平等と公平。デザインや共助で解決する第三のアプローチ。
最近、平等(Equality)と公平(Equity)を例示する図を見る機会が多いです。身長が異なる3人がフェンス越しにスポーツ観戦する際に踏み台で解決する例示。これまでも繰り返されてきた平等と公平の議論。しかし、この例示に違和感を抱き続けている自分がいます...。
平等(Equality)と公平(Equity)
平等
偏りや差別が無く、みな等しいこと。
公平
公に平らなこと、すなわち一定の集団において、偏らないということである。
※共にwikipediaより
誰に対しても一定の機会を提供するのが「平等」、誰もが同一の状態にあるのが「公平」と言えます。
平等と公平を比較する時に、身長が異なる3人がフェンス越しにスポーツ観戦する際に踏み台で解決する例示が使用されます。
全員に一つずつ踏み台を提供するのが平等(Equality)、全員が同じ目線でスポーツ観戦できるように踏み台の提供数を変えるのが公平(Equity)。
確かに公平の状態が望ましいのですが悶々としています...。
※Environmental Equity Vs. Environmental Justice: What’s the Difference?より引用
公平を実現するための異なる解決策①「デザイン」
上述した図の右端。スポーツ観戦する際のバリアをデザインで解決。壁越しに観るために踏み台を提供するのではなく、向こう側を観える壁、つまり、金網にすることで踏み台がなくても観れるようにするというデザインによるバリアの解消。
何かを与えて解決するのではなく、バリアとなっている環境をデザインし直すことで解決する。
公平を実現するための異なる解決策②「共助」
上述した図には示されていない解決策になりますが、大人が子どもを肩車することで一緒にスポーツ観戦する。踏み台がなくても、みんながスポーツ観戦できる。つまり、助け合い。共助で解決する。
与えてもらうのではなく、与え合うことで公平を実現する
踏み台の例で違和感を抱くのは「与えられる」を前提としているから。自助・共助・公助という視点で語ると、公助に依存していることに違和感を抱いてしまうんです。困っている人がいたら支える、お互いに支え合う関係になる。超高齢化社会や人口減少で税収も少なくなる中、公助で解決できることは少なくなってきます。だからこそ、公助に依存するのではなく、共助による解決を考える。共助のマインドがあれば、相手の立場になって考えられる。そうすることで環境をデザインし直すというアイデアも生まれてくるのだと考えます。
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