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年功序列が日本で未だに崩れない理由 - 儒教と論語の本質的な違いとは?

日本の多くの企業では、年功序列がまだ残っていると思います。

年功序列型の組織はうまくいかない。それは既にさまざまなところで言われていることです。世界で成功しているGAFAのような企業で、年功序列型でやっているところはありません。

にもかかわらず、今も年功序列の文化は変わりません。その大きな理由の一つが、日本に儒教文化が根付いていることだと思います。昔は上手く機能していた儒教文化が、年功序列の制度を固定化させ、今や日本の長期的な停滞の原因となっているのではないでしょうか?

儒教の歴史を紐解いてみると、儒教の本質は、孔子書いた論語とは異なるものであり、中国の皇帝達に利用されてきた考え方であることがわかります。儒教の本質とは何か。そしてそれが今の日本にどのような影響を与えているのかについて書きます。

①儒教と論語は何が違うのか?

儒教を広辞苑で調べてみると、以下のようになっています。

儒教の定義

孔子を祖とする教学。儒学の教え。四書・五経を経典とする。

孔子を祖とする教学としている一方で、孔子が後世に残しているのは「論語」だけです。そして、論語の内容と儒教の中身は、継承しているものこそあれど、本質が異なります。

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孔子が「論語」で説いたのはあくまで処世術

孔子は春秋・戦国時代における斉の国出身の思想家で、「周の時代に立ち返った政治をすべきだ」というメインメッセージを出しています。

しかし、その思想は決して体系化された教えではなく、論語の中身は仕事をしたり生きていく上でのChips集のようなものです。

例えば、論語の中の以下の言葉があります。

子曰く、賢を見てはひとしからんことを思い、
不賢を見ては内に自ら省みる。(引用は以下より)

この文章は、以下のような意味です。

「優れた人を見れば同じようになろうと思い、つまらない人を見たときにはわれとわが心に反省することだ」(論語 / 金谷治訳/ 岩波文庫)

この言葉は、現代でも多くの人が「確かにその通りだ」と感じ、自分も実践したいというような処世術とも言えるような内容です。

孔子は波乱万丈な人生を歩んでいます。周の王朝に学び、斉の国で政務を執り行いますが、王の不徳に見切りをつけ諸国を歩き回るようになります。そして1000人もの弟子と共に自分の教えを言い伝えました。そんな人生経験豊富で鋭い慧眼の持ち主である孔子の言葉は、人間の本質を掴んだ言葉であり、現代でも多くの人が学ぶことができます。

実際に渋沢栄一が『論語と算盤』にて、日本人に必要なのは論語が説くような「徳」と算盤による「経済発展」のための行動であるとして論語の重要性を語っています。

*ちなみに、論語は結構ボリュームがあるので、有名な言葉がわかりやすくまとめられているこちらから読むのがオススメです。

儒教は武帝の時代から作られた皇帝擁護の教え

では、儒教が孔子のそのような教えをそのまま継承したものであるかというと必ずしもそうではありません。

確かに孔子の「徳や礼」の考え方を踏襲した部分も多々ありますが、儒教で強調されているのは「皇帝の権威」です。

孔子の権威を利用した武帝と董仲舒

儒教を体系的にまとめたのは、漢の武帝の時代の董仲舒(とうちゅうじょ)だと言われています。これは、孔子が没した300年も後の時代の話です。

漢の皇帝にとって、儀礼を尽くすことは皇帝の権力を維持することに繋がりました。このような「礼」の考え方は、もちろん孔子も論語において説いている概念でした。しかし一方で、董仲舒は孔子とは無関係な様々な概念を作りました。

その具体例が「天人相関説」や「性三品説」です。

これらは、皇帝の権力を正当化・絶対化するための理論です。例えば「天人相関説」とは、" 自然災害など人間世界のあらゆる出来事は「天」と相関しており、全ては「天」の意志によって左右されている。その天の意志はその子供である「天子=皇帝」を通して万民に伝えられ、皇帝を通して実現される"という理論です。

この理論は、孔子が説いた教えとはあまりにかけ離れたものであり、「徳や礼」とは無関係に皇帝の権力を絶対化させるためのものであることが分かると思います。

また、儒教の経典である「五経」や「四書」も孔子とは無関係であり、この時代に新しく生み出されて儒教の体系化に寄与したものであると考えられています。

では、なぜ孔子が祖とされているのか。話は単純で、要するに「孔子」はその権威を利用されたのです。儒教の理論の正しさを強調するために利用されたのが孔子であり、儒教の本質とは、あくまで「今の皇帝の権威を正当化するもの」であると言えます。

この考察は、石平氏の『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』で詳しく述べられています。著者は元々中国出身の方で、(少し日本びいきな箇所も多いですが)中国の歴史を包括的に見ながら儒教の本質についての指摘がなされています。内容も非常に論理的で読みやすいのでオススメです。

そして、この儒教による皇帝権力の正当化システムは、後の時代に「科挙」によってさらに強化され、南宋の時代に朱熹によって「朱子学」としてアップデートされながら、明や清の時代にまで皇帝によって利用されていくことになります。

②儒教システムによって日本を統治した徳川家康

儒教は論語と異なり、単に「徳や礼」を説くものではなく、「皇帝の権力と今の社会秩序を正当化する」ために利用されたものでした。

この儒教文化は、当時の中央集権的な支配体制を維持するにあたり、非常に合理的で優れたものであり、中国の長い歴史に渡って朝廷の権力を確固たるものにしてきました。

これを上手く利用した人が日本にもいました。徳川家康です。

徳川家康は、儒学者である林羅山を重用し、儀式の方法や法令を整備しました。諸大名の統制のために作られた武家諸法度も林羅山によるものです。そして、「朱子学」をベースとしたこの社会システムは、250年間もの間続くことになります。

この間に、日本全体において儒教文化はより強く根づき、「幕府」や「藩」など、自分の主君に当たる人を絶対的に敬い、礼を尽くすことが是とされる文化が醸成されました。

③年功序列がうまくいった高度経済成長期

この「今の権威や社会秩序を絶対視する」儒教文化は、明治維新において一度壊されたかのようにも見えました。

しかし「年功序列」に象徴されるように、年上の人を実力に関わらず敬い、上司の言うことは絶対であるとする儒教的文化が今でも深く根付いています。この背景には、儒教の仕組みが高度経済成長期に物凄く上手く行ったことがあると思います。

高度経済成長期は、工業社会であり、社会におけるニーズがはっきりとしていました。テレビの需要があるのにテレビが足りていない。だからテレビを作り、その品質をよくしていく。車もより燃費の良いものを作ることが求められる。

作るべきものがはっきりしており、20,30年後が見据えて同じものを改善しながら計画的に作ることが求められる世の中では、年功序列・終身雇用でじっくりと社員を育て、熟練した年輩の人を出世させることが合理的でした。

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しかし、今やサービス・情報社会。モノに溢れるこの時代、世の中のニーズははっきりとしていません。インターネット・グローバル化・テクノロジーの進展により、変化の激しい世界となりました。今売れている商品やサービスが、5年後にはどうなっているかわかりません。

企業が成長を続けるには、常にイノベーションが必要です。5年前の成功体験通りにやることが上手くいくとは限りません。すると組織を率いるべきは、単純に過去の経験が豊富な人ではなく、戦略を立て実行できる本当に実力のある人物ではないでしょうか?


"人事のグローバル化に求められるのは、日本企業で行われてきた人事施策を「人材の多様化」「人材需給のグローバル化」「人材の流動化」という三つの変化に対応したものにいわば“バージョンアップ”していく作業であり、なにか全く新しいことをゼロからスタートさせるといったことではありません。"(『人事こそ最強の経営戦略』より)


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