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昔々あるところに…?

『ムーミン谷の仲間たち』
9つの物語を集めた短篇集。

このうち2篇の冒頭の一文は
”Det var en gång" で始まっている。

Det var en gång en filifjonka som tvättade sin stora trasmatta i havet.
(Filifjonkan som trodde på katastrofer)
『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』

Det var en gång en hemul som arbetade på ett nöjesfält,
(Hemulen som älskade tystnad)
『静かなのが好きなヘムレンさん』

また、入れ子構造になっている
『スニフとセドリックのこと』で
スナフキンがスニフに話して聞かせる
お話の場面の始まりも冒頭はこうなっている。
Det var en gång en dam som älskade sina ägodelar.
(Cedric)

”Det var en gång”は辞書を引くと
"Once upon a time there was……" つまり
「昔々あるところに……がいました」とある。
この短篇集の英語版も
Once upon a time there was……となっている。
――さて、これをどう訳す?

ムーミンシリーズは時代設定が明確ではないが
これを「昔々あるところに…」としてしまうと
違和感ばかりが先立ってしまうだろう。

旧版訳でも
Det var en gång en filifjonka som tvättade
sin stora trasmatta i havet.は
あるとき、フィリフヨンカが、浜で、
大きなじゅうたんを、洗っていました」

Det var en gång en hemul som arbetade på ett nöjesfält,は
ずっとまえのことですが、一ぴきのヘムルが
遊園地につとめていました。」

Det var en gång en dam som älskade sina ägodelar. は
ずっとむかし、自分の持ちものならなんでも
とてもたいせつにする、女の人がいたんだ。」

となっている。

さぁ、どれくらいの「昔」とするか…と
考えながら新版訳を練っていた頃、
フィンランドセンター主催で
「トーヴェ・ヤンソンと日本の影響力」という
コンファレンスが開催された。

これは前年に開催された
トーヴェ・ヤンソン会議の第二弾。
翌年からコロナ禍に入ってしまい
この後は開催されていないのだが。

2019年の会議ではスウェーデン&フィンランドの
スピーカーの講演(英語)で『ムーミン谷の仲間たち』
所収の作品が度々引用されていた。
英語での講演では引用部分が
Once upon a time there was……となるので
同時通訳の方々は当然、
「昔々あるところに…」と訳される。

※この会議は全日程 同時通訳付きで、
同時通訳という仕事の凄さを目の当たりにした。
そして恐らく、事前の資料があまり渡されて
いなかったと思われる場面も散見していて、
通訳者さんにキャラクターリストくらい
お渡ししておけばいいのに…とやきもきすること
度々だった。

この会議には、トーベ評伝の著者である
Boel Westinさんも参加していらして
休憩時間にDet var en gångのニュアンスを
訊いてみた。

ここはあくまでも「昔々…」なのか?
それとも「ちょっと昔の話ですが…」
という感じなのか?

結論としては明確な答えは出なかったのだが、
Det var en gångで始まると、おとぎ話の
始まりのように感じるのは確かである。
でも、凄く昔の話という枠「しかない」
というわけではない、という…。

そりゃそうだ。

恐らく。
フィリフヨンカにせよ、
静寂を愛するヘムレンにせよ
これまでの物語で登場した両者と
イコールの登場人物ではなく
それぞれ「フィリフヨンカ的な」
「ヘムレン的な」ものを
頭に浮かべた上で読んでほしい、
という意図もあるのではないか。

そうなると、旧版訳の
「ずっとまえのことですが」あたりが
適してだろうし、でも、
「あるとき」ではちょっと弱すぎる。
最終的に落ち着いた形がこちら。

ずっとまえのことです。フィリフヨンカが海で、大きなラグを洗っていました。まずせっけんをつけて、ブラシで青いしまもようのところまでこすったら、波が七つ来るのを待ちます。するとちょうど、せっけんのあわが洗い流されます。『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』
ずっとまえの話ですが、あるヘムレンさんが遊園地ではたらいていました。遊園地だからといって、そうそうおもしろいことがあるわけはないのです。『静かなのが好きなヘムレンさん』
ずっとむかし、自分の持ちものがとっても大切な、女の人がいたんだ。子どもはいなくて、そのことでたのしみもなければ、なやまされることもなかった。『スニフとセドリックのこと』


同時通訳を間近に見たのはトーベ会議が初めてで、
通訳者さんたちの瞬発力と持久力といったらもう
凄いの一言に尽きる。
そして、もうひとつびっくりしたのは
二人並んで座っていた通訳者さんの後ろの席に
座っていた上司らしき方が、交代のタイミングで
通訳者さんの椅子の脚?を蹴って知らせていたこと。
(これがスタンダードなのか不明だけど…)


そうそう、
『この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ』の
原題は
Filifjonkan som trodde på katastroferなので
本来のタイトルは怯える、ではなく
カタストロフィの到来を信じている、のです……。




 


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