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ピアノを弾くことでクリエイティブに生きる感覚を掴む

「枠の中の学び」から、自由な学びへ

「大人のジャズピアノ」のレッスンを始めるにあたり、自分の「学び観」をアップデートしてみたいという思いもありました。そこで、先生(ジャズピアニストの松下福寿さん)と話し合って、「生徒が弾きたいものを中心にして、それに先生が寄り添って一緒に考えてくれる」形のレッスンにしていこうと決めました。

学ぶということは、あらかじめ決められた範囲の中で目標(ゴール)が設定されていて、それに向かって理解度や習熟度を高めていくもの、というイメージを持っていました。確かにそれだとわかりやすいし、効率的だし、先も見通しやすいので安心です。その反面、成果や評価と結びついてがんじがらめになってしまったり、途中で学び自体が楽しくなくなってしまったりしたことも・・・

でも、今回は所詮「大人の遊び」なのだから、一旦そういう発想を忘れて、特に目標も持たず、自分のやってみたいことや続けやすい方法を自由に追求してみようと思ったのです。

自分が弾きたいものは何か?それに対して、今できることは何か?そこから一歩進むためにはどうしたらいいか?いつでも、どんなに下手でも「今の自分」を丸ごと肯定することからスタートして、イメージを膨らませ、どこへ向かって踏み出していこうかと考える。

その時々で楽しく練習できていればしばらく続けて、そうではなくなってきたら、そろそろ何か変え時かなと考える(決して無理して頑張らないようにしています!)

あえてゴールを決めないことで、学び自体を主体的に楽しめていて、結果的に少しずつ上達もしているという実感があります。

ジャズと「自由な学び」の親和性の高さ

やってみると、こういうやり方はジャズという分野にとても馴染む気がしています。メロディ、リズム、コードなどいろんな要素があって、どこから始めてもいいし、どれぐらいやってもいい。行ったり来たりしてもいい。練習方法も自分に合ったものを色々工夫できます。その一つ一つの奥が深くて、やればやるほどその組み合わせでいろんな表現ができるようになっていきます。

そもそも、ジャズの楽譜には、簡単なメロディラインとコード進行ぐらいしか書いていないので、それをどう弾くかは演奏者次第。すごいプロの方でも、私のような素人でも、誰が弾いてもその人オリジナルの演奏になります。

そして、演奏=ライブなので、結局はその場で、自分の頭と身体を使って組み立ててできるようになるしかない。どう転んでも自分にできることしかできないので、ズルやごまかしは全く通用しません^^;

なので、練習の時から否応なく自分と向き合い、どうやったら自分なりに解釈することができるか、どうやって練習すればできるようになるか、何を重点的にやるか、自分の気持ちやスキル、思考のやり方とすり合わせながら試行錯誤していくことになります。

明示的な(外発的な)ゴールがない代わりに、どこまでも自分の内発的動機をエンジンとして進んでいく。このあたりが面白さであり、同時に厳しさでもあるような気がします。まっさらな紙に、思うまま絵を描いていくようなイメージでしょうか。

クリエイティブに生きることの感覚を掴む

そして、弾きたい曲を形にしようと夢中になってやっているうちに、自分を閉じ込めていた狭い枠(自己認識)から、自然と外れているような心地よさがあります。

絶対できないと思っていたことがいつの間にかできるようになってびっくりしたり、自分の中に眠っていたことに気付かされたり。プロの演奏家である先生から、自分では考えつかないようなアドバイスをもらって、今までの思考の枠の外に放り出されたり。

自分はこんなもの、なんて思い込みに過ぎなかったことに気づき、自分にもまだいろんな可能性があるんだなぁと嬉しくなります。少しずつ自己信頼のようなものが生まれ、ピアノ以外のことでも「ま、やってみようか」と思うことが増えました。

私はピアノを弾くことを通じて、主体性を持ってクリエイティブに生きるということの疑似体験をしているのだと思います。

等身大の自分と向き合い、自分を知り、自分の可能性を信じること。小さな一歩を積み重ねることで未来を作っていけると感じられること。一人でやるのではなく仲間がいること。そんな感覚を掴めたことが人生にも良い影響を与えてくれています。





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