃないということ。

 SNSを通じた友達やファッション好きの他校の友人がいたし、アパレル店の店員さんとも仲良くしていました。学校の外にも魅力的な世界があると知っていたんです。「ここしかない」と思うと苦しいけど、今いる閉鎖的な場所が全てじゃないと気付くと気持ちが楽になる。脱毛症もいじめも、結果的に視野が広がったから無駄な経験じゃなかったんでしょうね。

前向きですね。そこからメイクへの意欲も戻ってきたのですか。

 高校卒業前には元気を取り戻しました。遊ぶ時には頻繁にメイクをし、母にもメイク姿を見せるようになった。すぐには理解されなかったですけど。

 髪が抜けたことで、ウィッグの魅力にも気付きました。もともとヘアセットが得意なので、髪色で遊べるし、違う自分になれていいじゃん!とポジティブに考えていました。今も髪は生えていませんが、お気に入りのウィッグを見つけて美容院でカットしてもらって変化を楽しんでいます。 

卒業後は広島市内のアパレル店に勤めたそうですね。

 規則がない自由な店で、メイクして堂々と出勤していました。その頃からファッションやメイクに注目してくれる人が増えて。「毛がなくても、自分には魅力があるんだ」と気付けたのは大きかったです。

 ただ当時の僕のメイクって殴り書きのメモ帳みたいな感じ。荒削りで個性をぶつけていただけだったんです。そんな時に母から言われた「どうせするならきれいにしなさい」という言葉が響いた。自分に似合うメイクを知りたい、もっと上手になりたいと本気で思うようになりました。

 そこからはネットを教科書に、メイクの手順や顔のパーツがどんなバランスで配置されていると美しいのかを研究するようになって。鏡を頻繁に見て、顔や骨格を観察しました。すると自分に合う眉毛や目、鼻、口のバランスがだんだん分かるようになった。

こうした努力と、「普通」を飛び越えていくギュテさんの姿に共感する人は多いですね。

 5年前に上京してから本格的にユーチューブで動画発信しています。伝えたいのは、誰が決めたか分からない「普通」に縛られる必要はないし、他人と比べる必要もない、というメッセージ。誰かと比べると自分の心に厚化粧をして幸せを見失ってしまいそうになる。コンビニにフルメイクで行く僕でも、心はすっぴんでいたいんです。

 人と比べてる暇があれば自分を磨きたい、自分の幸せを一番に考えたい。エゴイズムじゃなくて自分が幸せになるように生きれば、その先に必ず周りの幸せも考えるようになるはずだから。僕はメイクをしている自分が大好きだし、アイデンティティーであり生きることです。脱毛症というハンディは背負っても、生まれ変わっても自分でいたいと思えるようになった。これからもメイクを通じて「普通」という価値観に飲み込まれない生き方を発信していきたいですね。
(写真は著書「無いならメイクで描けばいい」から。幻冬舎提供)