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文系大学教授になる2:博士課程指導教授

 大学院に進学して(新卒と既卒のいずれが適当かという問題は後日ノートします)、大学の教員(大学教員組織についても後日ノートします)を目指すと意思決定をした場合、まず大切なことは、大学院での指導を受ける指導教授を見つけるということです。博士論文の指導から大学教員への就職まで色々と親身になって指導を行うのが、博士課程後期課程指導教授です。博士課程後期課程指導教授は、博士課程後期課程を設置している大学院研究科に所属(通常は学部とのダブルカウント)し、教授に昇任してかつ博士の学位を取得している者のなかから、当該、研究科の教授会(ただし、この教授会は博士課程後期課程指導教授のみから構成されるのが一般的)で教員資格審査の結果、任命されます。通称丸D教授と言います。
 丸D教授に昇任する平均的な年齢は40歳後半といったところでしょうか。理系大学院の場合には、丸D未満の教授や准教授でも Principal Investigator として自分の研究室を持ち、研究室の責任者となって研究を進めることが多いですが、もともと大学院生の少ない文系大学院では、丸D教授になってはじめて理系の研究室に相当する研究組織を構築する「権利」を有することになります。ただし、丸Dはあくまで「権利」にすぎず、実際に大学院生が自分の指導学生としてゼミ等に進学してくれなければ、常に開店休業ということになります。開店休業状態の丸D教授は実は非常に多いです(ただしその理由は多岐で、学生に人気がないのではなく、先生ご自身が大学院生の受入れに色々な理由で消極的なケースも少なくはないと思われます)。理系では一般的ですが、文系でもごく一部の先生がご自身の研究室のホームページを開設されています。そこに紹介されているスタッフ(学部や修士が紹介されているケースも多いですが、研究者的には博士後期課程生、研究員、博士研究員、OBOGの大学教員)を垣間見ることで、その研究室を運営される丸D教授の後期課程での指導における実績や熱意・方向性を理解することができます。文系大学教授を目指す場合には、これは非常に重要な作業です。
 丸D教授の正直な実態をごく一部紹介すれば、先生によっては博士課程後期課程生の受入れには、必ずしも積極的ではありません。理由はいくつもあって、文系の場合は共同研究ではなく個人研究で研究実績を積み上げることができる、後期課程生の指導はそれぞれの研究テーマが文系の場合にはとりわけ多様で、イメージとしては後期課程生一名で学部の授業一科目程度の負担感となる。たとえば、後期課程生を3名抱える丸D教授は、学部の授業を通年で3科目増担する位の負担感となるといった点。他方、せこい話ですが、その割には、大学からの給与はほとんど増えることがありません(後期課程生ゼロでも多数でも給料はほぼ同額)し、理系とは異なって院生が日常を過ごす研究室単位の部屋を提供されることもないのが一般的です。私立文系の場合は、こうした傾向が特に顕著で、非常に著名な先生でも大学院生をほとんど育成されていない先生が少なくないのは、こうした構造的要因によるものだと言えます。先生の立場に立てば、ご自身の研究実績を講演や企業・政府・自治体等の実践の場にフィードバックする方が、より大きな社会貢献と考えることも可能ですし、大学院生の育成と比較すれば、(特に)精神的な負担感は極めて小さく、報酬はかなり大きなものとなります(←私の経験則です)。
 それゆえに、ここからが大切ですが、そのような丸D教授のなかから、大学院に進学して大学教授になろうという方は、ご本ににとってまさに「玉」と言えるような、博士課程後期課程指導教授を探し出して、指導を受ける体制を構築することが何よりも重要であるという点です。丸D教授の学問の多様性、指導可能な研究領域と人数、院生への指導のきめ細かさと面倒見の良さ、学界や実業界での知名度、競争的研究資金の獲得状況など、すべてがまったく異なります。学位までは面倒は見るけど、就職先は自分で探すように、という先生も多いと思います。最終目標が大学の教授、あるいはその第一歩としての助教や准教授としての就転職であるならば、丸D教授の面倒見の良さやその研究室の転就職実績は非常に重要な判断の指標になります。
 愚見ですが、面倒見の良さというのは結局、弟子の失敗や不始末を多方面に謝罪して、研究成果の提出の遅れや乱れに寛容に対処し、それでいて、何のフィードバックも求めないという「Father」のような心持をお持ちの先生ということになります。そのような先生の所には、結局、たくさんの院生が集まっているのではないかと考えられます。また、究極の愚見ですが、大学院生の育成に熱心な先生は、学界や大学のいわゆる要職への就任を拒否されることがあります。博士の院生の指導には、いくら時間があっても足りないという状況を斟酌すれば、要職の会議ではなく、院生の読んでいる研究論文を同じペースで読解したり、院生に先回りして、その論文の執筆者(基本的には海外の研究者)とコンタクトを取って、いずれは必要とされるであろう、院生とその論文執筆の海外研究者との縁をとりもつといった段取りに時間を費やされます。まさに「Father」なのです。
(2022.05.18)

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