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男性への羨望

私は昔から、自分が男性ではなく女性に生まれた理由を探していました。

今もその答えは見つかっていないし、そこに特に答えなんてないということは自分でも分かっています。

女に生まれた理由を探し続ける、という行動は、男に怒るとか、社会の理不尽さを嘆くといったような、いかにも「女性らしく」ヒステリックでメランコリーな行動をとることを避けつつ、自分の感情に折り合いをつけるための、せめてもの手段なのかもと思っています。

大学に入るまでは、頭が良くない女性の方が好かれるとか、女性は家庭に入るべきとか、そういった固定的な役割があることを窮屈に思っていました。大学に入り、環境がよりリベラルになったことや、そもそも自分より全然優秀な女の子があふれたことでそういったことも減ったけど、社会人になった最近は、今までとはちょっと違う方面で、女性であることの苦しさを見出している自分に気付きました。

端的に言えば、見かけ上社会が男女平等になってきていることが、苦しいです。

現代は、男と女に制度上開かれている機会がほぼ均等になりつつあり、見かけ上女性活躍が進んでいる社会だと思います。でもだからこそ、女性が辛い思いをしている部分が見えにくくなっているような気もするのです。

男女が違う役割を演じることが当たり前という社会であったら、職業やキャリア形成の文脈において、女である自分と、同年代の男性を比べてもやもやすることはないのかもしれないです。

でも、十分制度はできてきたでしょ、あとはいかに個人が努力するかなんじゃないの?というふうに、社会から言われている気がします。


まず単純に、男と女で肉体的な違いがあることをずるいと思っています。

なぜ女はじぶんの子供が欲しいと思ったら、遅くとも40歳くらいまでに決めないといけないの?なぜ身重になり、その間働くことが制限されるのは女だけなの?
なぜ男性は一ヶ月に一回の生理や、その前後の自分でもどうしようもないくらい感情をコントロールすることが難しくなる期間がないの?
個体差はあれど、なぜ男性の方が体力があったり、力があったり、たくさんの食べ物やお酒をより短時間で分解できたりすることが多いんでしょう。どうして女が男とならんで全力で走ったら、女の方が先にバテるような作りになっているの?

見かけ上は平等な社会であるはずなのに、その前提条件である男と女の体には明らかに違いがあって、そのハンデを女は無言で埋めなければならない。


肉体だけでなく、人々の男女の役割意識や、恋愛や結婚における男女の価値観もまだまだ変わっていません。

職場の全員が全員自分のことを男とか女とか関係なくニュートラルに接してくれるかというと、全くそんなことはないし、もっと言えば、自分だって自分が女であることを意識してしまったりします。

そういう意識に起因して、女の私に仕事を押し付けすぎてはいけないとの配慮から、先に帰っていいよと言ってもらえることもあります。逆に女性比率を増やすための頭数として駆り出されることもあります。

女性の社会進出が進んだ現状でも、職場における性別の違いをどう受け止めるのかという点(そもそも違いを意識の下に置くのかという点含め)に関しては、明確な正解がない状態で、この点についてのスタンスは女性の側でもさまざまだろうし、私の中でも職場の人にどう接してほしいかという問いには、まだ答えは出ていません。

私としては、基本的には女性とか男性とか関係なく接して欲しいと思っています。でも、女の方がこれまでの男性の働き方に一方的に合わせる必要があるのは嫌です。たとえばこれまで飲み会三昧で営業をして顧客を獲得してきた男性メインの職場で、男とか女とか関係ないよな!とか言われて、私も毎日お酒を飲みまくり営業をしないといけない、というのは嫌です。こういうのは、理想的な男女平等な扱いではないです。

こんな極端な例でなくても、これまで男性のみが作り上げてきた職場の働き方に、女の方が一方的に合わせる、というのは無理です。もしこれを実現しようとすると、まず家庭をかえりみる時間がなくなります。

こんな状況なのに、今の社会で意思決定をしている層はもちろん男性ばかりで、特に私の職場には、女性のロールモデルはいません。このままどういう気持ちで、どんなふうに働いていくことが正解で、どのように道が開けるのかという点について、男性より参照できる例が少ないと思います。


これらは完全に、私という一人の女の立場から見た無い物ねだりで、ポジショントークであることは百も承知です。この世で対とみなされているあらゆるものについて、片方だけが苦しいなんてことはなく、男性性はもちろん、男女二元論に苦しんでいる人がいることもわかっています。

でもこれまでマジョリティであった男性が作り上げた社会に、女性が進出するというのは、入り口だけ設ければいいというわけではないと思うのです。社会全体が変わっていかないといけない。
中途半端に見かけだけ変えるなら、そもそも男女の役割がきっぱり分かれていた昔の方が断然マシだとすら思います。

私が今男性一般に抱えている気持ちは、攻撃でも、恨みでもありません。男性という性を中心につくられている社会を生きられていることへの、羨望だと思います。