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憎しみが最大の覚悟だと思う話

走り書きでごめんなさい

人は何かをやり遂げたり小さな一つ一つの行動を起こす際も覚悟が必要になる。
小さな覚悟から、とても大きなものまで様々だが、今回はそんな覚悟についての考えだ。

俺はプライドが人よりも高い。
2年くらい前まではもっと高かったけど落ち着いてもまだ高い。
この文字を打ってる最中もプライドを押し殺して誰かを殴りたくなりながら書くくらいには。

それが故に繊細でもある。
ちなみに弱みをさらけ出す人間はかっこいいと思っているのでこの繊細発言については別に何も思わない。
だから人の何気ない一言とかが割と心にきたりする。

そして結構口だけなのだ。
というのも過去の実績や周りと比較した時に、俺はやれば並大抵よりは上手くこなせると信じ切っているから。
良くも悪くもその思考がこべりついている。
だから少し興味がある程度の事柄にもあたかも本当にあやりたいことができたみたいな口調で話すし、口だけに終わる。

そんな俺が本当に行動に移す場合はほぼ2パターン。

心の底から本当に楽しいと思ったこと

憎しみからくる覚悟だ

前者については恐らく大体の人間が当てはまるが後者はどうだろうか。
ただの覚悟って話じゃない。
"憎しみ"という感情の元生まれる覚悟だ。

何故他の感情では大した覚悟が生まれないのか考えてみたが、恐らく他人からどう見られるかを気にしている節があるんだと思う。
実際に今の一文が誰かに見られると思うと小動物とか蹴りたくなる。

それが故俺に対して悪い評価をした人にはとことん捻り潰したくなるような憎悪を覚える。
誰に対しても一瞬は感じる。
友達でも恋人でも家族でも。

その感情が"相手より高い立場に立ち散々いたぶって殺したい"みたいな思想を連想させて、覚悟に変わる。
己が他人に漬け込んだ覚悟は並大抵じゃ消えない憎しみとなって行動のエネルギーになるから。

いつか掌を返して媚びへつらってくる下民共を嘲笑うかの如く見下してやりたいのだ。
そしてこの手で突き落とす。

多分性格が悪いって思うかもしれないが、この話が極端なのと、皆口に出さないだけで割と思ってる事だと思う。
殺すとか嘲笑うみたいな動詞は使わずとも、いつか見返したいなとかそんな話。

皆も人を恨んで憎んで妬んでいつか殺すと思いながら、ちゃんと殺せるように生きていこう。

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