誰かに憧れるのはどうなのか。
声の業界に足を踏み入れた方は、誰か業界の先輩に憧れた経験を持つ方が多いかもしれません。
僕も音楽の学校に通う前はGLAYのTERUさんやGacktさんに憧れ、声を学び始めてからは小田和正さんや平井堅さん、スティービー・ワンダー、ダニー・ハザウェイといった男性ボーカリストに憧れを抱きました。
今回は、憧れるというテーマでお話をしたいと思います。
憧れは持つほうがいいか、持たないほうがいいか
憧れるという行為、ある人は「常に夢を持ち続けることができるから、必ずバイブルとなる人は必ず1人はいるといい」と言いますし、ある人は「憧れているうちは、その人と同じ土俵に立っていないことになるから、さっさと捨てた方がいい」と言います。
僕も実際、プロミュージシャン時代は前者で、独立後しばらくしてから後者になり、2〜3年ほど前から、また考え方が変化しました。
憧れることのデメリット
憧れを持つことのメリットは先述の通りですが、憧れを持つことのデメリットとはなんでしょうか?
これは、憧れを捨てるメリットにもなりますが、いつまでも同じ土俵に立てていないのを証明してしまうことです。憧れているうちは、自分と憧れはまだまだ遠く離れているというふうに明確に決定付けてしまうからです。
人は思春期を迎える頃から、人と比べることを強烈に意識し始める傾向があります。その経験を経てきた大人は、まるで強い光によって濃い影が生まれるかのように、憧れが強いほど自分の劣等部分に焦点が当たって気になってしまい、自尊心や自己肯定感を下げてしまうことが多くあります。
憧れを捨てることのデメリット
憧れることはいつまでも成長しない…そう考えた人は憧れることを意図的にやめます。もちろん、憧れだった人と同じ土俵に立つという事実を作るためには必要のないものと考えてのこと、決して悪いことではないかもしれません。
いわゆるハングリー精神に基づいたストイックさかもしれませんし、不退転の決意、背水の陣で臨む姿勢なのかもしれません。
さて、何がデメリットなのか。いくつかありますが、最も大きいデメリットとは、憧れていたという自分の気持ちを認めず捨てているという点です。
憧れているようではダメだ、と自分に×をつけてしまっているのです。
ハングリー精神が、一時的に効果を出してもあまりよくない理由と同様で、自分には実力・技術・求心力が欠けていると認識していることです。欠けていると感じているうちは、欠けている部分の解釈通りに囚われますし、見ないようにするいわゆる美点凝視はメンタルプログラムに発展してしまいます。
憧れを持つことが自己肯定感を下げるに対して、憧れを捨てることは、自己承認を放棄していると言えると考えています。
結局、どっちがいいの?
自己肯定感が低いことは、実はそんなに悪いことではありません。低い人には低い人の魅力もありますし、大きく成長する可能性も高く秘めているので、全く問題ないと思っています。
自己承認の放棄については、自分という存在、アイデンティティーを深く傷つけている恐れがあり、これは正直あまりよろしくありません。
お前は悪い子だ、と言われ続けて成長できる人はそう多くありませんしね。
では、持つほうがいいかと言われると、同じ憧れを持つにしても、持ち方が重要だと思っています。
同じ「憧れを持つ」という思想でも、憧れとの差を歴然と感じてしまう持ち方では、大きな成長を期待することは難しいからです。
自分を成長させる憧れの持ち方
憧れは、どういうときに使うのが望ましいでしょうか。
自分が憧れと同じ状態になったときのイメージとしては最高の材料かもしれません。そのときは登場していただきましょう。
次に、憧れをひとまずのゴールとするならば、ガイドとして登場していただくのもありかもしれません。こういう生き方いいな、こういう歌い方いいな、といった内容です。
そして、これが最も重要ですが、憧れている気持ちに対して、価値判断をしないことです。自分はあの人に憧れている、あ、自分はそういう気持ちを持っているんだ、なるほどね。…でおしまいです。
その気持ちに善悪をつけないということです。つけるから苦しくなってしまうのです。
強く憧れるわけでもなく、憧れを捨てるわけでもなく、憧れているという気持ちを持っている自分の存在を認めて、憧れに導いてもらう。
これが、もっとも穏やかで気持ちよく、モチベーションを高い水準で維持できる心持ちではないかと今は考えています。
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