見出し画像

【図解】 「民俗学」のおもしろさとは? この世界の認識の仕方について『遠野物語』をヒントに。


時々、「『遠野物語』が好きで移住した人」と思われたり、またそのように誤解されて紹介されたりもする。


が、移住のきっかけはあくまでも仕事だったため、それまで『遠野物語』も、遠野が河童の住むまちであることも全く知らなかった。

岩手県遠野市の全景


2016年に岩手県遠野市に移住し、気づけば8年目の春を迎えた。

3年で東京に戻ろうと思っていたなか、まさか8年もいて、これほど民俗学にどっぷりハマるとも思ってなかった。みんぞくがくは「民族学」しか知らなかった。

そんなノーガードでこの土地で暮らし始めた結果、『遠野物語』に出会って異界の面白さに魅了され、また独自の風習や年中行事を目にし、郷土芸能を踊る人々に出会い、いい意味でボコボコに戦慄させられた結果、すっかりハマってしまった。※ハマり始めた頃に書いた記事があった。ほぼ同じようなことを書いている。

「そこまで富川さんを魅了する『遠野物語』、そして遠野の面白さってなんなんですか?」と聞かれることも多く、その度、言語化してきたつもりだが、もっと分かりやすく言語化してみたいと思い、このnoteを書いている。

もう誰も使っていない旧道にある半端なく巨大な石塔


それは、≒「民俗学」の面白さを説明することで伝わると思うので、民俗学に関する自分の解釈と、その面白さについて書いてみたいと思う。

しっかりした民俗学の定義などは学者先生・研究者の方々に任せるとして、自分なりの解釈を書いてみたい(と言いつつ色々なその道の文献や考えの影響は受けている)。


民俗学とは、言葉の通り、民の俗の学。一般市民(という言葉が適切かわからないが)の、普段の生活をテーマにした学問と言えばいいのだろうか。つまり、中央にいる、ど偉い人たちの、優雅で聖なる格式だったものとは対にある学問ということ。

例えば、僕が拠点とする遠野で考えると、ある集落の農民たちが、毎年繰り返してきた行事や風習、土地の神様に対する信仰などはそのど真ん中だったりする。それは、何か偉い人たちが決めた厳格なルールのものを踏襲しているわけではなく、土地の民たちが、自分たちの考えに則ってする行いであり、いつしかそれが自然と体系化されたわけなので、民の俗の学ということになる。

※誤解なきように言うと、あえて今はステレオタイプなTHE民俗学ぽい集落の事例を出したが、「民の俗の学」なので、何も古いものしか取り扱わないわけではなく、東京のコンビニでも、介護の現場でも、世田谷区の商店街などでも、そこで自然と生まれた習わしや思想、人々の行いはあるわけで、それらはすべて民俗学とも言える。ここは意外に重要な視点。これはある本に書いてあり、確かに!と思った。

歴史的に見ると、民俗学はもともとはヨーロッパで19世紀頃に始まった学問であり、日本ではその少し後に我らが柳田国男が広めた学問でもある。外国の文化や学問もいいけど、そもそも自分たちのことをもっと知ろうぜと、自国や自分たちの住むエリアに残る民話や歌、暮らしの知恵や文化を調べ始めたのがきっかけだそうだ。


さて、そんな民俗学だが、「暮らし」と言っても、例えば地元(自分だと新潟県長岡市)だと身近すぎてなかなか興味も湧かなかったわけで、自分がこの世界にハマったのは、やはり遠野に移住して、それまで全く知らなかったそこの「民」の「俗」の世界が面白すぎたのが、民俗学に傾倒する大きなきっかけだったと思う。

豊かな風習や行事が残る遠野


面白い風習や行事がたくさんあり逐一紹介したいのだが、それを細かく見るというよりは、その根底にある土台部分に目を向けたい。

それは「ここに住む人たちが見ている世界設定が異常に面白い」ということになる。この世界の設定、見方が本当に面白いのである(重要なので2回言った)。


世界設定の説明に入る前の導入として、「なぜ遠野では、神様や精霊、妖怪たちが今の今まで存在してこれたのだろう?」という問いが地味に重要な鍵になる。

遠野のカッパ淵。実は有名なここ以外にも市内に14箇所あることはあまり知られていない。



狐が人を化かさなくなった(≒人が狐に化かされなくなった)という本もあったが、遠野でこうした環境が実現できているのは、遠野の人々が目に見えない世界も信じ、大切にしてきたからだと思う。だからこそ、人間以外のものも生きてこれている。

しかし、現代、特に都会に住み生活していると、つい「目に見える」「人間社会」のみが世界のすべてだと思ってしまわないだろうか。以下の図だと左下の象限「人 × 現世」の世界だ。

『遠野物語』に登場するものたちを分類した図


一方、図を見ると、世界はもう3象限(あるいはもっと多く)あることが分かる。人ならざるものもいれば、異界のもの(目に見えざるものたちも含む)もいる。

山には死者の魂がいて毎年夏に帰ってきたり、山には山の神さまがいて自分たちを守ってくれていたり、家には家の神様である座敷童子がいたり、また心優しい馬がいたりする。ちょっとその辺を見れば、人間を化かそうとする狐が木の影からこちらを窺っている。そんな世界である。

遠野の人全員が今もこの感覚で生きているわけではないけれど、遠野にいると、こうした精神世界、世界の認識・設定が今も息づいていることを確かに感じることができる。『遠野物語』に登場する世界が、今もあるのだ。

境界を越える交わりがあり、その境界も揺らいでいく



また、その世界設定だけではなく、その世界へのコミュニケーションやアプローチの手法も興味深い。

郷土芸能「しし踊り」なども例にとってみると、
(1)山の神という人智を超えた圧倒的な存在を信じ、敬い(世界設定)
(2)ししという山の神であり霊獣と、それと向かい合う人が太鼓や笛の音に乗って踊り、神様に対して五穀豊穣などの祈りを捧げる(その世界へのコミュニケーション、アプローチ)

人と自然の争いと調和を表現するとも言われる、郷土芸能「しし踊り(鹿踊り、獅子踊り)」
Photo by Ryo Mitamura


お盆の行事では
(1)夏にあの世から帰ってくるご先祖に対して(世界設定。魂は天にいる、山の上にいる、海から戻ってくるなど色々)
(2)ご先祖様が迷わないように、目印となる高い灯籠木を用意したり、火を燃やしたりする(その世界へのコミュニケーション、アプローチ)

と理解することができる。

『遠野物語』序文には柳田が見たお盆の風習「ムカイトロゲ」についての記述がある


お盆の風習を図解してみた。2020年に自費出版した『お盆本』もいつかグレードアップさせてアウトプットしたい。


世界設定が「人×現世」のみだとしたら、人は死んだらおしまい。何もなくなる。自分の大切な人が亡くなったらその悲しみの行き場は無くなってしまうが、「人×異界」があるのだとしたら、魂は年に一度帰ってくるし、その辺の山から見守ってくれていると考えられる。そう考えると、心が救われる人もいるのではないだろうか(実際いたからこそ何百年も続いてきているのだと思う)。
※個人の宗教や死生観に踏み込んで議論をするつもりはないのであくまで例として


そういうわけで、先人たちの世界認識は「人×現世」だけでなく、非常に広くまた多様であり、さらにその世界に対してのコミュニケーションやアプローチ手法、働きかけの方法もユニークで本当に面白い。

これも長い年月を経て、誰か(民)が考えてきたものであり、民俗学である。

妖怪の代表格・河童だって、川には尻子玉を抜く河童が住んでいるから川に近づかないようにするという世界の設定をされているわけで、面白い世界だなぁとつくづく思う。

以上が自分の考える民俗学の面白さであり、『遠野物語』をはじめ遠野に魅了されている理由である。


人間のみの世界に留まらず、広く世界を捉えることで、より楽しく、こころ豊かに、そして穏やかに暮らせるような気がする。そんな現代に通ずる意識を持って、このジャンルに向き合っていけると良い。

『遠野物語』が発刊された頃(1910年。明治43年)は、明治維新後で一気に世の中が西洋化していた時代。そんな社会に対して、柳田は、上部だけ西洋化して中身はちっとも近代化してないのでは?というカウンターの気持ちで『遠野物語』を書いたとも言われている。

時代が変化しようとも自分たちが忘れてはならないものは、こうした土地で暮らす人々が見ている精神世界、価値観、暮らし方なのでは?という柳田の想い。これは時代をこえた今でもつよく共感するものがある(時々、テクノロジーや技術の進化が果たして我々の心を本当に豊かにしているのだろうかな?と思う時がある)。

※ちなみに、遠野市立博物館の前川さおり学芸員がおっしゃっていたが、峠に囲まれた遠野の人々は、はるか昔から自分たちでメタバースを創り出していたんですという説明を聞いてすごく納得した。




<お知らせ>

さて、そんな愛すべき『遠野物語』をわかりやすく解説した自費出版本『本当にはじめての遠野物語』を現在、鋭意執筆している。

今年6月に出版予定で、発売日の6/14は1910年に『遠野物語』が発刊された日。さらに自分はいま36歳だが、奇しくも柳田国男が『遠野物語』を出した年齢と同い年である。いろんなタイミングが合ったが、時代を超えた同級生の友・クニオにこの本を捧げたいと思う。

『遠野物語』はいきなり原本にあたると挫折しやすいので、「クニオ、遠野物語はめちゃいい本だけど、もうちょい分かりやすく伝えた方が伝わるから、ちょっとやってみるわ」という感じで、この世界の柔らかな入り口となるように、できるだけ楽しく分かりやすく説明したいと思っている。


長くなった。

民俗学は、面白い。


※本の詳細については5月に富川のTwitterなどSNSで発表します

鋭意制作中。100ページ弱のカラー本。イラストや写真もたくさん入る予定。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?