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「余裕」とは何か。 哲学研究者・永井玲衣さんと水中に潜る1時間の哲学対話

 「ボドゲしません?」

業務時間中、誰かのかけ声で唐突に始まるボードゲームの時間。モノグサは、忙しくても「ボードゲームを楽しむ余裕を持つ」ことを心がけている会社です。

でも、そもそも「余裕」ってなんでしょう。余裕がある状態ってどういうこと?そんな問いから始まる新連載「あいだ学」。この連載では、毎回ゲストをお招きし「余裕とはなにか」について考察を深めます。

第1回目に登場するのは、哲学研究者の永井玲衣さん。哲学対話の実践者として10年以上、学校や企業、自治体、お寺などに出向きセッションを開いています。哲学対話とは、ひとつのテーマについて対話をしながら深く考える行為。永井さんのもと、「余裕とはなにか」について考えてみます。

永井玲衣(ながい れい)
学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。詩と植物園と念入りな散歩が好き。

哲学対話を始めよう。必要なのは、3つの約束と「ぬいぐるみ」


「余裕とはなにか」を深く考えたい——そんな相談をしたら、快く応じてくれた永井さん。9月のある朝、表参道にある会議室でさっそく哲学対話の準備が始まりました。 永井さん、インタビュアー、編集者、モノグサ社員の4人で、輪を作ります。

永井:
いやあ、ほんとに「余裕」ってなんでしょうね。私も今、ぼんやりとしかわかりません。今日は哲学対話をしながらみんなで考えていきましょう。

そう言うと永井さんは、トートバッグから鳥のぬいぐるみを取り出しました。

永井:
これは、私の哲学対話で使っているアイテムです。セッション中、発言するときはこのぬいぐるみを手に取ってください。ぬいぐるみを持っている間は、その人の時間。周囲は「でも」とか「それって?」と切り込んではいけません。たとえ発言者が無言になっても、割り込まず見守りましょう。

それから、哲学対話には3つのお約束があります。

①よく聞くこと

②偉い人の言葉を使わないこと
(「〇〇さんがこう言ってたから正しい」など、人の言葉を借りない)

③「人それぞれだよね」で終わらせないこと

このお約束を忘れず、じっくり話を聞き、自分の言葉で考えを伝え合いましょう。話が前後したり、飛んだりしても全然大丈夫。どんなことでも絶対にテーマに関係してくるから、自信を持って何でも話してください。

「哲学対話はいつまでも続けられてしまうので、先に時間を決めます」という永井さん。今回は1時間という制限時間を設けることにしました。

永井:
では始める前に、哲学対話用の呼び名をを決めましょう。バックグラウンドを取り払って、よりフラットな状態で話すためです。

各自、思いつくまま呼び名を決めます。

・永井さん→熱中症
・インタビュアー 安岡→イタリア
・編集者 三浦→水
・モノグサ社員 中村 →黄色

哲学対話のやり方に則り、以下では永井さんもハンドルネーム「熱中症」にて表記します。

左から、「水」「黄色」「イタリア」の3人。
「水」は「たまたま視界に入ったもの」「黄色」は「この日黄色のシャツを着ていたから」、「イタリア」は「数日前にイタリア旅行から帰ってきた」という理由にて。

「余裕とはなにか」1時間の哲学対話がスタート

開始5分で価値観が揺らぎ……

熱中症:
よし、始めましょうか。いきなり「余裕」を定義しようとすると難しくなってしまうから、まずは余裕と聞いて浮かぶイメージをばらばらと挙げてみませんか。

イタリア:
なんだろう……。私は「余裕」と聞くと、空白、スペースといったイメージが浮かびます。予定の書き込まれていない手帳とか。

黄色:
僕は、南国のビーチでのんびりしているイメージが浮かびました。あとは、サウナでゆっくりしている自分の姿。デジタルから解放されてほっと一息ついている瞬間です。

水:
私は、。仕事が終わって、お風呂も入って、あとは寝るだけというときをイメージしました。

熱中症:
みんな、一見バラバラですね。でも「やるべきことから解放されている状態」というのが共通しているように思います。

私はというと、「余裕をもって行動しましょう」とよく言われるように、先にある大事な用事に備えることを想起しました。みなさんが言った「のんびり」とか、精神的に安定している状態とは、ちょっと違ったイメージかも。 

「余裕」は、仕事のパフォーマンスを上げるためのもの?


熱中症:
……いや、でも考えてみたら、南国や夜にのんびりする時間って、次の仕事に備えてリフレッシュする時間とも言えますかね。現代の私たちにとっての「余裕」には、常になにか目的があるのかもしれません。

イタリア:
熱中症さんの考えを聞いて、はっとしました。たしかに、のんびりとした「余裕」の奥にはいつも、「次の仕事のためにリフレッシュする」「パフォーマンスを上げる」といった目的がある気がします。

水:
そう思うと、今まで自分が思っていた「余裕」って、本当の余裕なのかな。 なんかちょっとゾッとしますね。

黄色:
あの、気になることがあります。私が働くモノグサという会社では、誰かのかけ声で急にボードゲームが始まることがあるんです。僕らの会社ではこの時間を「余裕」と呼んでいて……。

このボードゲームの時間って、仕事のパフォーマンス向上とか、なにか目的のために備えているという感覚にはならないんですよね。本当の意味の余裕という感じがするんですよ。うまく考えがまとまっていませんが。

イタリア:
なるほど。……単に気になったのですが、仕事中に急にゲームをするとなったとき、気持ちをパッと切り替えられるものですか? 私なら、仕事が残っている状態でボードゲームに参加しても、うまく没頭できなさそうで。

黄色:
それが案外のめり込めるんです。たぶん、ボードゲームには「勝つ」というわかりやすいゴールがあるから、集中できるんだと思います。

熱中症:
ああ、今の話って面白いですね。おそらく、ボードゲームは普段の仕事とかけ離れた別のルールで動く時間なんです。そう考えると、いつものルールから離れること、あるいはルールを複数持つことが、「余裕」につながるのかもしれません。

人が余裕をなくすときって、ひとつの価値観にしばられているときな気がするんです。「この仕事で失敗したら人生が終わる!」みたいに。でもルールがいくつもあれば、どんなことに対しても「まあこれがすべてじゃないし」と思えて、「余裕」を持てそうです。

「余裕がある人」の特徴

黄色:
あ、その話で前職の同僚を思い出しました。彼は、どれほど上司にキツく怒られてもニコニコしているんです。みんなから「余裕がある人だなあ」と言われていた。きっと彼は、ひとつのルールに没入しすぎない人で、怒られても「他に大事なことがあるし」って思えていたのかもしれませんね。

水: 
面白い。……でもルールをいくつも持ち、しかもパッと切り替えるって、すごく難しいですよね。「ルールAを引きずりながら、ルールBで次の場を乗り切る」みたいになりそうで、疲弊しそう。

イタリア:
たしかに。でも私の感覚だと余裕のある人って、いろんなルールを場面ごとにうまく使い分けているイメージがあります。目の前の出来事から離れて、自分を俯瞰して、価値観を切り替えて。
 
水:
となると、「自分を俯瞰して、ルールを切り替える」という視点が大事ですね。どうやったら、そういう客観的な目線が手に入るんでしょう。

私は、嫌なこと、悲しいことがあったとき「どうせ死ぬじゃん」と思うんです。そうすると、どこか俯瞰して「余裕」が生まれる感じはするのですが……。

自分で自分を俯瞰するには?

熱中症:
難しい問いですね。水さんの言った「どうせ死ぬし」というモードは、私としてはむなしすぎるというか、逆にしんどくなって「余裕」がなくなる気がします。どうにか虚無にならず、無色透明の自分のまま自分を俯瞰できたらいいですよね。けれど、そんなことがそもそも可能なのか。

黄色:
うーん。うまく説明できないのですが、僕は俯瞰して切り替えることを意図的にしているのかもしれません。

たとえば最近、深夜にテレビゲームをするのにハマっているんです。普段の自分の価値観なら、あの時間って何の生産性もない。でもプレイ中の僕は「今が楽しければいいや」というルールを持つよう、都合よく頭を切り替えている。

イタリア:
今の黄色さんの言葉で、ちょっと見えた気がしました。「そのときの自分にとって一番心地いいルール」を探す視点を持つと、自分を俯瞰できるのかも。ある種自分勝手にルールをコロコロ切り替えることで、余裕を持ち続けられる気がします。

熱中症: 
なるほど。つまり、いくつかのルールを自分の中に持っていて、その上で「心地いい」と思えるものを都合よく選び取って生きれば、それが余裕につながるのかもしれませんね。

では、余裕を「社会」という規模で考えるとどうでしょうね? 今までの話って個人単位で感じる「余裕」についてだったと思うのですが、「日本社会は余裕がない」と言うときの「余裕」ってなんだと思いますか? 

……という問いかけをしたところで、実はもう制限時間が来てしまいました。哲学対話は、時間が来たらそこで終了。まとめや振り返りはしません。みなさん、お疲れ様でした。

消化しきれない問いには、時間をかけて向き合う


終了後、感想を交えて永井さんにお話を伺っていきます。

——初めての哲学対話、あっという間でしたが本当に面白い時間でした。誰かと話すことで、グッと深くまで潜れるものなんですね。
 
永井:
他者の存在があるからこそ、自分ひとりではたどり着けないところまで考えが広がったり、深まったりするんですよね。体感いただけてうれしいです。
 
——身体は動かしていないはずなのに、運動をした後のように爽快な気分です。でも同時に、「もっと話したい」「もう少しでわかりそうだったのに!」という名残惜しさもあふれてきます。

永井:
私も、哲学対話で消化できなかった問いに、いつまでもひっかかることがありますよ。ときには重石のようにずしんと心にとどまって、次の日もまた次の日も同じことについて考えてしまう。しんどいけれど、その重たさを味わうのもまた大切なことだと信じています。

——私もしばらく考え続けてみます。ちなみに今日はあらかじめ問いが決まっていましたが、通常は「問い出し」からみんなで一緒に行うんですか?

永井:
はい。私の哲学対話では、問いが決まるまでの時間も重要視しています。みんなで出し合うことで、ある問いから別の問いへと連鎖していくのが面白いんですよ。

たとえば「エレベーターの中で誰かと一緒になるとどうして気まずいの?」という問いを誰かが挙げたら、派生して「エスカレーターに乗るとき、2列で並べと言われているにも関わらず、片側に並んでしまうのはなぜ?」という問いが出たりする。そんなふうに日常的な疑問を響かせ合いながら、取り組むテーマをひとつ決めていきます。

——問い出しって、楽しそうだけれど難しそうです。なにかコツはあるんでしょうか。

永井:
難しく考えなくていいんです。きっと問いはもう、自分の中に存在しています。小さなことでいいので、日常でなにか感情が大きく動いた瞬間を思い出してみてください。

いつもささやかな問いを取り上げているからか、今まで10年以上やってきて、問いが重複したことが一度もないんですよ。これって凄まじいこと。こういう個人的で小さな問いを私は「手のひらサイズの哲学」と呼んでいて、すごく大事にしています。

「とるにたらないこと」を恥ずかしがらず表現してみて 

——永井さんは、中学校や高等学校でも哲学対話を開いていますね。生徒たちには、どんな思いを持っていますか。

永井:
哲学対話をすると、自分が「とるにたらない」「間違っているかも」「恥ずかしい」と思うようなことを言葉に出すことになります。おずおずとでも思いを表現することがこんなにも面白いんだと、生徒の皆さんが知ってくれたらうれしいです。そして、自分の中にある小さな問いを、他者と一緒にここまで深められるんだという事実に気づいてもらえたらいいですね。私自身そのことに驚き、そしてそこに希望を感じて生きてきたので。皆さんにとって、気づきや救いのある時間になればという思いでやっています。

——たしかに、自分の問いを誰かと深めていけるなら、世の中がちょっぴり心強く感じられるかも。私も、家族や職場の仲間など、いろんな人と哲学対話を続けてみたいと思います。

永井:
ゆっくりと場をそだてようとするのであれば、どこでも、誰とでもできるのが哲学対話です。ぜひ身近な人と始めてみてください。

それに哲学対話って、まさに余裕を作るのにぴったりの取り組みだと思うんです。今日の対話に重ねると「普段とは別のルールが働いているから」、日常のタスクや悩みごとから離れられるのでしょうね。

仕事や勉強など特定のルールにしばられて毎日息が詰まりそうな人ほど、哲学対話を試してほしいです。あえて走るのを止め、じっくり対話を重ねる。先を急ぐのではなく、深く潜っていく。そうすることで、普段の自分からは出てこないような面白い考えに出会えると思います。

執筆:安岡晴香
撮影:小池大介
編集:三浦玲央奈(株式会社ツドイ)

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